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    昔話が語り継ぐ、私たち日本の国史

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    昔話とは、昔の人たち代々世々伝承してきた語り物としてのおとぎ話のことである。そのような昔話には、独自の語り方が存在する。その語り口・語り方の隅々、語りのすじ道の端々には、往古の先人たちの子どもへの思い入れが凝縮している。まず、語りの場において、昔話は一体どこに存在しているのか。それは、語られている時間のあいだだけ実在しているものである。ということは、すなわち、昔話が語り終わられたら、それはその場から消失するということである。これは、昔話の形態が、時間的文芸であることによる。このことは、同じく、演奏され終われば消える、音楽と相い似た関係にある。

    さて、昔話の語り口について見てみると、それはとても簡単で明瞭であることがわかる。そのようなわかりやすい文体であるのは語り物であるからであり、そのような語り口によって語られるのが昔話なのである。そして、ひととおり昔話が語り終えられると独特の定型的な結末句で終わるのが慣例となっている。この結末句地方によって異なり岡山の「しゃーんしゃん」飛騨の「しゃみしゃっきり」岩手の「どんとはれ」秋田の「どっとはらえ」など、土地土地の結末句が伝えられている








    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 第十二代景行(けいこう)天皇の皇子である【日本武尊(ヤマトマケルノミコト)】は、九州を討伐するとともに、関東・東北を押さえるための東征を行っています。

    日本武尊(歌川国芳画)
    日本武尊(歌川国芳画)

    これは【日高見国】の力がすでに弱体化していて、北から入ってきた蝦夷(えみし)のため関東・東北の統一を維持することが不可能になってきたということなのでしょう。実際、記紀日本武尊の物語に出てくる東国は、非常に衰退した姿として描かれています。

    詳しくはこちらをご参照💛

    産経新聞取材班  日本人なら知っておきたい英雄 ヤマトタケル

    日本人なら知っておきたい英雄 ヤマトタケル 

     【日本武尊】まず【九州】に行って【隼人(はやと)】族を討ちます隼はハヤブサですから、隼人とは【「鳥の人」】ということになりす。隼人と呼ばれる人たちがどこから来て、どのような歴史をもつのかは明らかになっていませんが、【関東から鹿児島にやって来た人たちの子孫ではないか】と考えられます。それは【鹿島神宮】【香取神宮】と並んで東国三社に数えられる【息栖(いきす)神社】と関わっていると考えられるからです。

    詳しくはこちらをご参照💛

    西の出雲を平定した、東の「日高見国」

    日本の起源は日高見国にあった: 縄文・弥生時代の歴史的復元 

     【息栖神社】に祭られている【天鳥船命(アメノトリフネノミコト)】【建御雷神(タケミカヅチノカミ)】を助けて【鹿島から鹿児島へやって来た】とされます。その名前からわかるように、天鳥船命【船の神様】であると同時に【鳥の神様】です。つまり、【息栖神社は船の神社であるとともに鳥の神社でもある】のです。


     奇妙なことですが、当時は【船に乗るのは鳥と同じくらい速い】という意識があったようです。隼人は特別に速い船に乗って東からやって来たのかもしれません。その様子を見た地元の人々は、彼らを鳥の中でも速い隼に重ねて隼人と呼んだのかもしれません。


     九州南部には【熊襲(くまそ)】もいました。この熊襲も【関東から来た人たち】だと考えられます。それは【熊野神社】【関東・東北に多い】ことからも推測できます。熊野神社というと紀伊半島の熊野神社を思い浮かべる人が多いかも知れませんが、実は【関東・東北に多数点在している】のです。先にも述べたように、【鹿】と同様【熊】も【縄文系の人たちが狩猟をするときの重要な動物】です。

    女性 ポイント ひとつ

     そういう【関東・東北の縄文系の人たち】【九州にやって来て、隼人とか熊襲と呼ばれるようになった】のでしょう。【熊本】のように【熊の名】がついているところも、【関東から来た人たち】居ついた場所です。そういう人たちが何代か経つうちに異質の人になり、討伐の対象となってくるのです。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、文字記録今までのところ確認されていない旧石器時代から世界最古の文明である私たち日本の国史を、「唯物論的歴史観」という西欧独特の誤った歴史観で観るのではなく本来の正しい日本の国史のあり方を提示されている良書となります。

    読書 女性 2-18

    さて、本文中に、第十二代景行(けいこう)天皇の皇子である日本武尊(ヤマトマケルノミコト)が、九州や東北を征伐するお話に触れられていましたが、初代・神武天皇大和の地を平定なされてからのち、その日本武尊(ヤマトマケルノミコト)の征伐に至るまでの間には、私たち日本人「昔話」として良く知っている大きな戦乱の時代がありました。

    ポイント 000

    その「昔話」とは何かお分かりでしょうか?

    女性 悩む 02

    その戦乱の時代というのが、第五代孝昭天皇(こうしょうてんのう)、

    孝昭天皇
    孝昭天皇

    詳しくはこちらをご参照💛

    いま、世界中のメディアが戸惑っている理由

    日本人が知らない洗脳支配の正体 日本を見習えば世界は生き残れ 

    第六代孝安天皇(こうあんてんのう)、

    孝安天皇
    孝安天皇

    詳しくはこちらをご参照💛

    死に絶えるリベラル、退化するプログレッシブ

    日本をダメにするリベラルの正体 

    そして、第七代孝霊天皇(こうれいてんのう)と続く、その名に「孝」の文字が付く天皇が治める時代でした、

    孝霊天皇
    孝霊天皇

    孝霊天皇には、4人の妻と、8人の御子がいました。

    皇后細比売(くはしひめのみこと)との間に生まれた息子が、大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)で、のちの第八代孝元天皇(こうげんてんのう)となられます。

    孝元天皇
    孝元天皇

    また、第三代安寧天皇(あんねいてんのう)の孫である意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)、別名・蝿伊呂泥(はえいろね)と、蝿伊呂杼(はえいろど)の2人も妃でした。

    姉の意富夜麻登久邇阿札比売(おほやまのくにあれひめのみこと)の名にある「阿札比売(あれひめ)」歴史を司る世襲名となり、『古事記』の編纂者の一人「稗田阿礼 (ひえだのあれ)」へと繋がります

    そして、姉の意富夜麻登久邇阿札比売(おほやまのくにあれひめのみこと)の子の一人に、比古伊佐勢理毘古命(ひこいささせりびこのみこと)別名・大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)がいて、妹の蝿伊呂杼(はえいろど)の子の一人若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)がいました。

    詳しくはこちらをご参照💛

    自分が自分の気持ちに「嘘」をついているということ

    日本をダメにするリベラルの正体 

    ここで、孝霊天皇の息子の名前「吉備(きび)」という文字確認できましたが、さて、私たち日本人「昔話」として良く知っている大きな戦乱の時代指し示しているお話は、何でしょうか

    女性 ポイント 10

    もう、お分かりですね💛

    もちろん「桃太郎」のお話です。


    詳しくはこちらをご参照💛

    桃太郎の鬼退治、安倍総理の「パヨク退治」

    日本をダメにするリベラルの正体 

    現在の岡山県に居た鬼を征伐し、その地を平定したのが、比古伊佐勢理毘古命(ひこいささせりびこのみこと)別名・大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)で、

    備中国
    備中国

    それを祀っているのが備中国(びっちゅうのくに)の一宮である吉備津神社(きびつじんじゃ)です。

    吉備津神社 本殿(国宝)
    吉備津神社 本殿(国宝)



    また、同様に、大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)を祀っている

    備前国
    備前国

    備前国(びぜんのくに)の一宮である吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)があります。

    吉備津彦神社 本殿(岡山県指定文化財)
    吉備津彦神社 本殿(岡山県指定文化財)




    で、吉備津神社の場所を示す地図が、こちら(↓)になります。

    吉備津神社 1

    ここで、いつも利用させて頂いているマップを使って海水面を上昇させてみますとこんな感じ(↓)になります。

    吉備津神社 2
    Flood Maps

    そして、先ほどの二社の位置を確認してみますと。。。

    吉備津神社 3

    鬼退治のための拠点が構えられていたのが、この辺りだったのでしょうね

    女性 ポイント ひとつ

    ちなみに、かつての備後国(びんごのくに)である広島県福山市にも吉備津神社(きびつじんじゃ)がありますが、

    備後国
    備後国

    こちらは吉備国が3つに分離されたあとに、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられています。

    吉備津神社 (福山市)
    吉備津神社 (福山市)

    さて、本日は長くなりましたので、ここまでとさせて頂きますが、第十二代景行(けいこう)天皇の皇子である日本武尊(ヤマトマケルノミコト)も、この「吉備」と関連するお話が出てくるのですが、次回以降に書かせて頂きたいと思います。


    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Sat,  21 2018 00:01
    • Comment: 1
    • Trackback: 0

    1 Comments

    4711  

    日本昔話といえば、漫画日本昔話の語り手、常田富士夫さんが亡くなられました。
    小さい時から今でもこの番組が好きなので、淋しい限りです。
    神話や昔話は大切です。
    12歳までに神話を学ばない国民の国は滅びるとも言われています。

    熊野神社は八咫烏を祀っていて、日本のサッカー選手もお参りされています。
    やはり鳥に縁が深いのですね。

    吉備の辺りは今、豪雨被害で大変です。おまけにこの暑さ…
    被災された方が早く元の生活に戻れるよう、お祈りしています。

    2018/07/22 (Sun) 08:59 | EDIT | REPLY |   

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