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    東西南北の「東」を「あずま」と呼ぶ理由

    みっちゃん

    みっちゃん

    日の出

    (ひがし)は、四方位の一つで、極地以外でおおよそ太陽が昇る方位であり、地球の自転する方位である。反対の方位は西

    南北絶対的な位置関係にあるのに対して東西相対的な位置関係にある。

    「あずま」の語源は、日本武尊(倭建命)東征に赴いている中、関東に行く際海を渡り、その時に海が荒れたため日本武尊(倭建命)弟橘媛海に身を投げて海神を鎮めた。そして日本武尊(倭建命)が碓氷峠に辿り着いた時、関東の方を見て「吾嬬(あずま)はや」つまり「わが妻はもういないのか」と言ったのが語源であるとの伝説がある。

    弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊(倭建命)の妃。『日本書紀』は弟橘媛とするが、『古事記』では弟橘比売命とする。








    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 千葉県木更津市富士見の【八剱八幡神社】(やつるぎはちまんじんじゃ)。弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)献身で走水(はしりみず)の海を渡った倭建命(やまとたけるのみこと)上陸した、と伝わるのがこの神社である。

    八剱八幡神社 4

    八剱八幡神社 1

    〈 尊(みこと)は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を慎んでしばらく当社にご滞留になり… 〉

     神社の由来はそう記す。

    八剱八幡神社 2

    地元には、漂着したヒメの袖を見たヤマトタケルが詠んだ歌も伝わっている。

    〈 君去らず 袖しが浦に立つ波の そのおもかげを 見るぞ悲しき 〉

    「 嘆き悲しむ余り、この地を離れられないヤマトタケルの情景が浮かび、歌の【『君去らず』が、木更津の地名の元】だといわれています」

    八剱八幡神社 6

     同神社の粟飯原輝胤権禰宜(あいはらてるたねごんねぎ)はそう話す。

    〈 故(かれ)七日の後に、其の后の御櫛(みくし)海辺(うみべた)に依(よ)る。其の櫛を取り、御陵(みさざき)を作りて治め置きき 〉

     ヤマトタケルの行動を、古事記はそう記す。引前学院大の入江英弥准教授によると、東京湾一帯にはヒメに関係する神社38ヵ所あり、大半が漂着した櫛や袖、布といった遺物を祭った縁起を持つという。

    ポイント 000

    「 流れ寄るもの神として祭る海辺の信仰を基盤に、航海の安全を守る女神として信仰されるヒメの伝承が、漁民や船頭らによって広まっていったのでしょう」

     こうした神社の名前も、ヤマトタケルの悲しみを反映している。漂着した櫛を馬の背に乗せて遷座する神事「馬だし」が今も行われる【吾妻神社】(あづまじんじゃ)(千葉県富津市西大和田)や、御召物が漂着したと伝える【吾嬬神社】(あづまじんじゃ)(東京都墨田区立花)…。いずれも、【東の国々】【吾嬬国】と呼ぶ由来として日本書紀が伝えるヤマトタケルの言葉を基にしている

    〈 日本武尊(やまとたけるのみこと)、毎(つね)に弟橘媛を顧(しの)ひたまふ情(みこころ)有り。(略)東南を望みて三(みたび)歎(なげ)かして曰はく、【「吾嬬(あづま)はや」】とのたまふ 〉

     この記述東征の帰路甲斐国でのものだ。大事を成し遂げてもなお、【ヤマトタケルは、妻を忘れ得なかった】のである。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本が誕生する際『古事記』には描かれていない関東から東側の地域を、ヤマトタケルの活躍によって、西側の大和政権の下に統一をしてゆく過程を、その足跡を綿密な取材によって辿ることで、読者に具体的にイメージを描かせる良書となります。

    読書 3-55

    さて、方角を示す外来の漢字を、単に記号として用いているのが私たち日本人なのですが、

    東西南北

    「東・西・南・北」という記号に過ぎない漢字には、どのような読み方がございますでしょうか?

    女性 悩む 02

    「西」 ⇒ 「にし」、そして「サイ」

    「南」 ⇒ 「みなみ」、そして「ナン」

    「北」 ⇒ 「きた」、そして「ホク」

    「東」 ⇒ 「ひがし」、そして「トウ」、それから「あづま・あずま」

    女性 頬杖 笑顔

    この「あづま・あずま」は、もちろんヤマトタケルの言葉に由来するものですが、「にし」・「みなみ」・「きた」・「ひがし」といった言葉と同様に、私たち日本人の本来の言葉である「和語(やまとことば)」になります。

    女性 ポイント ひとつ

    『 日本の先土器時代と縄文時代にどのような言葉が話されていたか、まったく分かっていません。そこに、時代ごとに他の地域から言語要素が流入し、現代日本語が形成されました。

     具体的には、もともと縄文語が存在していたところ、縄文時代後半期に長江下流域からオーストネシア語系言語の影響を受けて弥生語が形成され、そして弥生時代から古墳時代にかけて、朝鮮半島から朝鮮半島西部の言語の影響を受けて古代日本語が形成され、そして飛鳥時代に漢語、江戸時代末期以降に欧米語が入り現代日本語が完成しました。

     日本列島は海に囲まれているため、大陸と違って、戦争により民族が言語と共に滅ぼされる経験をしたことがありません。そのため、日本語の成立過程他の言語と比較しても単純なものです。

     総じて、日本語縄文時代には日本列島に存在していて、数度に亘り他の地域言語の影響を受けて成立した言語で、どの語族にも属さず縄文時代以前の古い要素を色濃く残しています。神道の考えによると、神武天皇より前は神世の時代ですから、要するに日本語は高天原に通じる「神の言葉」ということになります。

     そして、日本列島最初の統一王権である大和王朝が成立して以来、日本列島の隅々にまで和語が行き届き日本人は一つの言語を共有して結束していきました。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    現存する唯一の古代国家

    日本人はなぜ日本のことを知らないのか 

    吾妻とは、文字通り、吾(私)妻(つま)ということになりますので、「東」「あづま・あずま」と読むのは、このヤマトタケルの嘆き悲しんだ言葉から来ているものになります。

    その「つま(妻)」という和語は、私たちの身近なところに色々と隠れていますので、どうぞ探してみて下さい。また、日本における古代の婚姻形態である「妻問婚(つまどいこん)」と共に、以前にも少し書かせて頂いておりますで、そちらもご参照くださいませ。

    詳しくはこちらをご参照❤

    妻のところには、「行く」の? 「帰る」の?

    日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現 

    ところで、その「妻問婚(つまどいこん)」は、平安時代まで継承されていくわけですが、それが「摂関政治」の成立へと繋がっていきます。

    その「摂関政治」イメージは、こんな感じになるのですが、

    これ 女性

    摂関政治の仕組み

    この図は、近々御紹介させて頂くことになるこの書物(↓)の丸パクリになります(笑)

    理数アタマで読み解く日本史 ─なぜ「南京30万人」「慰安婦20万人」に騙されてしまうのか? 

    詳しくは後日書かせて頂きたいと思いますが、「皇族」には決してなることができない「皇族ではない男子」が、自分の娘を「天皇」の「妻」とすることで、その間に生まれる「次期天皇」である「男子の孫」に対する影響力を保持することで、「権威」と「権力」を握るそれが「摂関政治」の本質になります。

    女性 ポイント ひとつ

    詳しくはこちらをご参照❤

    これを報道すると、マスコミも学界も自らの正体がわかってしまうこと

    戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ 

    で、『古事記』・『日本書紀』は、当時の最高権力者・藤原不比等(ふじわらのふひと。本名は史(ふひと)。)の下で作成された歴史書になります、ということは前回に書かせて頂きました。

    『藤原不比等』菊池容斎
    『藤原不比等』菊池容斎

    そして、その藤原不比等のお父さんが、私たちの日本の「国史」において、最大の氏族である「藤原氏」始祖にして、『大化の改新』の中心人物である、中臣鎌足(なかとみ の かまたり)のち藤原鎌足(ふじわら の かまたり)です、ということも同じく書かせて頂きました。

    菊池容斎画 藤原鎌足肖像
    菊池容斎画 藤原鎌足肖像

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 中臣 鎌足(なかとみ の かまたり)のち藤原 鎌足(ふじわら の かまたり)は、飛鳥時代の政治家。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた

     元々中臣氏の一族初期の頃には中臣 鎌子(なかとみ の かまこ)と名乗っていた。その後中臣 鎌足(なかとみ の かまたり)に改名。そして臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜ったつまり生きていた頃の彼を指す場合「中臣鎌足」を用い、「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる。」


    で、その「中臣氏」は。。。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 中臣氏(なかとみうじ)は、「中臣」氏の名とする氏族

     古代の日本において、忌部氏(いんべうじ)とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(あめのこやねのみこと)を祖とする。」


    つまり、藤原氏の元となる中臣氏の祖天児屋命(あめのこやねのみこと)になります。


    天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に御隠れになられた際、岩戸の前で祝詞(のりと)を唱え、天照大神が外を覗こうとしたときに差し出した神さまです。

    岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)
    岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)

    また、「天孫降臨」により、邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から地上世界へと降り立つ際に、天児屋命(あめのこやねのみこと)は一緒に付き従っています邇邇芸命(ににぎのみこと)が向かわれた先は、もちろん九州になります。

    詳しくはこちらをご参照❤

    世界が崩壊し、日本の時代が始まった  ~ 天孫降臨の地は、九州なんです。

    こうして、2016年、「日本の時代」が本格的に始まった! 

    さて、このお話の続きは、長くなってしまいますので、次回以降に書かせて頂きたいと思います。

    それでは本日の最後に、八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)にお参りさせて頂いた際の写真になりますが、

    八剱八幡神社 5

    境内に植えられた蘇鉄(そてつ)は、あの源頼朝由来の蘇鉄になります。

    八剱八幡神社 3

    ぜひ、皆さまも、お参りに行ってみて下さい❤


    続きは次回に♥




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    最終更新日2018-06-06
    Posted byみっちゃん

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