自国語で書いた論文が世界で通用するのは、「日本だけ」なんです

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    論文(ろんぶん、英: paper)とは、学問の研究成果などのあるテーマについて論理的な手法で書き記した文章







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 対談でも触れたが、【戦前の日本人】は、【中国を育てて手を携えようとしたことがある】日本に留学生が1万人も来た。当時は「日中が手を携えれば、世界のヘゲモニーを獲らないと誰が言えるか」(ムッソリーニ)と、白人国家は思っていた。これが【黄禍論(こうかろん)】で、【中国と日本を分断させる】のは白人世界の当面の大仕事だという【共通認識】だった。

    女性 ポイント ひとつ

     今となっては、【日本人の中国ぎらいは完全に徹底】し、…もはや戦後のように、日本人が中国への「侵略戦争の負い目」で、おせっかいを焼くことはない。筑波大学教授の吉田博司が提唱した【「教えず、助けず、関わらず」】【「非韓三原則」】は、むしろ【中国にも完全にあてはまる】

    ポイント 000

     歴史を見れば、日中関係が一番うまく行っていたのは毛沢東時代だった。【中国が鎖国状態】にあって、【中国人は外には出られなかった】。だから日本国内に中国人犯罪者を見ることもなかった時代だ。

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    <#テレビが絶対に報道しないニュース>中国人が日本人名義の偽造運転免許証を使って沖縄米軍基地内の工事に従事 1人を逮捕、他複数の中国人は沖縄県外に逃亡~ネットの反応「ググってもヒットしない! ニュースになってないのか?」

    習近平
    中国、二重国籍を禁止に 国外に住む中国人のうち、二重国籍保有者や長期在住者の国籍・戸籍を抹消~ネットの反応「海外長期滞在者の国籍を抹消するって言われても滞在されている国も迷惑だろ」「マスゴミはR4からコメント取ってこいよw」

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    「日本人でいるのはそれが都合がいいからです。日本のパスポートは、あくまで外国に行きやすいからというだけのもの。私にはそれ以上の意味はありません。いずれ台湾籍に戻そうと思っています」蓮舫、95年に雑誌で語る~ネットの反応「これが立憲民主党副代表です」

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    蓮舫終了のお知らせ「日本人でいるのは都合がいいから、意味はない、台湾籍に戻す」台湾での写真も公開

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    【twitterで話題】『蓮舫vs蓮舫リターンズ』

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    【動画】<蓮舫VS蓮舫>二重国籍発覚時の蓮舫「聞かれたことをお答えしただけ」⇒蓮舫が柳瀬元秘書官に「聞かれていないからといって答えていないのは不誠実!」~ネットの反応「ワロタwwwwwwお腹痛いwwwwwww」

     もっとも、【すでに「三原則」は実現しつつある】かもしれない。【韓国とはもう完全に切れつつある】。日本風に言えば【村八分】で、火事と葬式だけの付き合い。…それは【中国についても同じ】で、新幹線の例もあるように、【日本が彼らに教えていいことは何もない】。わざわざ出向かなくても、彼らが高い技術が欲しければ向こうから日本にやってくる。こちらは地政学的な利点を生かして、来たものの中から選択して相手をすればいい。【もう中国に教える時代は終わった】

    女性 ポイント これ

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    中国ZTE 主要事業の運営を停止へ、元技術者「半導体国産化が不可能」

     【朝日新聞】は、【「陰湿な米国」を代表する新聞メディアと結託】して、【共産主義を誉めてみたり、グローバリズムを持ち上げ】たりしてきた。

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    <#フェイクニュース>朝日新聞・中田記者「宮内庁のロールス・ロイス2回だけ使用で走行困難…修理出来ず」→和田政宗議員「宮内庁に聞くと、既に平成19年に自動車登録抹消され、その後は保存参考車として保管とのこと」~ネットの反応「朝日w ファクトチェックまだぁ~」

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    朝日新聞記者 中田絢子
    朝日新聞「宮内庁所有のロールスロイス修理出来ず走行困難」→ 専門店「直せないことは100%無い」→ 朝日記者「“メーカー側”に確認した」

    ところが今世界の流れが大きく変わってきた【グローバリズムよりナショナリズム】国際化自分の国があってこそ可能になると、思想的に気づいてしまった人々が増えている。トランプは「アメリカ・ファースト」に舵を切る。インドのモディも、トルコのエルドアンも同じだ。…

     【日本】はもう、【どんなことをしても国際できなない】。いくら英語をやれと言われてもできなかった。英語ではなく【自国語で書いた論文が世界で通用するのは日本だけ】。そんな国はすごく貴重だし、国際化を是とする流れが長く続いても、結局変わらなかった【日本の存在意義】は、【プーチンも認める】ように、【世界の中で1つの指標になっている】。戦後長い間迷走してきたが、【安倍が新たなモデルを作って、世界に打ち出した】かたちだ。

    ポイント 女性

     【グローバリズム、あるいは国際主義】は、日本では結局、【知識人を名乗る世間知らずの“有識者”の空理空論】で終わる

    ポイント

    【共産主義もまったく同じだった】

    ポイント 女性 重要 5

    朝日OBの長谷川煕は、【朝日の社内では石を投げればマルキストに当たる】と言ったが、【マルキストもグローバリズムにもろ手をあげて追従してきた】

    女性 ポイント 10

     世界中で誰よりも先に、【共産主義の危険性といやらしさ】を知って、例えば【治安維持法】を導入したのは【日本】だ。

    気をつけよう 共産党

    ウィリアム・J・シーボルドという、マッカーサーの右腕が、「With MacArthur in Japan」(『日本占領外交の回想』)という本の中で、政治家も経済人も新聞記者も、【会う日本人すべて】が、二言目には【共産主義には気をつけろと言った】と書いている。…

    日本占領外交の回想 

    日本共産党 599

     対談のあちこちで語ったように、【日本】いろいろな側面【世界史のイニシアチブをとってきた】し、今次の【グローバリズムも、日本だけが対応せずに終わった】。…

     そういう真実が、これから【どんどん明らかになっていく】【朝日新聞】が自分でも気づかないまま【日本を貶め、日本人に自信を失わせようとしてきたのが大いなる間違い】だったし、【陰湿な米国の指針に沿って国際化を叫んできた】のも、結局、【方向を見失ったグローバリズム】になりつつある

    女性 ポイント これ

     対談で明らかになったように、【グローバリズム】も【共産主義】もナショナリズムの対極にあり、【日本人にとっては体質的に受け入れられない】【異様なもの】でしかなかった。

    ポイント 32

    そのことに早く気づいてほしいというのが、【渡部先生が我々に遺した、最後のメッセージ】といえる。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、私たち日本人が、日本という国をどのようにしていくのかを考える上で、知っておかなければならない「世界観」「世界の歴史観」について、その正しい在り方を提示している書物であり、「教科書」と表現しても良いほどの良書になります。

    読書 3-41

    さて、本文の冒頭に、「戦前の日本人は、中国を育てて手を携えようとしたことがある。日本に留学生が1万人も来た」と書かれていましたが、これは支那の「清」の時代のお話になります。

    支那の「清」の時代支配層は、「漢人」ではなく、異民族である「女真人」、つまり「満州人」でした。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 女真(女眞、じょしん、満州語: ᠵᡠᡧᡝᠨ 転写:jušen)は、女直(じょちょく)ともいい、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州にかけて居住していたツングース系民族。民族の聖地を長白山とする。10世紀ごろから記録に現れ、17世紀に「満洲」(「マンジュ」と発音)と改称した。「女真」の漢字は女真語の民族名「ジュシェン」(または「ジュルチン」)の当て字である。」

    学校の教科書では教えられていませんが、「清朝」というのは、大きく5つの民族から構成される国家でした。

    清朝の最大版図と藩部

    『 1 清朝(1636-1912)は五大種族の同君連合帝国

     清朝時代には、モンゴルとチベットと回部(かいぶ)は藩部(はんぶ)と呼ばれ、満洲皇帝に臣属しているが自治を許され漢人の移住は禁止されていた。彼らは種族ごとに宗教も言葉も法律も違い満洲語だけが共通語だった。

     モンゴル貴族清朝皇族の姻戚で、清初から同盟を結び、大事にされていた。ところが1900年の北清事変で賠償金がかさんだ清朝は、農耕民の草原への入植を奨励したので、モンゴルが独立する原因となる。』


    20世紀のモンゴル民族運動と日本 南モンゴル文化促進会 平成26年3月15日 東洋史家・学術博士 宮脇淳子

    で、その「清朝」の構造を図にしてみますと、こんな感じになります。

    満州皇帝が支配する清朝の構造

    そして、どのように「漢人」が支配されていたのかと言いますと。。。

    『 清の時代になると…西の草原帝国であったジュンガル・ハーン国と征戦を繰り返し、最終的にはジュンガル帝国を滅ぼし、ジュンガル配下のチベットをもその勢力下に収めた。それが清帝国のアジア征服の歴史であった。…しかし、清帝国版図(領土)を一律に統治したわけではない支配下のアジア諸民族の地位それぞれ違っていた朝鮮や越南などは属国であり、モンゴル盟友とした。チベット教皇領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは皇帝の国師(皇帝から高僧に贈られた称号)となり、新疆の回部(ウイグル人、イスラム教徒)とともに藩部と称され、外様大名であった。

     ではなぜ中国は清の植民地と見なされるべきか征服国家が植民地に対して行う政策との共通項あまりにも多いのである。たとえば満州人宦官にしない漢人絶対に宮女にしない漢人の藩部・藩属・化外(けがい)の地への移住禁止対外公文書漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文であり、やっと漢文を対外条約に使用しはじめたのは、アヘン戦争後の南京条約(一八四二年)である。漢人夷語(外国語)学習の禁止夷人への漢語・漢文伝授の禁止満州人漢人二重官僚制度。皇帝直属の最高権力者である軍機大臣に漢人を登用しない天朝の軍隊(中央軍)は満州人伝統の八旗軍(はっきぐん)で、漢人地方部隊の緑営(りょくえい、軍事組織の名称)。漢人はいかなる重臣といえども、清皇帝に対し「家奴」(かど、下僕)と自称…など。清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)にわたすも家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を強くもっていた。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    日本を恐れ、妬み続ける中国 

    この「満州人」が支配する「清朝」と、近代化を進めつつあった私たちの日本激突したのが「日清戦争」(1894年、明治27年)でした。

    清の艦隊を攻撃する松島を描いた浮世絵(画:春斎年昌、出版:小森宗次郎)
    清の艦隊を攻撃する松島を描いた浮世絵(画:春斎年昌、出版:小森宗次郎)

    『 20世紀の前半は、日本にとって、世界の戦乱に巻き込まれた戦争の時代でした。日本の歴史上、日本が世界史の中心に登場するのは、元寇で勝利して以来初めてのことです。この時代に、いかに日本が対処していったかは、日本人の性格、日本の歴史を知る上で重要だと思われるので、少しくわしく語りましょう。

     世界では、20世紀に戦争で死んだ人々の数が実に1億人を超え、19世紀までに戦争で死んだ人々の数を超えたといいます。技術がいちばん進歩したはずのこの「近代」に、もっとも野蛮な戦争が行われたということは、結局、近代の「進歩主義」精神が、何もその歯止めにならず、軍事技術の発展だけを助長してしまったことを示しています。よく「中世は暗黒時代」といわれましたが、逆であったといってよいでしょう。しかしそれは日本にとって試練の時代でした。欧米列強の侵攻の影で、日本は唯一アジアの「近代国家」として対抗し、強い大きな位置を占めたことは、歴史の記すところとなります。

     この戦争の時代の発端は、19世紀のイギリスとロシアの戦いでした。

     このことを述べなければならないのは、日本が大陸を侵略したという罪悪感を、戦後の歴史がいつも植えつけようとして、それを日清戦争から語りはじめるからです。これ以後の、日本の大陸での戦争を日本の責任のようにいう傾向を否定しておかなければなりません。

     この時代は、戦争の時代だったのです。イギリス中国にアヘン戦争をしかけ香港を植民地にしました。それ以後イギリス北へ向かってアジアでの侵攻を進めたのです。


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     一方ロシア南に不凍港を求めて侵略しようとしていたのです。1891年シベリア鉄道建設に着手したのも、その一環であったといえます。接している国は中国ばかりではなく、朝鮮や日本だったのです。それに対抗するため、明治二十七(1894)年日英通商条約を結んだといっていいでしょう。

     中国の支配力が強かった朝鮮は、しばしば日本と対立し、場合によっては日本が危うい立場にならないとも限りませんでした。朝鮮にも親中国と親日本の勢力があり、お互いに争っていました。それが1881年と84年に朝鮮で起きた事変で、清が支配権を強め日本を脅かす存在となりました。朝鮮王国は1894年に南部で農民が戦争(甲午農民戦争、東学党の乱)を起こしたときに、その鎮圧のために清に出兵を求めました。日本はそれを危険と判断して、朝鮮に出兵し、日清戦争がはじまったのです。

     戦争は朝鮮だけではなく、満州まで広がり、日本海戦でも陸戦でも清を圧倒しました。…アヘン戦争以後、軍隊をつくり、新兵器を装備していたからです。決定的であったのは、黄海海戦と呼ばれる明治二十七(1894)年の海軍の戦いです。日本の海軍装備は、清国より速力があり、単縦隊と呼ばれる縦の陣形を繰り出し、敵の艦隊の前面を斜めに横切り、その右翼をつくという戦法で勝利したのです。また速射砲という発射速度の早い巨砲を使い圧倒しました。


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    黄海海戦を描いた浮世絵(「於黄海我軍大捷 第一図」画:小林清親)

     フランスの新聞は、そのとき、日本の清兵に対する人道的な行動を絶賛しています。

     『 全世界に公表すべきことは、清兵日本兵に対して残酷であったが、日本兵はこれに報復せず大いに寛大優遇の処置をもって清軍の捕虜を待遇し、病人にも負傷者としみな治療あたえた』(「フィガロ」誌)

    それまでの列強は、国際法を無視し、捕虜を虐殺するのが常だったからです。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    The Great Game

    日本の歴史 本当は何がすごいのか 

    この「日清戦争」での敗戦こそが、支那が近代化へと向かうことができる唯一のチャンスでした。「日清戦争」での敗戦によって、その後続々満州人が統治する「清朝」から私たちの日本へと留学生がやって来たんです。それまでには存在していなかった「中国語」が出来たのも、この時「日本に学べ」と本気で考えることができたからです。

    ポイント 31

    『 シナ大陸では何千年も前から漢字を使ってきましたが、漢字は目で見て意味のわかる表意文字で、地方によって読み方が非常に違っていました耳で聞いてわかる共通語を作ろうという考えは、中華民国ができたあとの1918年までありませんでした。

     その理由は、紀元前221年に異民族も住む広い地域を統一した秦が、地方によって話しことばがあまりにも違うために、漢字の字体を統一するのがようやくだったからです。このあと2100年以上もの間シナ大陸では、先生の発音通りに一字ずつ読み上げて漢字の音を覚え、漢字が並んだ古典の文章を丸暗記するしか勉強法がなくいつの時代も人口の1割程度人しか漢字を使えるようになりませんでした

     一方わが日本国では、7世紀後半にすでに万葉仮名(まんようがな)と呼ばれる、話しことばをそのまま漢字の音で書く試みが始まっています。9世紀にはカタカナが誕生し、10世紀には万葉仮名の草書体(そうしょたい)としてひらがなが誕生しました。日本人は、話していることばをそのまま文字に書けるだけでなく難しい漢字もルビを振ることによって誰でも読めるようになったのです。

     日清戦争後日本に留学してきた清国留学生は、日本でカタカナとひらがなを知り、これがたいそう便利であることを学びました。1912年に中華民国が成立してまもなくの1918年に、中華民国教育部(文部省)が「注音字母」(ちゅうおんじぼ)を作って公布したのが「中国語」の始まりです。

     注音字母日本のカタカナにならった一種の振りがなで、それぞれ漢字に振って、一定した発音を表記しようとしたものです。今でも台湾ではこれがルビとして使われています


    Bopomofo 注音字母

     一方大陸のほうでは、1958年に中華人民共和国国務院が「拼音」(ピンイン)と呼ぶローマ字表記法をルビとして公布しました。これは文字通りa、b、cから始まるアルファベットで、自国の文字である漢字を学ぶ前にヨーロッパの文字を学ばなければ読み方がわからないということです。

    拼音 ピン音

     じつは拼音(ピンイン)にはもっと重大な問題があります。漢字にルビを振ることにしたとき、当局は、首都の北京方言を「普通話」(プートンホワ)つまり標準語に決めました。拼音(ピンイン)は、北京方言の発音をアルファベット書きしたものですが、北京以外の地方の人で、この通り正確に発音できる人はほとんどいません

     そもそも、アルファベットが並んだ拼音(ピンイン)だけを見ても、「ニーハオ(你好)=こんにちは」程度ならともかく、人の名前も地名も、どんな漢字なのかわかりません漢字は同音異義語が多すぎるからです。シナ大陸では、秦の始皇帝の時代から、広い地域を統一するために、耳で聞く音を犠牲にして形を見ないと意味がわからない表意文字としてだけ漢字を使ってきたからです。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    「中国語」が始まったのは、1918年になってからのことなんです

    教科書には書かれていない封印された中国近現代史 

    このように、「日清戦争」での決定的な敗北によって、満州人が統治する「清朝」は、初めて「日本に学ぶ」ことの重要性気付くことができました。

    ポイント 002

    もし、そのまま「日本に学び続ける」ことが出来ていたのであれば現在とはまったく異なった状況あったハズでしょう。

    それでは、どうして「日本に学び続ける」ことが出来なかったのでしょうか?

    女性 悩む 02

    それこそが、近現代史を理解する上での肝となるのですが、相変わらず学校では教えてはくれません(笑)

    ということで、引き続き本書を読み進めてまいりましょう。


    続きは次回に♥




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    Category: 国際
    Published on: Sun,  20 2018 00:01
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