アジアの守護神 ~ それが、私たちの「日本」なんです

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    解放(かいほう) : 解き放つこと束縛を解いて自由にすること特に差別や抑圧から解き放つことをいう

    女性 解放 両手 拡げる








    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 昭和60年(1985年)、私(筆者)は米国陸軍工兵隊寒地理工学研究所(CRREL)に勤務した。当時の私は、いち雪氷【科学者】として米国での研究生活に骨を埋める覚悟であった。

     【学生時代に旧民社党系の学生運動(民社学同)に参加】し、【左翼への反感】を抱きつつ、社会思想、政治思想、歴史、軍事知識を学び、その分野に興味を持ち、長けていたつもりであったが、【北海道開発庁】へ就職後、研究者への道へ進み、以後、政治や哲学には触れることは一生ないものと考えていた。

     【転機は台湾出身の老科学者との出会い】であった。彼は日本人である私に、【台湾人にとって日本統治時代が最良の時代であった】こと、自分が【科学者になれたのは大日本帝国が台湾に台北帝国大学への入学を許可してくれたから】であると、【当時の日本人に感謝】していた。

    台北帝国大学 正門
    台北帝国大学 正門

    また、【米国】白人のための国家であり、【有色人種にとっては、大変住みづらい国】であると語り、私に研究契約終了後帰国することを勧めていた。台湾という後進国を祖国に持つ自分は帰る場所などないが、【日本という研究大国を祖国に持つ日本人がなぜ米国にこだわるのか理解できない】と語っていた。

     「大日本帝国はそんなに悪い国だったのか?」という疑問は、自分自身が職場で白人たちによる露骨な差別を目撃することにより更に肥大化していった。もしかしたら、この【人種差別が戦争の原因】ではなかったのか。CRRELで目の当たりに見せつけられた【白人優越主義】はもう一度、あの戦争とは一体何であったのかについて再検証することを私に求めていた。

    日本人捕虜
    日本人捕虜の扱い

     【ひとつだけ確実な歴史的事実】がある。それはあの戦争により【アジア・アフリカ各国は独立し、白人優越主義から解放されたこと】である。

    ポイント 32

     【すべての植民地を失った白人国家のどこが先勝国なのか】、日本を敗戦国とするなら、【白人国家も敗戦国ではないのか】という疑問が生ずる。少なくとも【全植民地の喪失】という状況証拠は【米英仏蘭という白人帝国主義国家こそが敗戦国】であるという事実を示唆している。…

    ポイント 31

     私は負け惜しみから恣意的に【日本が実質的戦勝国である】詭弁を弄しているわけではない【科学者として】、あくまで【客観的】【合理的】判断すれば、そのように結論づけられると主張しているだけである。

    ポイント 23

     その昔、科学者であるガリレオ宗教裁判において天動説を肯定するよう強要され、表向きはそれに従いながらも「それでも地球は動いている」と言明し、科学的真理を放棄することはしなかった。私も科学者として科学的真理を放棄することは出来ない。【アジアと世界の有色人種を解放したのは紛れもなく大日本帝国である】。これが【歴史科学の真理】である。

    ガリレオ・ガリレイ
    ガリレオ・ガリレイ

     【植民地を解放すると宣言して開戦】し、【その目的を達成した国家】【敗戦国であると糊塗(こと)され】【植民地を全て喪失した国家】【戦勝国であると糊塗】されている【戦後の歴史観は科学的合理性を持たない】

    ポイント 女性

    このような捏ち上げ歴史観まかり通っている限り人類その先へは進めない。勝者によって捏造された歴史観是正されなくてはいけない【科学の世界では戦勝国によって科学法則がねじ曲げられることはない】【歴史も同様にねじ曲げられてはいけない】のである。

    ポイント 21

     本書では【大東亜戦争が白人植民地解放戦争であったことを科学的論理的に証明する】ものである。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、科学者である著者によって科学的に大東亜戦争を分析し、非常に客観的合理的に、誰にでも理解できる形で、科学的にも正しい歴史観について解説をされている良書となります。

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    本書に書かれているように、「人種差別が戦争の原因」であったという事実は、昭和天皇のご指摘からも理解することができます。

    昭和天皇 (2)

    『 人種差別と大東亜戦争との関係を考える際に、極めて重要なのが昭和天皇の御指摘です。

     昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように御指摘なさっております。

    「 この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后(ご)の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案列国の容認する処とならず黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然(またしか)りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」(『昭和天皇独白録』文藝春秋)


    昭和天皇独白録 (文春文庫) 

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    「おめでとう!そしてありがとう!」米オークションに出品された「昭和天皇独白録」高須院長が3080万円で落札! 皇室へ返納へ~ネット上には感謝の声あふれる 高須院長のTwitterフォロワーが一気に激増で30万突破!

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    高須院長「褒められた。なう」 落札した「昭和天皇回想録」を寄付し天皇陛下から6度目の「紺綬褒章」を授与される

     昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦後の平和条約、すなわちヴェルサイユ条約の中に存在していることを指摘しています。そして、国際連盟設立の際に日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」についても語っているのです。さらに、アメリカのカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及しているのです。

     ここで昭和天皇が指摘しているのは、一言でいえば「人種差別」の問題です。昭和天皇「人種差別」こそが大東亜戦争の遠因であったと指摘しているのです。

     大東亜戦争と人種差別

     何故に、大東亜戦争が人種差別と深く関わっているのでしょうか。それは、大東亜戦争が、「人種平等」という理念を掲げた戦争であったからです。

    「侵略戦争」というイメージが先行する大東亜戦争ですが、当時の日本人が掲げた大義「人種平等」の理念だったのです。本書ではこの問題を中心取り上げ、日本人が大東亜戦争で掲げていた大義そのものを検討していきたいと思います。

     日本人明治維新を成し遂げ日本の近代化を急いだ理由はどこにあったのでしょうか。

     それは、日本を植民地にしてはならぬという熱烈な愛国心からでした。当時、世界は帝国主義時代にありました。欧米列強は、アジア、アフリカのほとんどの国を植民地にし非人道的で過酷な植民地支配を行っていました。…文字通り血も涙もない残虐な支配が行われていたのです。

     人間を肌の色で差別して、人間として扱わない。それが人種差別の構造です。同じ人間でありながら対等の人間として扱われずまるで劣った生物であるかのような扱いを受けるのです。

     世界中で白人による有色人種に対する人種差別が行われていました。それが近代世界の悲しい側面でした。


    世界の植民地化の流れ
    世界の植民地化の流れ

     世界のほとんどが白人たちに支配される中独自の力で近代化を成し遂げ独立国であり続ける。これが、近代日本の基本的な目的でした。

     日本を絶対に植民地にしてはならないというのが、維新の志士たちの共通認識でした。福沢諭吉「独立自尊」の重要性を指摘しましたが、まさに「独立自尊」とは、明治維新以降の近代日本を貫く精神に他ならなかったのです。日本を決して植民地にしてはならないという意識、逆にいえば、一度選択を誤れば植民地にされかねないという危機意識大東亜戦争開戦に到るまで多くの日本人は、そうした危機意識を抱いていたのです。

     考えてみれば、明治維新とは、実に不思議な「革命」でした。通常の革命は、特権階級に対して、被支配者が立ち上がるものですが、明治維新では、自分たちが特権階級に所属する武士たちが自分たちの特権を捨てるために敢行した奇妙な「革命」だったのです。

     モーリス・パンゲは明治維新について、次のような的確な指摘をしています。

    日本の武家特権階級は他の階級の刃によって倒されるのではなかった。外国の圧力の前に、彼らはみずから革命のイニシアチブを取りそのためにみずからを消すという代償を払う」(モーリス・パンゲ『自死の日本史』講談社学術文庫)


    自死の日本史 (講談社学術文庫) 

     武士たちが武士の特権階級を自ら擲(なげう)ち、まるで自己否定するかのように近代化に邁進していったのは、独立自尊の精神の発露以外のなにものでもありませんでした。

     日本を植民地にしてはならない

     日本人が奴隷のように扱われるようなことがあってはならない

     我々の誇りを守るために多大な犠牲を払いながら大急ぎで近代化を進めた

     それが明治維新以降の日本の歩みでした。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    昭和天皇が見抜かれていた大東亜戦争の遠因 ~ クリスチャンによる非道な人種差別

    人種差別から読み解く大東亜戦争 

    で、そんな白人によるアジアの植民地支配を容認していたのが「中国」です(笑)

    ポイント 31

    『 天皇皇后両陛下は2013年の11月30日から12月6日までの1週間のご日程で、インドをご訪問された。インドには1960年の皇太子時代に、昭和天皇の名代としてご訪問して以来、じつに53年ぶりの公式ご訪問であり、歴代天皇としてのインドご訪問は初めてのことだった。

     文明史から見て特筆すべき日印の歴史的交流であり、インドのメディアもこぞって両陛下のご訪印の様子を報道した。




     文明史からみると、日本聖徳太子の時代から大仏教文明圏の一員であり、それは今でも続いている中国や朝鮮といった儒教文明圏とは文化、文明の「かたち」と「しくみ」がまったく異なる

    聖徳太子
    聖徳太子

     仏教文明の盛期には、天竺(てんじく)のインドだけでなく、南アジアのセイロンも、東南アジアも中央アジアも北アジアも北東アジアも、中国から高麗そして日本に至るまでが大仏教文明圏として、ユーラシア大陸の中洋から東側のほとんどが敬虔(けいけん)な仏教国家だった。仏教全盛期を迎え、儒教文明は漢末の六朝時代から宋に至るまで約700年の間、中華の大地から消えた。

     日本に儒教が本格的に入ってきたのは、唐と宋が滅んだ後の江戸時代だった。朱子学といわれ、儒教よりも新しい儒教であり、日本の風土には儒教はつい根を下ろすことはできなかった

     インド終戦までずっと西洋植民地の支配下にあった大東亜戦争当時日本軍インド独立を支援した。特にインパール作戦が有名である。

     当時の中国は依然として米英の支援下にあり、むしろ西洋のアジア植民地支配を認めていた

    女性 ポイント 10

     だからインドの独立運動三尊の1人、チャンドラ・ボースが重慶の蒋介石政府に対し、西洋の肩をもたずにアジア諸民族の独立に同情するよう訴えたのである


    チャンドラ・ボース
    チャンドラ・ボース

     しかし蒋介石政府は清朝時代に獲得した西域やチベットなどの植民地奪還の野望を持ち続け、アジアの植民地解放運動には、ほとんど無関心であるどころかむしろ米英と組んで国民党軍を雲南から送り込みインパール作戦を阻止した。つまり中国はインドの独立に反対したのである。

    ポイント 女性 重要 5

     だからインドは戦後、イギリスから独立すると、日本のおかげでインドの独立は30年早まったと日本に感謝し、日本に象を贈って子供たちを喜ばせブームとなった。年間1億円の貸与料でパンダを貸しつける中国の商売根性とはまったく違う

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     昭和天皇が崩御した際日本国内2日の喪に服したがインド人3日間の喪に服した。すべて「金」に換算する世俗化した儒教文明圏の人間とは違って、インド人宗教心が強く情がある。日本の天皇に対する考えや気持ちはインド人と儒教国家とは違うのだ。李明博(りめいはく)韓国元大統領のように、天皇の両手をしばって、犯罪人のように跪かせ、韓国に謝罪させるという暴言を吐く人種とはまったく対照的である。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    アジア諸国の植民地からの独立に反対していたのは、中国です

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    さて、聖徳太子が登場してきましたので、昨日の続きを少し見ておきましょう。

    漢滅亡から400年ぶりに、「隋」によって支那が再統一されますが、この「隋」の支配層「遊牧騎馬民族」の「鮮卑(せんぴ)族」でした。

    600年頃の世界地図
    600年頃の世界地図

    そして、朝鮮半島では、高句麗という国がありました。この高句麗、そしてのちの高麗が、現在の英語の「コリア」(Korea)という名称の由来になります。

    紀元前朝鮮半島周辺の様子が、次のようになりますが、

    紀元前の古朝鮮とその周辺
    紀元前の古朝鮮とその周辺

    地図上の右上にある「挹婁(ゆうろう」は、外満州付近に存在したとされる民族で、女真(満州族)と同系と考えられており、古代満州地方に住んでいた「粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)」という民族の系統で、のちの時代になりますが、私たち日本が討伐対象とした民族でもあります。

    続いて、その西にいるのが「扶余(ふよ)」という民族で、この地域には、「扶余(ふよ)」が建国する前に「濊(わい)」族が住んでいたとされています。

    ですから、南の「濊貊(わいはく、かいはく)」は、同種の近縁である濊と貊の二種族を連称したもので、「沃沮(よくそ)」や「扶余(ふよ)」、そしてのちに「高句麗(こうくり)」へと繋がって行く「貊(はく)」これらはほぼ同一言語とされていて、古代朝鮮の民族集団であったと思われます。

    一方で、朝鮮半島の南部を支配していたのが「辰国」で、そこは私たち日本人が住んでいた地域で、古代からの日本の領土でした。

    ポイント 23

    その朝鮮半島に天照大御神(あまてらすおおみかみ)の息子の一人である鵜草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)次男稲飯命(いなひのみこと)渡りその子孫「新羅(しらぎ)」の王となります。

    576年頃の朝鮮半島周辺の様子
    576年頃の朝鮮半島周辺の様子

    稲飯命(いなひのみこと)は、神武天皇のお兄さんの一人です。

    『新撰姓氏録』にも、文字による記録として、「稲飯命は新羅王の祖である」としてハッキリと残されています

    新羅王祖

    詳しくはこちらをご参照❤

    支那、朝鮮の歴史認識は、「あの大学」が元凶のひとつなんです

    戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ 

    以上の関係を理解した上で、次回以降にもう少しお話を進めてまいりたいと思います。

    600年頃の世界地図
    600年頃の世界地図



    続きは次回に♥




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    Category: 大東亜戦争
    Published on: Mon,  22 2018 00:01
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