朝鮮人の子供たちの自由を奪った日本人

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    教育(きょういく、羅: educatio、英: education、仏: éducation, enseignement、独: Bildung, Erziehung、西: educación、葡: educação、露: Образование、亜: تعليم‎)は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり技能を身につけさせたり人間性を養ったりしつつその人が持つ能力を引き出そうとすることである。

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    オランダの植民地の下で自由闊達に育ったインドネシアの現在の子供の一例







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 日本朝鮮半島の【子供たちの自由】奪いました

    ポイント 女性 重要 5

     その最も象徴的なものが、【朝鮮人の子供たちに学校に通うことを強制した】ことです。

    ポイント

     【日本が朝鮮(大韓帝国)を併合】したのは1910年(明治43年)ですが、その5年前の1905年第二次日韓協約(日韓保護条約)によって【朝鮮を保護国】とし、漢城(現・ソウル)に【総監府】を置いています。

    統監府庁舎
    統監府庁舎

    当時、【朝鮮半島には小学校はわずかに40校しかありませんでした】が、日本総監府を通して、大韓帝国に対して、【「小学校を作れ!」と内政干渉】とも言える【命令を下しています】

    韓国統監旗
    韓国統監旗

     現代の私が見ても、この命令の意図わかりません

    女性 悩む 02

    保護国とは言え、【他国である大韓帝国に小学校を作っても、日本に何の利益もない】ように思えるからです。ただのいやがらせにしか見えません。

    ポイント 31

     【大韓帝国がこの命令に積極的に従わなかった】のは当然です。

    女性 ポイント 11

    5年後【日本が大韓帝国を併合】した時でさえも、【小学校はわずか60校増えただけ】でした。

    大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
    大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏

     1910年【日本が大韓帝国を併合】した時、【まっさきに行ったのが、朝鮮全土に小学校を建てたこと】です。

    朝鮮総督府庁舎
    朝鮮総督府庁舎

     この理由を推測すると、日本は、【朝鮮人労働者を大量に生産しようと考えた】のではないでしょうか。

    女性 ポイント 10

    【日韓併合】当時【朝鮮人の文盲率(もんもうりつ)は90%を超えていた】と言われています。

    女性 (笑)

    「文盲」というのは【文字を読めない人】のことです。戦前の「東亜日報」には、1920年代まで【朝鮮人の文盲率は80~90%】であったという推測記事が載っています。

    子供 笑う 女性

     日本政府は、【こんな字も読めない人間がいくらいても単純労働にしか使えない】と考えたのかもしれません。

    女性 ポイント 10

    実際、機械の仕様書や仕事の割り当て表が【読めなくては、近代的な工場では使いものになりません】し、また【計算もできないようでは、金を扱う仕事もさせられません】。そこで【日本政府は朝鮮半島全土に一面一校(一つの村に一つの小学校)を目標に】して、【凄まじい国家予算を投入】して【小学校を建設した】のです。

    The number of public regular schools (公立普通学校) and students
    The number of public regular schools (公立普通学校) and students

    そして1943年までに【4271校の小学校を開校】し、なんと【目標の2倍の一面二校を実現した】のです。

    Enrollment rate of public regular schools (公立普通学校)
    Enrollment rate of public regular schools (公立普通学校)

     これは決して美談などではありません

    ポイント 女性 重要 5

    日本政府使える労働者育成するためにやったことで、多大な国家予算をつぎ込んだのも投資に過ぎずいずれは日本中の工場や会社で回収できると考えたに違いありません。要するに自国のことだけを考えてやっただけのことなのです。

    女性 ポイント 10

     【アフリカや東南アジアを植民地にしたヨーロッパ諸国は、日本のような考え方はしません】でした。

    ポイント 女性

    彼らは自国に都合の良い労働者を作るために、【植民地の子供たちに無理やり教育などは決してしません】でした。【オランダ】インドネシアを200年も支配しましたが、その間、現地の子供たちが通う小学生などは【一つも作っていません】。これはアフリカや東南アジアを支配した【イギリスもフランスもスペインも同様】です。

    ポイント 32

     ヨーロッパ人たちは、自国では子供たちに強制的に教育を課しましたが【植民地の子供たちには、そんな無茶なことはしません】でした。あくまでも【子供たちの自由を尊重してきた】のです。

    子供 自由

     考えてもみてください。【子供は本来、奔放に気ままに生きるもの】です。勉強なんか誰だってしたくありませんそれを【他国が無理やりに就学させて勉強させるなどということは許されることではありません】。…

    ポイント 31

     【日韓併合】時において、【それまで学校なんかほとんど存在しなかった国の子供たちに無理やり学校に通わせる】ことが、【いかにひどいことであったか】わかるでしょう。

    女性 ポイント 10

    これはもう【人権蹂躙問題】と言えます。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただくのは、一橋大学での講演在日朝鮮人とパヨクに妨害されたり、

    百田尚樹
    【一橋大学】百田氏の講演中止騒動、在日韓国人と教員60人が中止運動に加わっていたと判明…

    日本のメディア報道の「不正確さ」を訴えるもののメディアに完全スルーされたり

    百田尚樹
    百田尚樹「現在の日本のテレビは「反日」です」「従軍慰安婦問題は朝日新聞のフェイクニュースから始まりました!」(※動画あり)

    さらには新刊なのに店頭に並べず裏の倉庫に隠している「本屋さん」異常に多い中、それでも現在16万部突破破竹の勢いのベストセラーとなっている書物です❤

    読書 女性 26

    でも、どうしてこれほど「バカ売れ」しているのでしょうか?

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    最近では、あの「残紙問題」で有名「毎日新聞」まで、大きく取り上げていますね❤

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    【毎日新聞】 今週の本棚 橋爪大三郎・評 『今こそ、韓国に謝ろう』=百田尚樹・著

    百田尚樹 毎日新聞

    こちらもご参照❤

    サラ金とか、ブン屋とか・・・



    それほど話題になっている書物なので、皆さんも、ぜひご覧になってみて下さい

    ポイント 000

    さて、本日は、本文中に書かれた、「朝鮮」を私たち日本人の祖先が日本の単なる一つの地域として併合してあげた「日韓併合」のところを、少し見てみましょう。

    まず、勘違いをしてはいけないのが、日本の単なる一つの地域として併合してあげた「朝鮮」ですが、そこに住む異民族の人間と、私たちのように歴史のある日本人とが、同じような考え方を持った人間であると考えてしまうことです。

    そんな風に勘違いをしてしまったことが、現在生じている様々な問題を引き起こしているからです。

    日韓併合 ポスター 内鮮協力

    全く異なった考え方をする朝鮮人と、話し合えば理解しあえるとか、協力し合えるとか、勘違いしていると、足を引っ張られるだけで、面倒なことにしかなりません相手にしなければ、私たち日本人はとても幸せに過ごしていくことができます

    ポイント 21

    「 1853年にアメリカの特使、ペリー提督が武装戦艦隊を携えて、日本に開国を要求したとき、徳川幕府は世界の情勢を検討した結果、日本は開国すべきであるとの結論に達してその要求に応じて開国した。明治維新後は「文明開化」が国是となり、開国時にアメリカによる脅迫の下でやむなく調印した不平等条約を改定するために、近代国家としての制度の整備と経済の発展、戦力の増強とに励むことになった。すなわち、列強に伍することを目指すか、そうでなければ、当時の中国のように西欧の列強に侵食されるかインドのように植民地統治を受けるか選択を迫られていたのである。日本の場合には、開国し、近代化によって独立国家として他の西欧諸国と競争してゆく道を選択した。後の展開を考えると、それは賢明な決定であったといえよう。

     外国に目を向けると日本は安心できる状況ではなかったロシアシベリアに進出し、現在の中国の東北地域を勢力圏に入れ、当時鎖国をしていた朝鮮の李王朝に開国を迫っていたし、朝鮮の植民地化も視野に入れていた。朝鮮当時中国の属国の地位に甘んじていて、中国政府が他国の侵略から朝鮮を防衛する立場にあった。しかし、中国清朝の行政能力は極度に低下していて、各地方の豪族がかなりの地域を支配していた。…日本の懸念は、ロシアが朝鮮に進出してくることであった。…日本としては、朝鮮が独立国として、中国からも独立し、ロシアに対しても対等に行動でき、日本に友好的な国になることを望んでいた。少なくとも、朝鮮が日本と協力して、ロシアの進出を阻止する力になることを政府は狙っていた。何故なら、朝鮮がロシアの植民地になると次は日本が狙われることは明白だったからである。


    条約締結の情景(日朝修好条規)
    条約締結の情景(日朝修好条規)

     1876年に日朝交渉がやっと開始され…3月22日に「日朝修好条規」が批准され、発効することになった。この条約によって初めて、日本国は朝鮮国を独立国として認め初めて朝鮮は他国から独立国と認められたのである。しかし、朝鮮の自立はなかなか進まなかった。1882年朝鮮に内乱が起こると、清国は多大な数の軍隊を派遣してそれを鎮圧し、その後は、李朝に対する干渉を更に強めた。旧来の宗属関係よりも、むしろ近代的な植民地支配へと移行していったのである。この様な、干渉強化が進むにつれ、朝鮮内部の独立を志向していた開化派官僚たちはそれに反駁し、自主的開国の経験を持つ日本の後押しを望むようになった。」

    以上は、こちらの書物に書かれている内容になります。

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    朝鮮内部独立を志向していた開化派官僚たちが、日本の後押しを望むようになったと書かれていましたが、そこで支援者として有名なのが、あの福沢諭吉です。

    福沢諭吉
    福沢諭吉

    「 明治初期最大の言論人といえば、脱亜論で知られる福沢諭吉です。最近の研究者は、脱亜論と言われるようになった『時事新報』の論説が無署名で、福沢が書いたものかどうかということにこだわっているようですが、どうでもいいことです。
     福沢は早くから朝鮮の開化派と親交を持ち、慶応義塾に留学生を受け入れていました。私財を投じて彼らの面倒を見て、ソウルに新聞『漢城旬報』を作ります。李朝がまったく顧みていない、ハングルの普及にも努めました。政変の後、刺客に追われる金玉均(きんぎょくきん)朴泳孝をかばったりもします。筋金入りの親韓派です。


    日本亡命中の金玉均(1885年)
    日本亡命中の金玉均(1885年)

     しかし甲申事変の後閔(みん)氏開化党の家族を凌遅刑(りょうちけい)にしたという報を聞き、激烈に朝鮮を罵倒します。「朝鮮はこの世の地獄だ」「朝鮮人民の為に、李氏が滅びるのを望む」という調子です。凌遅刑とは、体中の皮膚を削ぎ落としながら苦しめて殺すという拷問で、朝鮮では最大級の刑罰です。死刑は最高刑ではなく、その上に「苦しめて殺す」があるのです。

     私の好きな国と嫌いな国の基準は単純で、その国の真人間が報われているかどうかです。李氏朝鮮は明らかに大嫌いな国です。…開化党は、教育と軍事、それを支える経済が国の根幹だとわかっているのです。しかし、そのような真人間は報われません。とはいうもののの、その連中もアメリカの力を頼ろうとするのですから、やはり福沢諭吉のように怒りたくなる気持ちもわかります。

     国内政治でも、国際政治でも、原理は基本的に同じで、相手を利用するか、されるかです。また、相手を利用するということは、利用されるということでもあるのです。

     だから、金玉均を「親日派だからいい人だ」とか、「アメリカにも色目を使っていたから悪い人だ」ということ自体がナンセンスなのです。金玉均たちが政治家として指弾されるべきは、義理堅い日本人を無視して、アメリカに接触して何の成果も得られなかったことです。結果責任を伴わないというのは、李氏朝鮮のすべての政治家に言えます。

     さて、明治17年(1884年)12月4日、竹添進一郎日本公使の協力を得て金玉均らの閔氏政権に対するクーデターが敢行されます。甲申事変です。これは日本政府の統一意志ではなく、竹添の独断です。むしろエスピオネーゼ(裏工作)に属することなので、公式決定をするなどありえません。


    竹添進一郎
    竹添進一郎

     それはともかく、金玉均は日本のような改革を行おうとします。そこでまず、「国王殿下の呼称の廃止」「清への朝貢の中止」を宣言します。韓国の愛国者なら、まず言いたくなるような正論です。しかし、正論ですが、何の根回しもせずに行えば、宗主国を気取る清に喧嘩を売るようなものです。「時期を見誤った正論はただの暴論」を地で行くような計画性のなさです。

     当時の清は、ベトナムをめぐりフランスと交戦中で、朝鮮にはかかわれないと思われていたのですが、運悪く直前に戦闘が終了してしまいます。しかも清はフランスに負けてベトナムでの影響力を失ってしまったので、朝鮮への執着を深めます。手駒としては軟禁中の大院君がいます。


    幽閉中の大院君(1883年)
    幽閉中の大院君(1883年)

     こうした情勢で先に動いたのが閔妃(みんぴ)でした。失脚した閔妃は、袁世凱の軍事力を頼って開化派に逆襲します。日本軍150人に対し、清軍1500人が取り囲み、銃撃戦になります。日本公使館は、またもや焼き打ちに遭ってしまいました。竹添公使は長崎へ脱出し、首謀者の金玉均や朴泳孝は日本へ亡命します。クーデターは3日で失敗しました。

    閔妃
    閔妃

     このとき、開化派要人の三親等以内の家族凌遅刑にされ福沢が激怒したのです。

    洪鐘宇に殺害される金玉均
    洪鐘宇に殺害される金玉均

    閔氏海外にまで暗殺団を派遣し、金玉均上海で射殺されて、遺体は凌遅刑にされさらに体を五つに裂かれそれぞれ別の場所でさらされました

    「大逆不道玉均」として河原に晒された金玉均。(1894年)
    「大逆不道玉均」として河原に晒された金玉均。(1894年)

     結局、清の後ろ盾を得たほうが勝つというのが朝鮮宮廷の政治なのです。開化党と対立した閔妃清の後ろ盾を獲得して権力を維持します。一方日本に倣って改革を行おうとする真人間非業の最期を遂げたのです。」

    金玉均の墓(青山霊園)
    金玉均の墓(青山霊園)

    こちらもご参照❤

    死刑以上の最高刑がある国 ~ やっぱり正しい脱亜論



    で、この後に、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)という「農民の内乱」が発生します。別名で、「東学党の乱」です。

    「  さて、日清戦争に関する韓国検定教科書の主張です。

    《 日本人をはじめとする外国の侵略に対し東学農民運動立ち上がった

     絶句しました。確かに教科書の単元ごとのキーワードには「清日戦争」とあるのですが、延々と「東学農民運動」の話ばかりしているのです。日本人にとっては「東学党を名乗る農民反乱が朝鮮で起きました」、以上。で、すんでしまうレベルの出来事ですが、朝鮮民族の栄光を称える大韓民国の歴史観では、単元のほぼ全部を使ってでも称えるべき特記事項が農民反乱なのです。

     歴史教科書の問題で日本人は、「こんなひどいことが書いてある」という指摘はよくするのですが、「こんな大事なことが書かれていない」ことのほうが重要な場合もあります。たとえば、「日本人が三十万人の中国人を殺した」とされる真偽不明の南京事件は載っているのに、日本人が虐殺された通州事件が無視されている、などです。


    通州事件 1

    歴史では、「事実認定においてあからさまな誤りがあってはならない」ことは当たり前で、「どの事実を取り上げるか、また取り上げないか」によって歴史観が現れるものです。

     ちなみに、このあたりは中国も同じです。ある雑誌で、近現代史における重要事件で中国人がどのような間違いを主張しているかを指摘したうえで反論するという企画があったのですが、中国人は日露戦争にはまったく言及していないので、担当者が困ったという話がありました。「そんな人物は歴史上、最初から存在しなかった」「そんな事件は歴史上、最初から存在しなかった」とは儒教圏における歴史記述の得意技です。中国人は王朝そのものを平気でなくしてしまう…


    通州事件 2

     朝鮮を舞台にした日清戦争、清朝父祖の地・満州を舞台にした日露戦争のような重大事件が載っていなくて、自分たちの歴史がわかるのかと疑問に思います。

     ついでに言いますと、ソ連科学アカデミーに代表される共産主義者も「歴史抹消」は得意です。集合写真だったはずなのに、粛清された人物を次々と修正削除するや、いつの間にか写っているのはスターリンただ1人だった、というような笑えない冗談もあります。こういうところが、儒教国に共産主義が浸透しやすいところかもしれません。

     仕方がないので、どこの概説書にも載っている、否定のしようのない事実を羅列していきましょう。

     まず、東学党とは、西洋の経済や文化的な侵略に対し、東洋本来の精神で対抗しようとしたと理解されていますが、より正確には朝鮮ナショナリズムの追求です。

     西洋の文物を取り入れようとする開化思想も、儒教精神に則った衛正斥邪(えいせいきじゃ)思想も両方排して、民衆の救いを目指そうと1860年に崔済愚(さいせいぐ)がはじめました。儒教のような難解な学問ではなく、「天に感謝すれば救われる」という単純極まりない教えを信じればいいだけという教義なので、ほとんど文字が読めなかった朝鮮の民衆にも急速に普及します。…

     この東学農民運動、検定教科書では延々と4頁にわたって図表入りで活動が紹介されているのですが、「官吏の収奪に耐えかねた多くの農民たちが蜂起し、日本や西洋を追い出そうとした」以上の内容がまったく読み取れないのです。一応、申し訳程度に「清の商人より経済的打撃を受けた」くらいのことは書いてあるのですが、「農民が決起した」が強調されるだけで、そのほかの大事な事実関係が全部飛ばされているので、はっきり言って何がなんだかわかりません。とにかく、思想性はあまりないけれども民衆の気持ちをつかんで勢力を張ったのが東学党です。」


    こちらもご参照❤

    儒教圏における歴史記述の得意技 ~ 通州事件



    要するに、朝鮮人が現在受けている教育では、単なる「農民の内乱」が、「外国の侵略に対し」たものであったかのように教えられているわけです。

    ポイント 31

    しかし、例えば、この書物によりますと。。。

    ダウンロード 

    「 朝鮮南部の反乱は首都の不安をかきたてていた。…スケールは小さいものの、このような動きは朝鮮半島では毎年春になると見られる…地方で官僚による搾取怒った農民が蜂起し、…暴力を用いて役人を追い払ってしまうのである。処罰はめったに行われない。国王は別の官僚を送り、新たなその役人はまた農民から搾取し、搾取が我慢の限界を越えると実力行使で追い払われ、…振り出しに戻る。…東学党の乱は…ソウルその他の都市部においても…広範に組織された運動だった

     東学党の乱…極めて正当な目標を掲げ…檄文は国王への忠誠を敬語を用いてあらわし、ついで苦情を…穏健な言葉で述べ次のことを主張している。朝鮮の官僚私利私欲のために民衆を苦しめている悪事について…国王の耳に入れていないこと。…国の繁栄に…無関心で…私腹を肥やす彼等の収奪行為を取り締まるすべは…ないこと。科挙試験贈収賄取り引き売買の場以外の何物でもなく、文官としての適性をみる試験ではもはやないこと。官僚たちは…国の負債には我関せずであること。彼等は「傲慢で、虚栄心が強く、姦通にふけり、貪欲である」こと。…「平和時には媚びへつらい、有事の際には逃げ出して任務に背く」こと。」


    つまり、反乱を起こしていた農民は、自分たちを搾取する者へ怒りを抱いていたのであって、その中心にいるのが忠誠を誓う国王であることを理解していなかったわけです。

    実態がこんな感じであったにもかかわらず、朝鮮人は教育で「外国の侵略に対し・・・」などと教えられているんです。

    女性 ポイント 10

    圧政に苦しめられた農民たちが、あちらこちらで反乱を起こしたのが甲午農民戦争の実態であって、その混乱によって被害を受けたりしないように、現地在住の日本国民を保護するために、私たち日本は当然軍隊を派遣しました。当の朝鮮人治安維持能力があれば、そんな必要などなかったんですが(笑)

    そして、日清戦争へと向かっていきます。

    「 1894年5月に不当な徴税に反対する農民集団が全羅道で決起した。この東学党の乱(甲午農民武装蜂起)が拡大し、国家的な危機となった時に、日本と中国がその鎮圧のために兵を出した。日本はその当時に進出していた邦人の安全を確保するためとして出兵し、中国は宗主国として出兵した。…李朝は急遽、農民軍の幣制改革案を受理し、両軍の撤収を要求したが、日本はより徹底した内政改革が実施されなければ内乱が再発するとして軍の撤収に応じなかった。逆に日本側は清国軍の徹兵を要求し、李朝に清国との宗属関係の破棄を迫ったため、7月には、日本軍と清朝の軍隊の戦闘になったこれを日清戦争というが、両国は朝鮮における影響力を得るために競ったのである。

     それは結局…日本軍の勝利で決着し、1895年4月に日清講和条約(下関条約)が締結された。新興日本が大国中国を倒したのである。それは一般には予想されない結果であった。この日清戦争の結果朝鮮は中国から独立し、日本と対等な国家となったのである。そして台湾の領有権が清朝から日本に移管された

     しかし、その直後ロシア、ドイツ、フランス日本が戦利として獲得した遼東半島の領有権を放棄するように強力な圧力をかけてきた。戦力に余裕のない日本はそれを苦々しく了承したのである。すなわち、三国干渉である。これらの三国は、その干渉の代償として、中国から遼東半島など各地の利権を獲得した。ヨーロッパの列強は、隙さえあらば利権をむさぼり取る習性があることを日本は学んだのである。

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     三国干渉の結果李朝はロシアへの関係をますます深め、親日官僚は排除され、親露派が多数入閣するようになった…李朝政府には、ロシアの軍事顧問や財政顧問などが任命され、日本の影響力は消滅した。隣国にロシアの傀儡政権が出来たのである。この様な情勢の中で、1896年には朝鮮知識人によって独立協会が設立され、…自主独立と朝鮮人自らの手による改革を提唱した。

     しかし、その頃、列強諸国の進出は著しく、ドイツは膠州湾を清国から占拠し、99年間の租借権を獲得、ロシアの太平洋艦隊が旅順に入り、遼東半島とその沿岸を25年間の租借権を得、フランスは華南の利権を、イギリスは九竜半島の租借権を得たのである。正に西欧列強のやりたい放題であった。これが列強による植民地政策の真実であり、このことを抜きには日中戦争も太平洋戦争も語れないことを日本人は真に再認識しなければならないのである。」


    以上は、こちらの書物に書かれている内容になります。

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    さて、こうして朝鮮がロシアの手に渡ったわけですが、このことは、当時の日本にとっては脅威以外の何物でもありませんでした。

    「 20世紀の前半は、日本にとって世界の戦乱に巻き込まれた戦争の時代でした。日本の歴史上、日本が世界史の中心に登場するのは、元寇で勝利して以来初めてのことです。この時代に、いかに日本が対処していったかは、日本人の性格、日本の歴史を知る上で重要だと思われるので、少しくわしく語りましょう。

     世界では、20世紀に戦争で死んだ人々の数が実に1億人を超え、19世紀までに戦争で死んだ人々の数を超えたといいます。技術がいちばん進歩したはずのこの「近代」に、もっとも野蛮な戦争が行われたということは、結局、近代の「進歩主義」精神が、何もその歯止めにならず、軍事技術の発展だけを助長してしまったことを示しています。よく「中世は暗黒時代」といわれましたが、逆であったといってよいでしょう。しかしそれは日本にとって試練の時代でした。欧米列強の侵攻の影で、日本は唯一アジアの「近代国家」として対抗し、強い大きな位置を占めたことは、歴史の記すところとなります。

     この戦争の時代の発端は、19世紀のイギリスとロシアの戦いでした。

     このことを述べなければならないのは、日本が大陸を侵略したという罪悪感を、戦後の歴史がいつも植えつけようとして、それを日清戦争から語りはじめるからです。これ以後の、日本の大陸での戦争を日本の責任のようにいう傾向を否定しておかなければなりません。

     この時代は戦争の時代だったのです。イギリスが中国にアヘン戦争をしかけ香港を植民地にしました。それ以後イギリス北へ向かってアジアでの侵攻を進めたのです。

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     一方ロシア南に不凍港を求めて侵略しようとしていたのです。1891年、シベリア鉄道建設に着手したのも、その一環であったといえます。接している国中国ばかりではなく、朝鮮や日本だったのです。それに対抗するため、明治二十七(1894)年、日英通商条約を結んだといっていいでしょう。

     中国の支配力が強かった朝鮮は、しばしば日本と対立し、場合によっては日本が危うい立場にならないとも限りませんでした。朝鮮にも親中国と親日本の勢力があり、お互いに争っていました。それが1881年と84年に朝鮮で起きた事変で、清が支配権を強め日本を脅かす存在となりました。朝鮮王国は1894年に南部で農民が戦争(甲午農民戦争、東学党の乱)を起こしたときに、その鎮圧のために清に出兵を求めました。日本はそれを危険と判断して、朝鮮に出兵し、日清戦争がはじまったのです。

     戦争は朝鮮だけではなく、満州まで広がり、日本は海戦でも陸戦でも清を圧倒しました。…アヘン戦争以後、軍隊をつくり、新兵器を装備していたからです。決定的であったのは、黄海海戦と呼ばれる明治二十七(1894)年の海軍の戦いです。日本の海軍装備は、清国より速力があり、単縦隊と呼ばれる縦の陣形を繰り出し、敵の艦隊の前面を斜めに横切り、その右翼をつくという戦法で勝利したのです。また速射砲という発射速度の早い巨砲を使い圧倒しました。

     フランスの新聞は、そのとき、日本の清兵に対する人道的な行動を絶賛しています。

     『 全世界に公表すべきことは、清兵は日本兵に対して残酷であったが、日本兵はこれに報復せず、大いに寛大で優遇の処置をもって清軍の捕虜を待遇し、病人にも負傷者としみな治療】たえた』 (「フィガロ」誌)

    それまでの列強は、国際法を無視し、捕虜を虐殺するのが常だったからです。」


    こちらもご参照❤

    The Great Game



    で、日露戦争となるのですが、詳しくはこちら(↓)の書物をご覧ください。

    「 いよいよ司馬遼太郎さんの「乃木愚将論」が、本格的に正されるべき時代になった--。

     今回、乃木希典大将と日露戦争の実像を詳細に描き出した本書が復刊されるのは、まことにその思いを強くさせるものである。

     本書はもともと、陸軍士官学校五十二期で中野学校にも学んだ桑原嶽さんが、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』『殉死』描かれた乃木像の「誤り」を正すべく、中央乃木会(乃木神社の崇敬会)の機関誌『洗心』に昭和五十八年(1983)から六十二年(1987)まで連載していたものである。その後、中央乃木会が発刊する私家本のようなかたちで『名将 乃木希典』と題されて一冊にまとめられ、平成二年(1990)に発刊されていた。だが、ほぼ乃木神社での社頭のみでの販売だったこともあり、まさに知る人ぞ知る伝説の書のような存在であった。

     桑原さん以前にも、「司馬さんの描く乃木像は間違いだ」と声を挙げた人々はいた。しかし、それらはまとまったものとは言えず、大きな潮流になることもなかっな。そして司馬さんの『坂の上の雲』が大ベストセラーになり、広汎な読者層を得ていったので、国民一般には、「乃木は精神主義だけで、戦が下手な愚将であった」という認識が広まり、定着していった。そのような風潮の中で、桑原さんは乃木大将と第三軍の戦いの軍事的な意味を、詳細に論じてみせたのであった。…

     本書を一読されればおわかりになるとおり、その知見を十二分に活かして「戦場の実際」を合理的に分析し、次々と実証的に描写されていく様は圧巻というほかない。桑原さんが砲兵出身であることも、本書にとってはきわめてプラスに作用していると言える。砲兵というのは、ある意味で合理的思考の極致ともいうべき兵種である。そんな国際水準の専門性を備えた砲兵科のプロフェッショナルが、旅順戦を考察した意味も大きい。

     実際に戦場という特殊な極限状況に身を置き、多くの部下を率いた経験も踏まえつつ、いわば「身を切られる」ような思いで戦史を検証することの「重み」については、私などがあらためて指摘するまでもあるまい。司馬さんの『坂の上の雲』の軍事学的な誤りを指摘する本は、桑原さんの本が発刊された後に、いくつか出版されたが、本書はそれらの本の「ものの見方」の端緒となった一冊であるばかりでなく実際に「昭和の大戦」を戦わねばならなかった当の人物が精魂を傾けて日露戦争を論じた力作という意味でも、きわめて貴重な書と言える。

     本書では、司馬遼太郎さんの作品の軍事的な誤りが、完膚なきまでに次々と指摘されていく。それは、今も多い司馬さんの小説の愛好家にとってはある意味目を蔽(おお)いたくなるような過程かも知れない・・・」


    詳しくはこちらをご参照❤

    桑原 嶽  乃木希典と日露戦争の真実

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    「 1904年2月…日露戦争が始まった。…朝鮮及び満州の権益をかけての争いであった。1905年には、旅順が陥落しロシア軍は敗走した。奉天会戦に続き、日本海海戦で日本が劇的勝利を得、世界中を驚かせた。9月にアメリカの仲介で、日露講和条約(ポーツマス条約)が調印された。この条約で、日本は朝鮮半島における政治・軍事・経済上の特権をロシアから受け継ぐことを承認された。…この条約に基づいて第二次日韓協約が結ばれた。韓国ロシアの影響力から離脱し、完全に日本の保護国となった。すなわち、朝鮮は自主的に行動できずに、ロシア、中国に植民地化されようとしていた。そのロシアや中国から朝鮮半島を守り日本自身が将来植民地化されることをも未然に防ぐ目的のために日本は日清・日露の二度の戦争をしなければならなかったのである。若し日本が日露戦争に負けていたら、朝鮮はロシアの植民地になり、日本自体の領土も一部割譲しなければならなかったであろう。この事実を日本人のみならず朝鮮人や韓国人の皆さんも認識しなければならない。ところが当の韓国は一度たりとも中国の属国ではなかったと主張する現況下では何をか言わんやであり、全く話にならないのである。彼らの歴史認識には感情論が大きく支配し客観性が欠落しているのである。」

    以上は、こちらの書物に書かれている内容になります。

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    まあ、精神病である朝鮮人が、いくら努力したところで歴史事実を正しく認識することなんて、まず無理でしょうけれども❤

    ポイント 31

    詳しくはこちらをご参照❤

    精神障害と朝鮮人



    現在でも文盲率が高い朝鮮人のためにも、動画だったら、なんとか理解できるかと思いますので、いくつかご紹介しておきますね!









    続きは次回に♥




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    Category: 日朝関係
    Published on: Sun,  30 2017 00:01
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