日本人でも外国人でも、左翼は知性が低いんです

    脳
    知性 : ①物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。②比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 『日本 ― 喪失と再起の物語 ―― 黒船、敗戦、そして3・11』
    ディヴィッド・ピリング著 早川書房 平成26年

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    本書【『フィナンシャル・タイムズ』】アジア編集長で、平成14年から同20年まで東京支局長を務めたジャーナリストによる東北大震災のルポと日本の近現代史の書である。…

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     著者「まえがき」で 《 日本における変化の生じ方は、数ある神社の頂点に立つ伊勢神宮の遷宮(せんぐう)にたとえられることがある 》 といっている。それが20年毎に建て替えることについて《 つまり自らを立て直す能力はあるが、常に以前と同じ材料を使うことが前提条件となっているのだ 》。これを日本の「強固な自意識」だといっている。

    ヘンリー・キッシンジャー
    ヘンリー・キッシンジャー

    アメリカの国務長官であった【キッシンジャー】が周恩来との会談で、日本の急激な変化を可能にしているのは同国の支配する「部族的な視野」である。

    「だからこそ日本は突如として驚くべき大変化を遂げることが可能なのだ。2、3年で封建制度から天皇崇拝へ移行し、3ヶ月で天皇崇拝から民主主義に移行できたのもそのためだ」

    などと【勝手な御託】を並べているのを引用して感心している。

    しかし、こうした日本の歴史的変遷【「突如として驚くべき大変化」と見る視野】とは、完全に【西洋の「封建ー近代」と移っていくという進歩史観からの謬見(びゅうけん)】であり、「部族的視野」の「強固な自意識」などという言葉こそ【見誤っていることに著者は気づいていない】らしい。

    ポイント 女性 重要 5

    【外からはそのような変化に見える】かもしれないが、【内部の人々にきちんとした連続性をもった道徳感、宗教観がなければ、そのような歴史的変化が可能になるはずがない】

    ポイント 21

     伊勢神宮《 周囲を取り囲む広大な鎮守の森も神聖視されているため、伊勢神宮はロンドンで言うならセント・ポール大聖堂というよりは王立公園のハイド・パークに神々を祀ったような存在に近い 》などといっているので、【日本がイギリスなどという国よりもはるかに古い国であることもわかっていない】ようである。

    ポイント 女性

    だいたいセント・ポール大聖堂ハイド・パーク17世紀末の建物庭園であり、【伊勢神宮と千年もの差がある】。…【伊勢神宮と、俗なるハイド・パークを比較したりするのも無教養】に見える。

    伊勢神宮2014

    【単なるイギリス文化優位主義が見えるだけ】だ。

    ポイント 23

    ときには西洋中心主義を批判するべきなどといっているが【こうした左翼ジャーナリストの言葉はただの言葉遊び】に過ぎず【感覚は凡庸な西洋優越主義】にしか見えない。…

    女性 ポイント 10

     【7年間も日本にいて、一体日本の何を見たというのであろう】

    ポイント 31

    これなら【7日もいればいい程度の日本文化の見方である】。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させて頂く書物の著者が書かれた、その良書のいくつかは、当ブログでも、すでにご紹介させて頂いております。現在の日本で見られる戦後左翼の末期的症状からも分かります通り、左翼は「負け組」として確定しつつあり、また、これまで行ってきた数々の不正や捏造そしてそれらのやり方が、次々と書籍やネット上で暴露されていて、それでも未だに、必死の形相で嘘に嘘を重ねて隠そうとしていますが、どうやら無駄な抵抗のようですね♥

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    本書には、ご紹介させて頂いたような、左翼外国人が書いた内容の乏しい本を、反証とともに徹底的に扱(こ)き下ろす一方で、同じ外国人でありながらも、深い洞察力とともに客観的に日本論が書かれた良書についても紹介されていますので、本書一冊両方を比較して理解することが出来ます。

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    さて、ここからは昨日の続きとなりますが、

    上皇 

    200年ぶりに「上皇」が復活する皇室のお話と、「妻問婚(つまどいこん)」の習わしから生じた、平安時代藤原氏による摂関政治の問題点のお話、そして、「私たちの日本という国の形」、つまり「くにがら(国柄)」であり、「國体」である「憲法」のお話、これらは、すべて一つのお話として、まとめて考えることが出来ます

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    私たちの日本を統一するべく九州・宮崎から近畿へと向かった鵜草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)長男で、統治の王である五瀬命(いつせのみこと)と、それを補佐する四男の佐野命(さののみこと)たちは、当時大和を支配していた、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)息子の一人である大年命(おおとしのみこと)こと饒速日命(にぎはやひのみこと)対峙します。

    ちなみに、大年命(おおとしのみこと)こと饒速日命(にぎはやひのみこと)が、のちの物部(もののべ)氏の祖となります。別の呼び方に、「大物主命(おおものぬしのみこと)」がありますが、物部(もののべ)氏の祖だから、その名で呼ばれるわけです。

    詳しくはこちらをご参照♥

    日本にあった?! 不老不死の薬



    さて、この戦いにおいて、総大将である五瀬命(いつせのみこと)亡くなってしまいます

    ですから、同行していた四男の佐野命(さののみこと)が、「神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)」として統治の王を引き継ぎます

    そして、何とか大和を平定し、「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」(のちの「神武天皇」)として、橿原宮で践祚(即位)なされました。

    ここまでの大和平定のお話「神武東征」、あるいは拠点を九州・宮崎から東へと移したため「神武東遷」とも呼びます。

    八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)
    八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)

    さて、続いて、初代天皇である「神武天皇」後継者を見て行きましょう。

    神武天皇の妻は、「阿比良比売(あひらひめ)」「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」2人がいました。

    「阿比良比売(あひらひめ)」は、九州・宮崎にいた頃の妻で、第一子長男である「多芸志美美命(たぎしみみのみこと)」第二子次男「岐須美美命(きすみみのみこと)」の2人の息子がいました。

    「阿比良比売(あひらひめ)」は、阿多小椅(あたのおばし)とされています。

    古代日本において、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島県・宮崎県)に居住した人々を、「熊襲(くまそ)」「隼人(はやと)」などと呼びますが、隼人の阿多君の祖神火照命(ほでりのみこと)こと「海幸彦」で、要するに、土着の有力者の娘、熊襲(くまそ)の王女と結婚し、2人の息子がいたことになります。

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    他方、「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)息子であり、のちの物部(もののべ)氏の祖となる「大物主命(おおものぬしのみこと)」(=大年命(おおとしのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと))ので、第一子長男「日子八井命(ひこやいのみこと)」第二子次男「神八井耳命(かむやいみみのみこと)」第三子三男「神沼河耳命(かんぬなかわみみのみこと)」の3人の息子がいました。

    いずれの皇子も、「神武天皇」Y染色体を受け継いでいます

    磯野波平 Y

    こちらもご参照♥

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    やがて、「神武天皇」が崩御なされ、そして、後継者争いが勃発します。

    それが神武天皇の最初の御子である「多芸志美美命(たぎしみみのみこと)」反逆とされる事件です。

    「神武天皇」は、「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」との間に儲けた皇子後継者とする予定でした。

    天照大御神(アマテラスオホミカミ)などがいる高天原の神「天津神(あまつかみ)」高天原を追放された建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)その他土着の神「国津神(くにつかみ)」と呼びますが、「神武天皇」が、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の系譜である「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」との間の御子皇位を継承することで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることを目論んだわけです。

    ですから、後継者の補佐として、「多芸志美美命(たぎしみみのみこと)」「摂政(せっしょう)」に、また皇后である「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」「祭祀の王」としていたんです。

    で、「神武天皇」が崩御すると、「摂政(せっしょう)」として「権力」を保持していた「多芸志美美命(たぎしみみのみこと)」が、「権威」を保持する「祭祀の王」である「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」妻に迎えて「権力」と「権威」を一挙に手に入れようと画策します。

    以下はWikipediaからの抜粋です。

    「 天皇(神武天皇)にはヒメタタライスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)との間の子、カムヤイミミ(神八井耳命)、ヒコヤイ(日子八井命)、カムヌナカワミミ(神沼河耳命)の他に、日向にいたころにアヒラヒメ(阿比良比売)との間にタギシミミ(多芸志美美命)、キスミミ(岐須美美命)の二柱の子をもうけていた。天皇が崩御した後タギシミミヒメタタライスケヨリヒメを妻にしその3人の御子を殺そうと計画していた。それを知ったイスケヨリヒメ3人の御子にそれを知らせようと、「狭井河から雲が立ち登って、畝傍山では大風が吹く前触れとして、木の葉がざわめいている」という内容の歌を詠んだその歌の意味を解した御子たちはすぐにタギシミミを殺すことにした

     カムヌナカワミミは、カムヤイミミに武器を渡しタギシミミを殺すように言ったしかしカムヤイミミは手足がわなないて殺すことができなかったので、カムヌナカワミミ兄の持っている武器を取ってとどめを刺した。そこで、それを賛えてカムヌナカワミミはタケヌナカワミミ(建沼河耳命)とも言う。カムヤイミミはこの失態を恥じ、カムヌナカワミミに皇位を譲り自らは神官となって仕えた。」


    こうして、「神沼河耳命(かんぬなかわみみのみこと)」こと、第2代「綏靖天皇(すいぜいてんのう)」誕生しました。

    綏靖天皇
    綏靖天皇

    神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)
    神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)



    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Wed,  14 2017 00:01
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