日本化(Japanization / Turning Japanese)へと突き進む世界

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    日本化(Japanization或いはTurning Japanese)は日本風になることである

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    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 私は、【「世界は日本化する」ということを25年以上前から発信してきた】。そのような【大きな歴史的流れを、世界のビジネス現場で強く感じてきた】からだ。

    ポイント 女性

     ただし、私が言っているのは、現在の世界的な「クール・ジャパン」ブームのことではない。以前より、“メイド・イン・ジャパン”の工業製品一種のブランドとして世界に広く知られていたが、近年は、寿司ラーメン日本酒日本茶などの食文化漫画アニメコスプレなどのポップカルチャーなども世界から注目されるようになった。だが、私が言いたいのは、【そのような表層的な現象の奥に流れるもののこと】である。

    海外「日本製が来るぞー!」 日本主導の巨大プロジェクトに沸くフィリピンの人々

    海外「日本、この化け物国家よ…」 日本の道路工事の速さが尋常じゃないと話題に

    海外「これが日本人なんだ!」 日本の大使が取った行動にベトナムから感動の声

     なぜ、「世界は日本化する」のかというと、こういうことである。

    悩む女の子2

     【世界はどの国も、先進国になれば量から質を追求するようになる】質的なモノづくりに特化している国の中では、【断トツで日本が先頭を走っている】

    ポイント 女性

    質的な生活を追求するようになると、どうしても【日本と巡り合う】

    女性 ポイント 10

    また、どこの国の民族も豊かさを目指す。【豊かになれば人間は、量より質を求める】ようになる。【どの民族も、質を追求していくと日本にぶつかる】【だから「世界は日本化する」のである】。…

    ポイント 002

     実は【この日本のさまざまな商品やサービスの質を実現してきたのは、“日本”、そして“日本人”という社会資本だった】

    ポイント 21

     不思議なものである。戦後日本と日本人アメリカナイズされ個人主義に走りグローバリズムの波に呑まれて捨てよう捨てようとしてきた【歴史・伝統・文化、さまざまな生活スタイル、価値観、経営手法の中に、日本の繁栄の本質があった】のだ。

     日本は、【「より日本であり続ける」という一点を追求すれば、世界の中で存在感ある国であり続ける】ことができる。

     本書では、なぜ日本はそのような国であるのか、そして、【日本人が再び「日本を取り戻す」ためにはどうすればいいか】を、私なりに述べてみたいと思う。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させて頂く書物は、世界の国々私たちの「日本」見習うようになる、そして世界の国々が、やがて「日本化する」ということが書かれている書物で、読んでいて「なるほど!」って驚かされることが多くあり、皆さんにお勧めの良書です♥

    読書 女性 14

    昨日のところでも書かせて頂いておりますが、実は、この世界の国々私たちの「日本」見習うようになるっていうのは、今に始まったことではありません

    ポイント 002

    たとえば、今から約2300年ほど前の支那も、私たちの日本に憧れていました

    「 秦の始皇帝の時代には日本「蓬莱(ほうらい)仙島」として憧れ、不老長寿の薬を求めて徐福を遣わせた伝説まである。

     宋の太宗は東大寺の僧、奝然(ちゅうねん)から「日本の万世一系」の話を聞いて嘆息して臣下に語った。「それは島夷にしかできないことだ」と羨望した。

     大航海時代が開かれた動機の一つは、マルコポーロの『東方見聞録』に登場する「黄金の国ジパング」を探すためだったことは広く知られている。

     華夷思想をもち、優越意識が強い中華の民も、神仙の国や黄金の国日本に対しては一目置いていたのである。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    昔から、日本に憧れていた「あの国」♥



    なぜ、こういったことを私たち日本人が知らないのかと言いますと、「戦後」「社会科」というものが新しくつくられ、そこで「嘘」を教え込まれているからなんです♥

    その代表例遣隋使、遣唐使になります。

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    「 奈良東大寺大仏殿南西にある正倉院は、高床式校倉(あぜくら)造りの壮大な倉庫で、聖武天皇と光明皇后の御物を納める、文化財の宝庫です。

     その御物には唐や西城さらに遠くペルシャから渡ってきた品々が数多く含まれています。そこから正倉院を「シルクロードの東の終点」といったりします。

     この呼び名には間違いはありません。確かに多くの文物が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て日本に流れ込みましたしかしそれだけなのでしょうか日本から向こうに渡っていったものはないのでしょうか


    悩む女の子2

     日本のこの時代に対する歴史観には、日本は文化が遅れていて、中国や朝鮮に学び向こうの文化を取り入れて発展してきたという観念抜きがたくあります特に戦後この見方が浸透しました。

     その代表例遣隋使、遣唐使です。

     推古天皇十五(607)年に小野妹子が遣隋使として派遣されました。遣唐使の最初の派遣は舒明(じょめい)天皇二(630)年です。以後、途中で船が難破したりしているので数え方にもよるのですが、いずれにしろ、日本からたびたび唐に出かけて向こうの進んだ文化を学びそれによって日本は発展したという文脈で語られています。

     しかし事実はまったく違うのです。

     たとえば小野妹子の遣隋使のときです。こちらから行っただけでなく随からも裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。

     唐の時代になると、さらに頻繁に日本にやってきていますその人数がまたすごいのです。

     たとえば、天智天皇八(669)年には2千余人が来ています。天智天皇十(671)年にも2千人来日、という具合です。

     ほかにも、当時新羅日本に高い関心を抱いていたようで、三十数回も来ています

     いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回来ているのです。遣隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かったのです。

     では彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか。


    悩む女の子2

     ほかでもありません。日本の文化を摂取するために来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。八世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高くなりました。文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。

     鑑真(がんじん)が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名てすが、鑑真がなぜこれほど日本に執着したのか。

     聖徳太子の思想をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。鑑真だけではありませんインド人、ヴェトナム人、ソグド人の僧も日本の仏教を学びに来ています。」


    鑑真和上像
    鑑真和上像

    詳しくはこちらをご参照♥

    遣隋使や遣唐使よりも、はるかに多かった「遣日使」



    支那からたくさんの人が、私たちの日本にやって来て、そこで勉強をして帰って行ったという話数えきれないほどの事例があります♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    石 平  なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか

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    私たち日本人が、果たして、支那や朝鮮から学ぶものってあるのでしょうか?

    「他人を騙す方法」とか「他人から盗む方法」とか「他人を虐殺する方法」ぐらいしか、思い浮かびませんが、そんなもの私たち日本人が「忌み嫌う」ものですので、まったく必要がありません

    ポイント 31





    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Fri,  21 2017 00:02
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