スコットランドの愛国者(パトリオット)  ~ ウィリアム・ウォレス

    現在のスターリング・ブリッジ
    現在のスターリング・ブリッジ

    スターリング・ブリッジの戦い(スターリング・ブリッジのたたかい、英語: Battle of Stirling Bridge)は、1297年9月11日ウィリアム・ウォレスアンドリュー・マリー率いるスコットランド軍がスコットランド総督サリー伯ジョン・ド・ワーレン率いるイングランド軍を打ち破った戦いで、スコットランド独立戦争におけるスコットランドの初の大きな勝利であり、スコットランドの自信は回復し、ウィリアム・ウォレスの名声は高まった。スターリング橋の戦いともいう。







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【グローバリズムの時代が終わり】【ネオ・ナショナリズム(新国家主義)の時代が到来】している。市場に対して国家が優位を占める時代が再び来ようとしている。

    ポイント 女性

     過去30年間国際情勢の主流となってきたのはグローバリズムであった。そのグローバリズムとは、国家に対して市場が優先するという意味の、【市場至上主義】でもあった。この間、国家という政治的独立単位は、ないがしろにされ続けてきた。【国境を無視して、「モノ、カネ、ヒト」が自由に往来する世界こそが、理想の世界であるとされてきた】

    ポイント 21

     ところが、このグローバリズム、特に金融グローバリズム明らかな危機が到来したのが2008年のリーマンショックであった。

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    これ以降アメリカは速やかに、金融再規制の方向に国家の舵を切った。レッセフェール(※フランス語で「なすに任せよ」の意)的な金融政策はもはや、過去のものとなった。2015年以来ヨーロッパを襲っている難民危機は、EUの統治能力の無能さと国家という政治単位の重要さを、再びヨーロッパの人々に知らしめた

    ポイント 女性

     イギリスのEU離脱アメリカのトランプ現象パナマ文書スキャンダル、難民流入に伴うEU共同体幻想の崩壊などは、皆、【グローバリズムからナショナリズムへの世界の大きな構造変化の潮流を物語るもの】である。

    ポイント 女性 重要 5

     2014年7月からアメリカで施行されている【FATCA(外国口座税務規律順守法:Foreign Account Tax Compliance Act)】世界の金融界革命的な変化をもたらした。…

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     本書では「ナショナリズム」という言葉を用いたが、これはあくまでも日本語のナショナリズムである。英語を話す人は、ナショナリズムナショナリストという言葉使わないほうが無難である。何故なら今日の英語の世界では、ナショナリズムというとナチズムのような思想を意味するからだ。【これは英語のナショナリズム本来の意味ではない】が、今日の用法では、そのように解釈されているので、我々としてはそれに従うしかない。

     では、日本人がいう「私はナショナリストです」という言葉を、英語では何と言ったらいいか。【ナショナリストの代わりに「愛国者(パトリオット)」という言葉を使うのが無難】であり、また正確である。

    トランプ 愛国者

    それを補って【「保守主義者(コンサーバティブ)」や「伝統主義者(トラディショナリスト)」という言葉を使うのもいい】だろう。

    トランプ 55

    英語を話す方は、十分にお気を付けいただきたい。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    この書物は、昨年(2016年)8月に出版されたものですが、いま、お読み頂いても十分に世相を理解できる、当ブログお勧めの書物です♥

    著者も書かれていますが、「イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ現象、パナマ文書スキャンダル、難民流入に伴うEU共同体幻想の崩壊」などといった、一見バラバラに生じている現象は、すべてある方向に向かって一直線に進んでいます

    ポイント 女性

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    この件につきましては、当ブログで、以前より一貫して書かせて頂いておりますので、御関心がございますようであれば、下記のリンク先をご参照ください♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    トランプ大統領が「孤立主義」だと、何がダメなの?



    御破算で願いましては・・・ 



    さて、ここからは一昨々日(さきおととい)の続きになります。

    私たちの日本の「鎌倉時代」モンゴル人が日本を侵略しようとやってきて、日本に完全に敗北した2度に渡る「元寇(蒙古襲来)」の直後にあたる頃

    文永の役の鳥飼潟の戦い(『蒙古襲来絵詞』)
    文永の役の鳥飼潟の戦い(『蒙古襲来絵詞』)

    モンゴル帝国
    モンゴル帝国の変遷

    イングランド王国は、大陸側のフランス王国との戦争を繰り返しつつ次第に現在のイギリスの形を整えていくようになります。

    1272年、ヘンリー3世のあとを、エドワード1世が継ぎます。

    エドワード1世
    エドワード1世

    このエドワード1世の治世1307年までおよそ40年の長きに渡っていて、数々の歴史上のポイントとなることが起きています。

    ポイント 女性

    エドワード1世が行ったことは、ユダヤ人追放フューダリズムの変容、そしてウェールズの支配権の確立が挙げられます。

    ウェールズ
    ウェールズ

    そして、スコットランドにも侵攻していきます♥

    スコットランド
    スコットランド

    前回書かせて頂きました通り、イングランド王国による屈辱的な支配を受けることとなったスコットランド現在のイギリスでも、独立問題に絡むニュースを目にすることができます。

    スコットランド 独立 記事
    スコットランド、独立問う2度目の住民投票に近づく-英最高裁判断で

    で、今回は、スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレス「スコットランド独立戦争」のお話になります。

    ウィリアム・ウォレス 1
    ウィリアム・ウォレス

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 ウィリアム・ウォレスの名が歴史上に出てくる確かな年代は1297年5月で、ラナークのハイ・シェリフ(※州長官)を務めるイングランド人ウィリアム・ヘッセルリグ(William Heselrig)を殺害した事件がそれである。この殺害について、ウォレスの愛人マリオン・ブレイドフュートがヘッセルリグの息子を振って殺され、その復讐という伝承もあるが、実際にはイングランド式の統治を推し進めていたヘッセルリグのアサイズ(巡回裁判)に反発したスコットランド人の一団がヘッセルリグの殺害を計画・実行し、この一団にウィリアムが関わっていたものと見られる。

     ウォレスは、イングランドの過酷な統治に反発するスコットランド下級貴族・中間層・下層民の間急速に支持を広げた。分散的だったスコットランド人の抵抗運動ウォレスの指導下ナショナルなゲリラ的抵抗の形をもって統一されていった。一方スコットランド大貴族親イングランド的だったうえ、ウォレスを身分の低い者と軽蔑していたので、積極的な協力はしなかった。」


    そして、冒頭にご紹介の「スターリング・ブリッジの戦い」が起こります。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 ウィリアム・ウォレスは、1297年5月イングランドに対して反乱を起こしてから何度かの小競り合いに勝利し、これに呼応して各地で反乱が広がっていたが、そのリーダーの1人が豊かな領土を有するサー・アンドリュー・マリーだった。総督ワーレンは、既に老齢でスコットランドの気候を嫌ってほとんどイングランドに滞在しており、これらの反乱の知らせを受けても、当初は軽視して対応が遅れたが、9月イングランド軍を引き連れスコットランド中部に入ったこれに対しウィリアム・ウォレスとアンドリュー・マリーの部隊連合してスターリングの橋をはさんでイングランド軍と対峙した。

     イングランド軍の騎士隊750人歩兵18000人に対しスコットランド軍は騎士隊150人歩兵7000人と数でもイングランドが優勢だったが、ダンパーの戦いでスコットランドに大勝しているサリー伯は、兵力差以上にスコットランド軍を甘く見ており橋は2人縦列で通る幅しかないにも拘わらず、別部隊を浅瀬から迂回させる提案を却下して、橋を渡っての進軍を命じた

     スコットランド軍イングランド軍の先鋒が橋を渡るのを待った上で、槍で武装したスコットランド歩兵が横手から橋のたもとに突撃して、敵の先鋒と後続の連絡を遮断した。孤立したイングランド軍先鋒は、ばらばらに崩され指揮官のクレッシンガムを始め、多数が戦死した。


    スターリング・ブリッジの戦いを描いた絵画
    スターリング・ブリッジの戦いを描いた絵画

     橋を渡っていないサリー伯の本隊は無傷であり、まだ多数の兵を擁していたが、サリー伯はこれ以上の戦いをあきらめ橋を破壊してベリックに撤退した。

     この勝利によりウィリアム・ウォレスの名声は高まり、まもなくナイトに叙任され、「スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官」に任じられる。アンドリュー・マリーは、この戦いの負傷により数週間後に死亡している。イングランドに対するスコットランドの初の大きな勝利であり、スコットランドの自信の回復に寄与した。この戦い以降、イングランドに味方していたスコットランド貴族の多くが反乱側につきイングランドは支配地の多くを失ったエドワード1世フランスとのフランドルの戦いを中止して対応しなければならなくなり、フォールカークの戦いにつながっていく。」


    エドワード1世ロングボウ部隊を活用した「フォールカークの戦い」も見ておきましょう。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 1297年9月11日のスターリング・ブリッジの戦いの敗北により、スコットランドを失いつつあったため、エドワード1世はフランドルにおけるフランス王フィリップ4世との戦いを中止して、1298年4月にイングランドに戻りヨークに本営を構えた

     ここで、イングランドのみならずスコットランド貴族にも招集をかけ、大軍を率いてスコットランドに侵攻したが、スコットランド側は戦いを避け焦土戦術を取ったため、イングランド軍はスコットランド中部に侵攻した時点で食糧不足に悩まされた。ウェールズ兵の中に叛乱を起こしそうな不穏な空気が生じたため撤退が検討されたが、偵察によりウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍の撤退に対して追撃を行うべくフォルカークの近くに集結していることを知り、急遽、フォルカークに向かった。

     イングランド軍の騎兵隊2000人歩兵12000人に対しスコットランド軍は騎兵隊500人歩兵9500人だったといわれる。

     スコットランド軍は、スターリング・ブリッジの戦いの勝利に倣い、槍兵を4つの部隊に分け、その間を短弓部隊が埋め、後方にカミン一族などの貴族からなる若干の騎兵隊を配置して待ち構えた。

     一方、イングランド軍は3部隊に分け、左翼にノフォーク伯などの諸侯、右翼にダラム司教アンソニー・ベック、少し後方、中央にエドワード1世が自ら指揮を取った。

     まず、両翼の騎兵隊がスコットランドの両翼に攻撃をかけ、敵騎兵隊や短弓部隊を蹴散らしたが、槍兵集団の槍衾を崩すことはできず、かえって乗馬を槍で突かれ、落馬する騎士が続出した。これを見たエドワード1世は騎兵隊を呼び戻し、ロングボウを中心とするクロスボウ、投石器からなる弓兵を前面に出し一斉射撃を行わせた。防護の無いスコットランド歩兵は即座に崩れ出しイングランド騎兵隊がこれに襲いかかり殺戮をつくした。敗北を認識したウィリアム・ウォレスは、かろうじて戦場からの脱出に成功した。」


    アンソニー・ベックの突撃
    アンソニー・ベックの突撃

    このロングボウ部隊の活用は、のちのフランス王国との百年戦争でも活かされ、イングランドの勝因の一つにも挙げられます。

    で、このあと、ウィリアム・ウォレスの行動は続きますが、最後は元部下の裏切りによって、イングランド王国に引き渡され、裁判にかけられてしまいます。

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 ウォレススコットランドに帰国したが、エドワード1世から執拗な追撃を受けた。エドワード1世「大逆者」ウォレスを捕らえようと血眼になり、賄賂と脅迫によってウォレスの部下たちにウォレスに対する裏切りを仕向けた

     1305年8月5日、ウォレスかつての部下だったダンバートン総督ジョン・ド・メンティスの裏切りにあってイングランドに引き渡された

     イングランドへ連行されたウォレスエドワード1世への大逆罪を問われ、ウェストミンスター・ホール(Westminster Hall)で裁判にかけられた。裁判でウォレスは「自分はイングランド王に忠誠を誓ったことはなく、彼の臣民ではないので大逆罪など犯していない」と主張したが、有罪判決が下り、8月23日に首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑という残虐刑で処刑された遺体の首ロンドン橋に串刺しとなり、4つに引き裂かれた胴体イングランドとスコットランドの4つの城で晒し物とされた


    ダニエル・マクリース『ウィリアム・ウォレスの裁判』
    ダニエル・マクリース『ウィリアム・ウォレスの裁判』

     エドワード1世としてはウォレスに残虐刑を課すことでスコットランドの抵抗運動を恐怖で抑えつけようという意図であったが、それは成功しなかった逆にスコットランド国民感情を鼓舞する結果となり、幾月もたたぬうちにエドワード1世のスコットランド支配は崩れ去ることになる。」

    それでは、本日の最後になりますが、このウィリアム・ウォレスを描いた映画が、メル・ギブソン主演・監督の『ブレイブハート(原題: Braveheart)』です。史実と異なる描写もありますが、現代のイギリスを考える上でも、見ておいて損はないと思います。

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    続きは次回に♥




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    Category: 国際
    Published on: Tue,  14 2017 00:01
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