イエス・キリストはキリスト教の創始者ではありません

    カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『Gethsemane』
    カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『Gethsemane』

    キリスト教(キリストきょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity)は、ナザレのイエスキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。

    世界における信者数20億人を超えておりすべての宗教の中で最も多い

    ゲツセマネの祈り(ゲツセマネのいのり)は、救世主イエス・キリストが、オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、十字架刑に処せられる前夜祈った祈りである。4福音書すべてに記されている。「オリーブ山の祈り」とも呼ばれる

    ルカの福音書の記述によると、イエスは普段からゲツセマネの園で祈ることを好んでいたと思われる。マタイとマルコの両福音書にのみゲツセマネの園の名前が登場する。イエスはペテロたち3人の弟子たちを伴いエルサレム神殿の東のケデロンの谷を渡り、オリーブ山のふもとに行った。

    イエスは悲しみもだえて、ゲツセマネの園で十字架刑を受けることの苦悩を祈る。十字架での死を「杯」と呼んで、できれば回避したいと祈りながら、神の御旨を求めている。イエスは弟子たちに目を覚ましているように言う。しかし、弟子たちは悲しみのあまり眠っており、イエスから叱責された。

    三度祈った後イエスは決心して、自ら逮捕されるために進んでいった

    カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『Christ at the Cross』
    カール・ハインリッヒ・ブロッホ 『Christ at the Cross』





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 史上最強のローマ教皇は、間違いなく、【インノケンチウス3世】(在位1198~1216年)である。

    インノケンティウス3世
    インノケンティウス3世

    彼の治世における【二つの十字軍の影響】は大きい。

    悩む女の子2

     1204年十字軍は、なんとエルサレムへの通り道にある【ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、傀儡ラテン帝国を建国】させる。

    驚き

     ここにローマ帝国東西分裂以降初めて、【ローマ教皇はヨーロッパ世界の頂点に君臨する】ことになる。

    ポイント 女性

     西欧では、キリストとぺテロの首位権継承する初代ローマ教皇ペテロ以降、ローマ教皇こそがキリスト教世界の頂点に君臨し続けているとの歴史観が正当とされる。

    聖ペトロのイコン
    聖ペトロ(ペテロ)のイコン

    しかし、【ここには二つの明確な歴史歪曲がある】

    ポイント 女性

     一つは、【イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない】ということだ。

    驚き

    イエスは生涯を通じて【ユダヤ教の改革派にすぎない】

    ポイント 女性

    それを後に【パウロがキリスト教の創始者に仕立てた】キリストの筆頭弟子であるぺテロ初代ローマ教皇とした理論家がパウロである。

    バルトロメオ・モンターニャ 『聖パウロ』
    バルトロメオ・モンターニャ 『聖パウロ』

     もう一つは、【ローマ教会が常にキリスト教世界の頂点に位置したわけではない】ということである。ローマ帝国におけるキリスト教の国教化と東西分裂に伴い、権威と権力を同時に掌握する東ローマ皇帝が、キリスト教徒における信仰と世俗の双方での頂点となった。

    ポイント 女性

     【東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルこそがキリスト教の中心】であり、【ローマはアレキサンドリア、アンチオキア、エルサレムと同格にすぎなかった】。いわば、【東ローマ皇帝を首領とする組織の四大幹部の一人にすぎなかった】のだ。

    東ローマ帝国の版図の変遷
    東ローマ帝国の版図の変遷

     それをインノケンチウス3世初めて打倒し、【キリストやぺテロ以来ローマが常にキリスト教世界の頂点に君臨していたという歴史歪曲を行った】のである。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない

    まさにその通りですね♥

    ユダヤ人であるイエスは、あくまでもユダヤ教徒です♥

    ポイント 女性 重要 5

    イエスが信仰していたのは、ユダヤの唯一の神ヤハウェとの「契約」が記される『旧約聖書』(※ユダヤ人にしてみれば、唯一の「聖書」ですので“旧約”は不要になります)に基づいたユダヤ教でした。

    ですが、無学者のイエス、ローマ人が「テクノトーン」と呼んだ職人・日雇い労働者だったイエスそんなイエスヘブライ語で書かれた「聖書」を読めるはずがない(紀元1世紀のパレスチナの非識字率は97%)んです♥

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    「 聖母マリアがカトリックの教義では永遠の処女とされているにもかかわらずイエスに兄弟がいたことは、事実上、議論の余地はない。

     イエスには、少なくともヤコブヨセフシモンユダその他名前も数もわからない姉妹もいる大家族の一員だった。

     また、異論の多い聖書における処女降誕という作り話は、イエスの親についての不都合な真実、例えば、イエスが婚外子として生まれたというようなことを隠すためにでっち上げたのではないかという憶測をかき立ててもいる。」


    こちらをご参照♥

    【驚愕】イエスの実像。。。聖母マリアが不倫をして産んだ「婚外子」なの♥



    「 イエスの死後、100年もたたないうちに、イエスは私生児であるという噂がパレスチナ全土にすでに広まっていた。

     イエスが初めて故郷の町ナザレで説教を始めた頃、隣人の一人がぶしつけに、「この人はマリアの息子か?」とつぶやくのを聞いている(「マルコの福音書」6章3節)。

     これは聞き捨てならない驚くべき発言である。「ヨセフの息子か?」ではなく母方の「マリアの息子か?」と呼ぶことは、普通ではないどころかとんでもないことなのだ。」


    こちらをご参照♥

    【驚愕】イエスの実像。。。マリア様~、イエスは一体誰の子だったんですか♥



    イエスが生まれる少し前の時代ヘレニズム諸国は以下のような状態にありました。ヘレニズムとは「ギリシャ風の文化」という意味で、西方・ヨーロッパ(つまりギリシャ)の文化東方・オリエントの文化融合した地域のことを指します。

    紀元前3世紀のヘレニズム諸国。アンティパトロス朝(緑)、リュシマコス朝(オレンジ)、セレウコス朝(黄)、プトレマイオス朝(青)。
    紀元前3世紀のヘレニズム諸国。アンティパトロス朝(緑)、リュシマコス朝(オレンジ)、セレウコス朝(黄)、プトレマイオス朝(青)。

    一目でお分かり頂けるとおり、最も広大な国家セレウコス朝シリア(紀元前312年~紀元前63年)で、現在のイスラエルに位置する地域をも支配していました。しかし・・・

    紀元前262年、アッタロス朝ペルガモン王国(紀元前282年創設)が独立します。

    紀元前188年のアッタロス朝ペルガモン王国領土
    紀元前188年のアッタロス朝ペルガモン王国領土

    紀元前255年、グレコ・バクトリア王国独立します。

    紀元前180年頃のグレコ・バクトリア王国領域
    紀元前180年頃のグレコ・バクトリア王国領域

    紀元前247年、パルティア王国独立します。

    パルティア王国の最大領土
    パルティア王国の最大領土

    紀元前140年、ハスモン朝独立します。

    ハスモン朝
    ハスモン朝

    このハスモン朝は、イスラエルであり、ユダヤ人による独立国家です♥ ユダ王国が滅ぼされ(紀元前586年)てから、400年以上を経て奇跡のユダヤ人国家の復活です♥

    ポイント 女性

    で、このハスモン朝成立に至る切っ掛けとなったのが、セレウコス朝シリアに対するユダヤ人の反乱である「マカバイ戦争」です♥

    マカバイ戦争

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 マカバイ戦争(マカバイせんそう, Maccabean revolt)は、紀元前167年に勃発したセレウコス朝に対するユダヤ人の反乱とそれに続く戦争。主要な指導者ユダ・マカバイにちなんでマカバイ戦争とよばれる。この戦争の結果、ユダヤ人の独立勢力ハスモン朝の成立を見ることになる。マカバイ戦争をユダヤ側からの視点で描いたものが旧約聖書外典の「マカバイ記」である。」

    マタティア
    マタティア

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 マタティア、またはマタティアス( ヘブライ語:מַתִּתְיָהוּ,Mattathias Maccabaeus,Matitiyahu - 紀元前166年)はマカバイ戦争においてユダヤ人を指導した祭司マタティアとその息子たちはセレウコス朝からの独立戦争を戦い、ハスモン朝の基礎を築いた

     マカバイ記1の記述によれば、ヨアリブの子孫である祭司シメオンの子、ヨハネの子であるマタティアは、モディンという小さな村にいた。紀元前167年当時ユダヤ人を支配していたセレウコス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネスは、ゼウス崇拝を国内全土で執り行う事を決定し、ユダヤ人の神聖な場所エルサレム神殿にて異教の捧げ物・祭儀を行なった従わないユダヤ教に対する迫害を強化したために、殉教者が続出した。

     モディンにもシリアの役人が派遣され、マタティアに犠牲を捧げるよう命じたマタティアはこれを拒否し、同意して犠牲を捧げようとしたユダヤ人を殺害し、役人も斬ったマタティアは、「契約を守り、律法に熱心な者はみな俺に続け」と町中に呼ばわり、5人の息子ヨハネ(別名ガディ)、シモン(別名タシ)、ユダ(別名マカバイ)、エレアザル(別名アウアラン)、ヨナタン(別名アッフス)と共に荒野に逃れて反乱を開始した。」


    さきほどの、イエスの兄弟の名前に似ていると思いませんか?

    「イエスには、少なくともヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ、その他名前も数もわからない姉妹もいる大家族の一員だった。」

    ポイント 女性

    余談ですが、ヤコブはヘブライ語起源の名前ヤアコブ(Jacob)の日本での慣用表記で、英語では Jacob(ジェイコブ)James(ジェームズ)、などになり、ヨセフ(ヨゼフ)も同様に、英語では Joseph(ジョゼフ)ロシア語では Иосиф - Iosif(ヨシフ)、などになります♥

    ヨシフ・スターリン
    ヨシフ・スターリン

    有田芳生
    アリタ・ヨシフ(有田芳生)

    お話を戻しまして、続きを見てみましょう♥

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 紀元前166年マタティアが死ぬと、息子でマカバイと呼ばれたユダ(ユダ・マカベウス)がそのあとを次いで軍事蜂起を行ってシリア軍を排除し、紀元前164年のキスレウの月(12月)の25日聖所を清めた。今も行われるユダヤ人の祭りハヌカはこのユダが聖所を清めた出来事を記念している。」

    このハヌカ(ハヌカー)が、キリスト教徒のクリスマスの時期と重なることが多いため、アメリカでは「ポリティカル・コレクトネス」(政治的正しさ)として、「Merry Christmas」と挨拶することがダメだとされています。いかにも「ユダヤ的」な発想ですね♥

    こちらもご参照♥

    アメリカの『ホワイト・ギルト』という自虐史観・・・報道されない「ポリティカル・コレクトネス」


    ハヌッキーヤー(ハヌカに用いられる燭台)
    ハヌッキーヤー(ハヌカに用いられる燭台)

    メノーラー(燭台)
    メノーラー(燭台)

    「 メノーラー、メノラー(מְנֹרָה mənôrāh, menuroh, menorah)は「燭台」と訳される。7枝のものをいい、ハヌカーに用いられる8または9枝のものはハヌッキーヤーという。

     早くからユダヤ教の象徴的存在となり、シナゴーグの床におけるモザイク(エリコのシナゴーグが有名)、柱頭、石棺、その他の器具に模様が描かれるようになった。」


    イスラエル国の国章
    イスラエル国の国章

    続きを見てみましょう♥

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 シリア軍は依然としてエルサレムの要塞に拠っていた。シリア将軍リュシアスが実権を握ると、エルサレムに大攻勢をかけ、ユダたちは窮地に陥った。しかしセレウコス朝内での権力闘争が起こったため、リュシアスユダたちと和解し、ユダヤに対するシリアの主権を認めることとひきかえに、ユダヤ人の宗教的自由を完全に認めるという協定が結ばれた。

     その後、シリアによって任命された大祭司アルキモスユダたちが叛旗を翻したことで、再びシリアとの間に軍事衝突を引き起こした。ユダはその争いの中で紀元前160年に戦死した。ユダの戦死後指導者となった兄弟のヨナタンはシリアの王との戦闘の末に講和を結び大祭司としての地位を承認された。正統な祭司の家系に属さない人物大祭司になったことに衝撃を受けた敬虔派の人々ハスモン家と距離をとるようになっていく。」


    ギュスターブ・ドレ 『ユダ・マカバイの勝利』
    ギュスターブ・ドレ 『ユダ・マカバイの勝利』

    「 紀元前142年にヨナタン敵将トリュフォンの手に落ちて殺害されると、兄弟のシモンヨナタンの後をついで大祭司となった。シモン兄の立場を継承して軍事的指導者にして大祭司という立場に収まった。シモンの時代にユダヤ人はエルサレムに駐留するシリア軍を撃退し、撤退させたことで、シリアから政治的独立を認められたハスモン家の祭司としての正当性に疑問を持つユダヤ人たち少なくなかったが、ハスモン一族の政治的実績の前に、多くの人々が「忠実な預言者の出現するまでは、シモンを彼ら(ユダヤ人)の指導者、大祭司とするのをよしとした」(マカバイ記1 14:41)

     こうして紀元前142年から紀元前135年にかけてのシモンの時代ユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取ることに成功した。シモンはローマに使者を派遣して自らの権威の承認を求め元老院はこれに応じて、シモンの政権を承認した(マカバイ記1 15:19)。しかし、紀元前135年2月、シモン娘婿プトレマイオスに暗殺された。」


    シモン
    シモン

    ここで、「ハスモン家の祭司としての正当性疑問を持つユダヤ人たち」と書かれていますが、この正当性云々といいますのは、イスラエル王であったダビデの血筋ハスモン家が属していないことを言っていて、イスラエルの統治者としては相応しくないという考え方です。

    ところで、ここまで長々と書かせて頂いておりますが、冒頭で「イエス・キリストはキリスト教の創始者ではない」という一文がございますが、まさに、そこに繋がっていくのが「ユダヤ教の分裂」なんです。

    ポイント 女性

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 シモンは二人の息子マタティアとユダと共に殺害されたため、三男のヨハネ・ヒルカノス1世が後を継いだ。ヒルカヌスの治世は紀元前135年から紀元前104年まで及んだ。ヒルカノス1世は傭兵を用いてサマリアやかつてエドムと呼ばれたイドマヤにまで支配権を及ぼすことに成功した。ハスモン朝の世襲体制に対して当初ハスモン一族の対シリア戦争に対して協力的だったユダヤ教の敬虔派などは批判に転じるようになった。このころ、敬虔派の中から律法への忠実さを特色とするファリサイ派が発生してくる。ヒルカノスファリサイ派でなくサドカイ派と接近し、統治体制に組み込むことで、ユダヤ教の指導層をつなぎとめようとした。」

    ヨハネ・ヒルカノス1世
    ヨハネ・ヒルカノス1世

    このように、ユダヤ教の内部で、「サドカイ派」「ファリサイ派」、この二派への「分離」が鮮明になってきます。

    つまり、エルサレム神殿による祭司たちから構成されて権力側に密着したサドカイ派と、民衆の中にあって宗教者としての指導力を発揮しながらも政治的指導者とは距離をとったファリサイ派という構図です。

    すでに、ゾロアスター教由来「善悪二元論」的な単純思考が、ユダヤ教にも浸透している時代です♥

    結果どうなるのか簡単に予想がつきますね♥

    こちらもご参照♥

    ユダヤ人の単純思考の素 ~ バビロン捕囚



    続きは次回に♥




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    Category: 世界史
    Published on: Fri,  06 2017 00:02
    • Comment: 2
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    2 Comments

    せいれき  

    復顔

    法医学者が最新技術を用いてキリストの顔を復元!
    2015-12-15
    …キリスト教徒がキリストの顔をどう想像しようと勝手ですが…キリスト=セム族ですから白人ではありません

    2017/01/10 (Tue) 13:23 | EDIT | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: 復顔

    せいれきさん、こんばんは^^

    コメント有難うございます♥

    キリスト=セム族ですから白人ではありません ⇒ 仰るとおりですね♥ ナザレのイエスは白人ではありません。

    ナザレのイエスが活動を始めたガリラヤは、様々な人種が集まって生活していた場所です。

    そのナザレのイエスは、とある異民族の女性祭司と結ばれます。そして、その女性こそが「使徒中の使徒」と呼ばれる人物で、彼女こそが、本当のナザレのイエスの教えを継承しているはず・・・

    このテーマについては、近々書かせて頂きますので、宜しくご指導くださいますようお願いいたします♥



    2017/01/10 (Tue) 18:32 | REPLY |   

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