縄文人と弥生人

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    都市伝説(としでんせつ、英: urban legend)とは、近代あるいは現代に広がったとみられる口承の一種である。大辞林 第二版には「口承される噂話のうち現代発祥のもので根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されている。





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 東日本を中心として石器時代人の研究を行ったのが、長谷部言人(はせべことんど)である。

    長谷部言人
    長谷部言人

    長谷部は、1917年に「壮丁の身長より見たる日本人の分布」を、同年に「日本人頭蓋骨の地方的差異」を発表して、【現代日本人の形質が画一的なものではなく、かなり変異の大きなものであることを指摘】…これらの論文の中で長谷部は、

    日本人の形質石器時代から現代人に至るまで何らかの形で系譜的には連続する」

    こと、すなわち【「石器時代人=アイヌ」という考え方を、形質人類学の観点から否定した】のである。…

    ポイント 女性

    さらに、1919年には「石器時代住民と現代日本人」を発表し、

    石器時代と聞いたらアイノやその他を連想する前、まず日本人その種々な体型を有する祖先たちを連想するのが順当

    と述べ、【日本人の起源が石器時代に遡ることを再度主張】した。

    ポイント 女性

     この一連の論文は、後年に「変形説」あるいは「移行説」と呼ばれる【日本人起源論の萌芽】とも言うべきものである。ここに【従来からのパラダイム】、すなわち「石器時代人=アイヌ=縄文土器使用者」「固有日本人=弥生土器使用者」であり「先住民であるアイヌを駆逐した」という【人種交代説に対して、正面から学術的な反論が加えられた】ことになる。

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     一方、長谷部の研究とほぼ同時期の1920年には、岡山県津雲(つくも)貝塚が京都帝国大学によって調査され、50体あまりの人骨が出土した。この時に人骨の調査を担当したのが、清野謙次であった。…

    清野謙次
    清野謙次

     清野は1925年に刊行された『日本原人の研究』の中で、現代日本人と石器時代人の形質の差統計的計算の結果から数値として表現し、計算された石器時代人とアイヌの距離現代日本人と石器時代人の距離よりも大きいことを示し、【統計学的見地から「石器時代人=アイヌ」説を徹底的に否定】した。…

    ポイント 女性

    また、清野は石器時代人には地方差があっても、その形質的特徴は同一であり、【石器時代人は一種族であったとし、これを「日本原人」と呼んだ】。この場合の「原人」の意味は、もととなった人々の意味であり、ジャワ原人・北京原人という時の原人(ホモ・エレクトスなど)とは意味が異なる。そして、清野は

    「日本人はこの『日本原人』をベースとして、いくつかの民族が混血して形成されたもの」

    と述べた。この説は、後に「混血説」と呼ばれ、長谷部言人の「移行説」とともに、戦後しばらくの間、【ついこの前までの日本人起源論の二大仮説として継承されていた】長谷部と清野の研究は、単に「石器時代人=アイヌ」説を否定しただけではなく、【日本における先住民の存在をも、「科学」的に否定した】のであった。

    ポイント 女性

    つまり、【ここにおいて石器時代の人々は、現代日本人の直接的な「祖先」であるということが示された】のである。したがって、【縄文人は現代日本人の直接の祖先の一つ】なのであり、【現代日本人の大部分は多かれ少なかれ縄文人の遺伝子を受け継いでいる】、ということになる。

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     今日でも雑誌などの特集で、目鼻立ちやシミのでき方などから、あなたは縄文人的か弥生人的かといったような記事が散見されるが、【縄文人も弥生人も同じホモ・サピエンス】であり、【どちらが優れている、劣っているということはない】

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    また、現代人は現代人であり、【縄文人似、弥生人似といった言説には、さしたる裏付けもないことが多い】

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    この手の記事についてはあまり深く考える必要はなく、【都市伝説と同じ】で「また、やってるな」程度の大人の余裕で楽しんでいただきたい。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    石器時代の人々が、私たち日本人の直接の祖先であるということが、ご理解いただけましたでしょうか♥

    縄文人とか弥生人とか、それらを別々に切り分けて考えることも、実は意味がなくって、どちらも石器時代から現代にまで続く、私たち日本人の系譜ですから♥

    そもそも、私たちの「記憶」にある「縄文時代という概念」は、戦後になってからの教育で覚えさせられた、、それもほんの数十年前の「新しい概念」なんです♥

    しかも、その定義すら曖昧なまま「縄文時代という概念」、これを子供たちは、一生懸命覚え込まされています

    その「縄文時代という概念」表裏一体の関係、いわば対になっているのが「弥生時代という概念」です♥

    ポイント 女性

    そのヘンテコな「縄文時代」「弥生時代」という考え方を持ち込んだのが、社会主義に傾倒した山内清男と、その弟子佐原真でした。

    山内清男
    山内清男

    佐原真
    佐原真

    それでは、戦前から当時までの「縄文人観」の流れを、一纏めにして見てみましょう♥

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 縄文人観の歴史的変遷

    ●「日本列島の先住民族」としての縄文人

    明治期には縄文人は「石器時代人」と呼ばれ、日本列島の先住民族と考えられていた。この時期には皇国史観の影響力が強く、日本人の祖先は「天孫族」と呼ばれており、記紀神話にあるように列島史のある段階で別の場所から日本列島にやって来た人々であるとされていたその為「石器時代人」はいわゆる日本民族の祖先ではなくアイヌの祖先あるいはアイヌ神話に登場するコロポックルではないかと考えられており、この論点を巡って「アイヌ・コロポックル論争」と呼ばれる論争も発生した。こうした見方は鳥居龍蔵による「固有日本人論」にも受け継がれたが、一方で昭和に入ると浜田耕作が縄文人を日本民族の祖先と見る説を発表し、学界に一石を投じた。

    ●「高級狩猟民」としての縄文人

    1930年代には唯物史観が登場し、縄文人を経済面から新たに捉え直そうとする動きが始まる。代表的な論者として山内清男が挙げられる。山内は縄文人を、男性が狩猟・漁労に従事し、女性が採集活動に従事するという分業体制を持った、発達した狩猟採集民族であったと考えた。

    ●弥生文化の母体としての縄文人

    第二次世界大戦後には出土史料に基づく考古学が発展し、それまで弥生人に単純に置換された存在と見られていた縄文人を、弥生文化を主体的に受容して弥生人へと変化していった人々として捉え直す論調が生まれてきた。」


    御覧のとおり、「唯物史観」という宗教的思想の「マルクス主義」が登場して、劣った「縄文時代」&優れた「弥生時代」という「誤った考え方」が、この時代までに醸成され、実はそれが、現在の教科書にまで続いてしまっています

    ポイント 21

    実は、このことこそが「差別観」を生み出す元凶となっていて、それが「マルクス主義」からもたらされているんですが、それについては明日以降にご説明させて頂きます♥

    志位 50

    こちらもご参照♥

    科学的社会主義って何? ~ マルクス自身も否定する「マルクス主義」 



    スペンサー・ウエルズ : 人類の家系図

    「 全ての人類は、アフリカにいた人類の祖先から受け継がれてきたDNAに、ある共通点を持っています。多様性に富んだ人類が、実は真に1つにつながっている。ジェノグラフィック・プロジェクトを通して、このDNAの共通点をヒントにそれを解き明かす方法を、遺伝学者スペンサー・ウエルズが語ります。」



    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Thu,  25 2016 00:01
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