そうだ!「まるがめ婆娑羅まつり」で婆娑羅しよう! ~ 我が国の伝統文化の起源

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    写真は「蒼天空路」さんよりお借り致しました♥ ⇒ まるがめ婆娑羅まつり 2

    ばさらとは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。

    語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra (伐折羅、バジャラ)= 金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。これは、「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。更に鎌倉時代末期以降体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり以降この意味で定着する。ただし、意味の転訛は不明であるともされる。

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    まるがめ婆娑羅まつり2016 HP






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 本書では、有名な古典『太平記』の時代、すなわち【鎌倉末期から南北朝時代】を扱います。主人公【佐々木道誉という、この時代を象徴する人物】です。【婆娑羅(ばさら)大名】と言われます。

    佐々木道誉
    佐々木道誉

    婆娑羅とは金剛石(ダイヤモンド)を意味する「バージャラ」というサンスクリット語がなまったもの、と言われますが、いつそうなったのか、よくわかりません。【己の実力と才覚だけを信じて生きる人たちのイメージ】が、ダイヤモンドの強さに投影されたのかもしれません。

    ダイヤモンド 金剛石

     道誉は、政所執事(今でいう財務大臣)など足利幕府の要職を占め、初代将軍尊氏(たかうじ)二代将軍義詮(よしあきら)の治世政界の最高実力者として君臨しました。義詮からは「大総領」と称され、多くの人は「武家権勢法師」と呼びました。今風に言うと「権力様」です。

    足利尊氏
    足利尊氏

    足利義詮
    足利義詮

     道誉政界遊泳術の達人で、鎌倉幕府の北条氏、建武の新政の後醍醐天皇、足利幕府では尊氏・義詮すべての最高権力者に仕え【日本史の中で最も激しい動乱の時代】で天寿を全うしています。「世渡り上手」「全方位外交」「寝業師」「裏切りの常習犯」の代名詞のように語られることも多いです。それはそれで正しいのですが、道誉の真骨頂はそんな浅いものではありませんその秘密本文をお楽しみに

    ポイント 21

     道誉【能を大成した観阿弥・世阿弥親子】など文化人のパトロンだっただけでなく、自身が超一流の文化人でした。【茶、生け花、香など我が国の伝統文化を根付かせたのは道誉】です。

    45849713645483.jpg 茶の湯

    香 生け花 1

     お茶やお花と言えば、今でこそ格式ばった御習い事と思われていますが【元々はロックンロール】です。

    驚き顔



    ロックで悪ければパンクかヘビメタです。

    驚き顔

    当時のお花見は、今で言うと【ロックコンサートそのもの】です。

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    時代の閉塞をぶち壊したいそんな人たちが花を愛で香を敷き詰め茶を闘わせる

    花見鷹狩図屏風
    花見鷹狩図屏風

    【南北朝版ロックンロールの第一人者こそが、道誉だった】のです。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    まずは、昨日に引き続きまして、著者ご自身が解説をされている、こちらの動画をどうぞ♥



    さて、この書物の舞台となっている時代は、鎌倉時代から室町時代にかけて、12世紀後半から16世紀後半の時代となります。

    先日も(⇒ 国民である前に、「市民」なんでしょうか? ~ 「市民」⇒敗戦後・占領後に造られた「コトバ」)、社会科の授業で教えている「時代区分」が、私たち日本人にとってはまったく意味をなさないナンセンスな考え方だってご説明をさせて頂きましたが、今回、この書物の舞台となる時代は、「西洋主体」の独特な考え方に基づいて、いわゆる「中世」と呼ばれる時代だって教え込まされているって昨日もご紹介させて頂きましたとおりです♥

    歴史区分

    そして、実は現代の私たちの生活に繋がる基本的な部分が、この時代形成されたんです♥

    「 将軍の政治力は弱く、管領や守護大名の間でいざこざが絶えませんでしたから、それを逃れて地方に行った公家や僧によって、文化が地方に広まったのもこの時代の特色です。

     雪舟のいた大内氏の山口など、各地に城下町ができて栄え、栃木の足利には足利学校がつくられて学問の中心になりました。各地の寺院では武家や庶民の子供の教育が行われるようになりました。

     地方や庶民への文化の広がりによって、今日にも通じる衣食住などの生活習慣が生まれました。村祭りや盆踊りなどの年中行事一日三食の習慣味噌醤油の使用など、すべて室町時代からはじまったのです。

    近代的な生活がはじまっていたといってよいでしょう。「近代」は明治以降のものではないのです。」


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    詳しくはこちらをご参照♥

    日本の「近代」は、室町時代から始まっています



    で、当時の私たちの日本がいかに凄かったのかは、同時代の周辺「地域」を見てみれば、良く分かるんです♥

    例えば、「李氏朝鮮」と呼ばれた「半国家」支那の属国が成立したのが、この時代でした♥

    李氏朝鮮
    半国家の李氏朝鮮

    ちなみに、この「半国家」の李氏朝鮮を、一人前の、それも、当時の「一等国家」にしてさしあげたのが私たち日本、つまり「大日本帝国」でした♥

    今から約100年ほど前の記録では、このように記されています♥

    「 …現国王の治世下で、野望も権勢もある王妃のいとこ閔泳駿が…政治権力の全てを掌握し始め、また全国の要職についていた閔氏一族は手当たり次第に人民から金品を巻き上げた。…朝鮮国内全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、…腐敗の海略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽を潰してしまう

     職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食い物にする権利だけは存続するのである。

     日本人が「改革」と呼ぶ新しい秩序は…占領した時点から始まった。…日本朝鮮式機構の…悪弊と取り組み、是正しようとした。…改革の基本路線は日本が朝鮮に与えたのである。日本人が朝鮮の政治形態を、日本のそれに同化させることを念頭に置いていたのは当然であり、それはとがめられるべきことではない。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    【真実】 日本が、朝鮮で、したかったこと♥



    ここで、ご理解をして頂きたいことは、「半国家」で「支那属国」であった李氏朝鮮は、私たち日本の国史で言うと、室町時代の途中から、つい100年ほど前まで存在していたことです♥

    およそ520年ほどの間、「支那属国」であったわけです♥

    で、室町時代における、その李氏朝鮮の記録がこちらになります♥

    「 高麗から李王朝初期にかけての艶笑話を集めた「古今笑叢(コ クムソチョン)」という漢文の本がある。もちろん、庶民は文字を読めないから、執筆者は両班であり、読者も両班だけだった。
     こういう本には、当時の朝鮮半島のありのままの文化・文明のレベルが、飾られることなく示されている

     剛腕の奴婢文弱の両班。二人しかいない場所なら、奴婢は両班を叩き殺し逃走すればいいと思う。

     が、両班はどこまでも横暴であり、奴婢はどこまでも下人なのだ。旅人といえば、ほとんど塩売りの商人だけ。旅館もない。あるいは、駆け落ちする常民(サンミン 両班と奴婢の間の身分)が抱えていく家財道具は、どんなものだったのか。まさに、文化・文明のレベルに関する偽らざる記述がある韓流時代劇の舞台、大道具、小道具が大嘘であることが明らかになる

     朝鮮史の基礎史料とされる「朝鮮王朝実録」とは違った次元での半島史に関する研究史料だと思うが、朝鮮史学者が「古今笑叢」を引用した例を、私は見たことがない。

     もちろん、「朝鮮王朝実録」は貴重だ。例えば、世宗王の巻には、通信使として1429年に日本に渡った重臣、朴端生の報告が載っている。これが本当に面白い。

     朴端生が特に力を入れた報告は、室町時代の日本の農村で見た揚水水車だった。

     配下の学生に作り方を学ばせ、王には模型まで提出し、「願わくは、わが村々でも、この模型に沿って水車を製作し、灌漑に利用されんことを…」と進言する。

     進言は容れられた。が、どう頑張っても揚水水車を作れない

     次の王、その次の王の時代にも水車を作ろうとするができない「曲げ木」の技術もなかったとされるが、水が逃げないようにするための正確な寸法合わせも寸法通りに木材を切ることもできなかったからだろう。

     水が漏れない桶や樽も作れないから、「古今笑叢」には、女たちが重たい甕を頭に載せて水運びをしている様子が頻繁に出てくる。

     また、染料はあっても、洗っても色落ちしない顔料はほとんど作れなかったから、よほど身分の高い両班以外は、白い朝鮮服しか着られなかった

     朴端生の報告から334年第11次の朝鮮通信使に随行する書記として日本に行った金仁謙が、旅行中の感想などを書きまとめたのが「日東壮遊歌」だ。

     その中で、金仁謙は淀川にあった水車の見事さに感服し、「見習ってつくりたい」と述べている。

     つまり最初の挑戦から334年経っても朝鮮半島の木工技術では揚水水車が作れなかったのだ。

     朴端生の報告は広範にわたる。…次のように進言した。

    日本には銭湯というものがたくさんあり、人々は清潔だ。わが国も銭湯を設けるべきだ。

    わが国の市場では、魚も肉も土の上に並べているが、日本には屋根がある商店があり、棚の上に品物を置いている。…同じようなものをつくるべきだ。

    日本の川にはが架かり通行料を取っている。わが国も川に橋を架け…

     李王朝時代の文化水準を知ることができよう。公衆浴場もなければ屋根のある商店もなかった。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    『古今笑叢』 朝鮮最古の猥談集♥



    つまり、昔も今も朝鮮というのは、こういう「モノ」だったんです♥

    「 朝鮮が独自の主権国家を持つ資格のあるNationなのか、それとも単なる文化的集団にすぎないEthnicなのかは難問です。

     というのも、朝鮮は独自の王朝を持ちながら、常にその王朝が中華帝国に臣従を誓っている為、独立国家の要件をまるで満たさず評価をくだしようがないからです。

     中華皇帝から見たら単なるいち家臣であり、地方の軍閥か何かと見分けがつきません。これは日本と違い陸続きだから、というのは言い訳になりません。

     歴代中華帝国と陸続きで接しているベトナムは、弱いときには中国の元号を使ったりしますが、基本的には敵愾心を剥きだしにします。また、ミャンマーなどは、フビライの元だけが例外で、中華帝国の干渉を拒否しています。これらの国は現代の視点から見て、前近代において独立国家だったと言っていいでしょう。

     ところが困ったことに朝鮮王朝の文化は、「中華皇帝を父として敬い、ほかの国には長男として威張る」です。どこにも独立心はありません

     しかも唯一の近隣国である日本は、朝鮮を兄として敬うなど一度としてしたことがありません。ましてや、…中国や日本と一騎打ちで正々堂々と戦争をして勝ったことがないのです。…」


    詳しくはこちらをご参照♥

    朝鮮王国とマリネラ王国 ~ 日本の天皇陛下、朝鮮の国王「殿下」w



    どうしようもないですね、朝鮮って♥

    うんざり

    それでは、本日の最後に、こちらの動画をどうぞ♥



    鳥越 1

    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Sat,  16 2016 00:01
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