戦時中、満州に現れた「琵琶湖」 ~ 日本が描いた理想

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    琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある湖。日本で最大の面積と貯水量を持つ。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。ラムサール条約登録湿地。
    琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100~40万年前比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。なお、琵琶湖は世界の湖の中でもバイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると考えられている。

    「急がば回れ」ということわざの語源である。湖を渡るには現在の草津と大津の間を結んでいた「矢橋の渡し」という渡し舟があったが運休が多かったらしく「急ぎならば、瀬田の唐橋のほうに回れ。遠回りでもかえって近い」という意味の和歌が出典。




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 満州の発展には、【ダム建設による電力開発が重要】だった。満州にあったのは、ロシアが大連に建設した250キロワット3基の発電機と、日本が譲り受けた権益内の自家用発電機だけだった。

    満州

     建設開発計画に従い、火力電力会社を統合して満州電力株式会社とし、【1938(昭和十三)年には約60万キロワットを供給】できるようにした。

    驚き顔

    さらに【ダム建設を推進】1941(昭和十六)年鴨緑江水豊ダム1942(昭和十七)年には鏡泊湖発電所1943(昭和十八)年3月には、【松花江豊満ダムを完成】した。

    松花江豊満ダム
    松花江豊満ダム

    ちなみに【有名な豊満ダムは、水量調節(洪水防止)、灌漑、飲料水、工業用水、発電などに利用できる多目的ダム】で、【東洋で最初にして最大級、世界的にも有数の多目的ダム】だった。

    ポイント 女性

    重力式コンクリート堰堤(えんてい)は、高さ90メートル、延長1100メートルという想像を絶する規模で、貯水面積は620立法キロメートル。なんと【琵琶湖ほどの大きさの湖を、満州に出現】させた。

    琵琶湖
    琵琶湖

     ダムを見学に訪れたフィリピン外相は、

    「フィリピンは、スペインの植民地として350年、アメリカが支配して40年になるが、住民の向上に役立つものは、何一つ造っていない。満州は建国わずか10年でこのようなダムを建設したのか

    と感慨深く述べたという。

     国際連盟の採決にも関わらず、各国が満州国を承認した理由は、このフィリピン外相の言葉が、よく物語っている。

     多くの政治家は、政策を掲げても実現できないことが多い。

    民進党 期待しない
    トンスル

     ところが、満州国「五族協和・王道楽土」は、単なる概念や理念ではなかった。【日本は、満州国の建設を強力に後押しして、諸民族と共に、理想国家の建設を目指した】のだった。

    ポイント 女性

    これは、明らかに植民地ではない黄文雄氏は、『合衆国』という比喩を使った。アジアに、理想の『合衆国』の建設を、満州国は実現すべく現実経済を発展させていた。

    1942年 満州国
    1942年 満州国

     私が【驚愕したのは、大東亜戦争を戦っているその期間に、満州国がこれほどの建設事業を推進していたこと】だ。

    ポイント 女性

    アジアに広がる巨大な陸の戦域、そして太平洋の西半分とも言うべき広大な海洋の戦域。そこで欧米列強と戦いながら満州国を発展させていた【日本の底力は、凄まじいものがある】。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    私たち日本が、戦争を継続しながらも徹底的な理想郷造りをしていたことがお分かりいただけましたでしょうか♥

    アジアの理想国家満州国の首都として、昭和8年(1933年)に、第1次5カ年計画として「新京」の開発がスタートしました♥

    こうして始まった「新京」の開発は、最終的に人口100万人の巨大都市の誕生を目指すものでした♥

    第1次5カ年計画の終わりが近づいた昭和12年(1937年)には、人口25万人の都市に発展しました。

    では、実際に当時の模様をご覧ください♥





    白人の著者「腰を抜かす理由」がお分かりいただけましたでしょうか♥

    では、本日の最後に♥

    昨日、ご紹介させて頂きました、「知性のない典型的パヨク」ですが、どうして、こういった輩が、ほんのごく一部で湧いてくるんでしょうか?

    @偏っていますが、何か

    それは、すべて「占領下」で行われた「社会主義化政策」に由来しています♥

    「 占領期間中「ウォー・ギルド・インフォメーション」は、新聞に「太平洋戦争史」が連載され、戦争そのものが、日本の軍国主義によって煽動されたものだという宣伝によってはじまった。 この戦争史によって、大東亜戦争は「太平洋戦争」となり、南京「虐殺」も捏造されたのである。これはあくまで軍部と国民の分裂を工作するというOSSの方針であった。
     NHKはそれに呼応して「真相はこうだ」というラジオ番組を組み、満州事変から終戦までの日本軍国主義の犯罪的行為を、真相として国民に宣伝した。それを担当したのは、OSSの流れをくむGHQ情報局のアメリカ人であった。国民に知らされなかった情報を事実として、ドキュメンタリー風のドラマに仕立て上げた日本国民洗脳プロパガンダを行った。具体的な軍部否定の宣伝だけでなく、社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように情報を仕立て上げていったのである。
     
     東條首相は悪魔の権化のようになったし、いわゆる「A級戦犯」となった人々はその軍国主義の責任をとらされた。それを批判することも対抗する情報を流す自由もが制されていたから(それが圧殺されていることさえ、知らされなかった)多くの国民はそれを信じることになった
      この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われ、それに代わって、いわゆる戦後利得者が公職につき左翼的な言辞をふりまいた。…戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。…」


    社会主義をあたかも民主主義の行きつくところのように



    「 戦後の日本人を洗脳し、劣化させたのは、何もマスコミだけではありません。子供たちに対して、よりダイレクトに「日本人は過去の罪を背負い償うべき」と教え込んだのは、日教組の共産主義社会主義的な思想に影響された教師たちです。…
     
     実はまたしてもGHQによる工作活動の影響があります。たとえば、日本を大事にしよう、伝統的な生き方を大切にしよう、というような教育者は「公職追放」によって教育現場から追い出されたのですが、GHQはこの公職追放を行うにあたり、共産党が作成したリストも使用したと言われています。 その一方、教師たちはもはや「聖職者」ではなく、自らを「労働者」と名乗るようになり、己の尊厳を捨て去ってしまったのです。」


    遵法精神がない日教組 ~ 法律を守る気がまったくない教職員たち



    このように「ヘンテコな思想」をもった輩が、「戦後利得」を得るわけですが、なかでも、有名なのが「三面等価の原則」を唱えた、都留重人(つるしげと)です♥

    都留重人
    都留重人

    この人物が、何をやっていたのかは、こちらをご覧いただければ、すぐに判りますよ♥

    近衛上奏文 ~ 戦争は、共産主義者の仕業でした




    民中合作 1

    さあ、皆さん!

    今度の選挙で、お馬鹿なパヨク一掃しちゃいましょう♥



    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Tue,  14 2016 00:01
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