中国共産党にとって不都合なこと

    犬養毅
    犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。

    五・一五事件(ご・いち・ごじけん)は、1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きた反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。

    五・一五事件を伝える大阪朝日新聞
    五・一五事件を伝える大阪朝日新聞

    犬養首相は護憲派の重鎮軍縮を支持しており、これも海軍の青年将校の気に入らない点だったといわれる。不況以前、大正デモクラシーに代表される民主主義機運の盛り上がりによって、知識階級やマルクス主義者などの革新派はあからさまに軍縮支持・軍隊批判をしており、それが一般市民にも波及して、軍服姿で電車に乗ると罵声を浴びるなど、当時の軍人は肩身の狭い思いをしていたといわれる。







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 歴史の捏造によって中華民国時代を徹底的に貶めた【中国共産党は、今度は自分たちが政権を取るまでの歴史を粉飾】していく。

    ポイント 女性

    あたかも自分たちが【中国人民の“救世主”であるかのように、「共産主義革命」という神話を作り上げていく】のである。

    驚き 6

     1921年に創立された【中国共産党は、実際はコミンテルン(ソ連が主導した共産主義政党による国際組織)の主導下で作られたものに過ぎない】ということはよく知られている。言ってみれば、【中国共産党はソ連共産党の「中国支部」的な存在】であった。

    ポイント 女性

    しかし、1990年代中国で使われた小学校社会教科書では、中国共産党の成立について次のように記述されている。

    「1921年7月、中国共産党第一回全国代表大会が上海で挙行された。大会に出席したのは毛沢東、薫必武ら12人で、全国50余人の共産党員を代表していた」 (「中国共産党の成立」より。)

    スターリン 毛沢東

     この教科書の記述には、【コミンテルンやソ連のことは一切登場しない】

    驚き 6

    中国共産党の成立過程から、【コミンテルンやソ連の存在は完全に隠蔽】されている。

    驚き 6

    あたかも【中国人が独力で共産主義に目覚めて、共産党を作り上げたかのような神話】が歴史の教科書に載せられている。

    ポイント 女性

     さらに問題なのは、「中国共産党第一回全国代表大会」参加者までが隠蔽されているということである。

    悩む女の子2

    実は、中国共産党が「第一回全国代表大会」について語るとき、その参加メンバーの名前をすべて挙げることはない。【中国共産党の“元勲”とも呼ぶべきメンバーであるにもかかわらず、その名前が公にされない】というのは明らかに異常だ。

    ポイント 女性

     中国共産党“元勲”を隠蔽するのには理由がある。

    悩む女の子2

    【「第一回全国代表大会」に名を連ねた12人の代表の多くが後になって共産党から離脱したり、あるいは汪兆銘(おうちょうめい)政権の中心的メンバーとなって日本「侵略軍」の協力者となっていたりする】からだ。

    驚き 6

    汪兆銘
    汪兆銘

    たとえば【陳公博(ちんこうはく)や周仏海(しゅうふつかい)といった人物は、日本の帝国大学に留学した経験を持ち、日中戦争で日本に協力】していた。

    陳公博
    陳公博

    周仏海
    周仏海

     そうしたメンバーの存在中国共産党にとって不都合だ。

    ポイント 女性

    そこで、【「第一回全国代表大会」の参加者氏名はほとんどが隠蔽され、のちに中国共産党政権の幹部となった人物だけが載せられている】

    驚き 6

    中華人民共和国の初代国家主席である毛沢東と、のちの国家副主席である薫必武(とうひつぶ)の氏名だけ教科書に載っているのは、以上のような理由による。

     ついでに言えば、【毛沢東も薫必武も、「中国共産党第一回全国代表大会」においては取るに足らない存在だった】

    ポイント 女性

    中心メンバーでも何でもなく、いわば【“チンピラ”のような扱いだった】と言っていい。大した発言権もなく単に大会に出席しただけだった。

    毛沢東
    チンピラの毛沢東

     しかし、後になって、このような都合の悪い真実ことごとく抹消されていった。あたかも中国共産党が、毛沢東という天才的「革命先覚」の主導下で、中国人自身によって創設されたかのような「歴史」へと書き換えられた。「中国革命」の神話作りそこから始まったのである。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させて頂きますこの書物の著者は、もと中国人で、現在は日本人の石平さんです。もともとが中国人なので、その解説は非常に分かりやすく、またその指摘も非常に的を得ています♥

    中国共産党ソ連(コミンテルン)の主導下で作られたものに過ぎない、毛沢東は取るに足らない存在だった、中国共産党にとって都合の悪い真実がことごとく抹消されていった、などと、非常に正しい歴史認識をお持ちです♥

    そんな中国共産党は、いま現在も、まったく同じことをやっているわけです。そして、どんどん世界から嫌われちゃってます

    それでは、本日は、さきほどご紹介させて頂きました内容とともに、前回(→ドイツのなんとなくリベラル 「反米という病」 ~ 約束なんて守らない支那)の続きに入りたいと思います。

    私たち日本人は、戦後の教育で、「第二次世界大戦」あるいは「太平洋戦争」という意味不明な言葉で表現された戦争において、ファシズム国家だった、「ヒトラーのドイツ」「ムッソリーニのイタリア」と手を組み、アジアの国々を侵略し、「民主主義」の連合軍と戦い、そして敗戦、ようやく戦前の体制が崩壊し、「民主主義国家」としての道を歩み始めた、と教え込まれています

    さて、本当でしょうか?

    悩む女の子2

    答えは、もちろん「NO!」です♥

    それでは、ご一緒に見て参りましょう♥

     20世紀、今から約80年前世界の大国は、イギリス大日本帝国アメリカフランスイタリアです♥

    そして、私たち日本を中心に考えて、この時代の関係を現しますと、このようになります。

    大日本帝国(明治時代) VS ソ連(コミンテルン)、アメリカ(左翼ユダヤ)

    当時、ソ連(コミンテルン)アメリカに蔓延(はびこ)る左翼ユダヤは、密接に結びついていました♥ そしてソ連(コミンテルン)は、謀略によって自国の敵同士を互いに戦わせようとしていました

    まんまと罠にはまったのが大日本帝国と中華民国でした。

    この当時、すでに私たちの日本では、ソ連(コミンテルン)や共産党の暗躍は、一般常識として広く国民に認識されていて新聞でも報道されていました

    この辺りを、非常によく纏めていらっしゃるのがこちらになります♥ 是非、ご訪問してみてください♥

    ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか

    1933年 世界地図
    1933年 世界地図

    ソ連(コミンテルン)を中心に見た場合周りが敵だらけでした♥

    西側に、イギリスフランスイタリアがあり、東側には、大日本帝国アメリカが存在していました。

    ですから、大国と対峙する「緩衝地帯」に位置する「ドイツ」と「中華民国」「道具」に使ったんです♥

    「満州事変」「第一次上海事変」のあと、1933年(昭和8年)3月、私たちの日本は正式に国際連盟に脱退を表明しました。

    そして、同年、ドイツで「妖怪」が生まれました♥ それが、ヒトラーです♥

    ヒトラー

    この頃のキーとなる人物が、この三人の独裁者です♥

    社会主義 独裁者

    スターリンのソ連(コミンテルン)の指示のもと、中国共産党の毛沢東は、蒋介石の中華民国と大日本帝国を戦争状態に引き込もうと画策していました。本来、大日本帝国の最大の敵はソ連(コミンテルン)だったのですが、この画策によって、やがて中華民国との戦争に引き込まれていきます

    同時に、中独合作によって、中華民国ドイツによる軍事支援を得ていました。ヴェルサイユ条約に抵触するもので、明確に違反行為でしたが、これによって最新兵器が中華民国にもたらされることとなり、のちに大日本帝国が苦戦する理由の一つとなります。

    中独合作
    中独合作

    こちらもご参照♥

    ドイツの武器輸出急増が意味するもの~世界は今、確実に「いつか来た道」を辿っている

    さて、著者が指摘していた、『「中国共産党第一回全国代表大会」の参加者までが隠蔽されている』件について、非常に重要な部分があります。

    以下にもう一度引用しますと。。。

    「「第一回全国代表大会」に名を連ねた12人の代表の多くが後になって共産党から離脱したり、あるいは汪兆銘(おうちょうめい)政権の中心的メンバーとなって日本「侵略軍」の協力者となっていたりするからだ」

    「たとえば陳公博(ちんこうはく)や周仏海(しゅうふつかい)といった人物は、日本の帝国大学に留学した経験を持ち、日中戦争で日本に協力していた。」


    ここで、日本の協力者として中国共産党の“元勲”とも呼ぶべきメンバーが存在していたことが分かります♥そもそも中国共産党はソ連(コミンテルン)の駒でしかありません。その単なる駒である中国共産党の“元勲”とも呼ぶべきメンバーが、どうして日本に協力をしていたのでしょう?

    その理由は、もちろん、私たちの日本にもソ連(コミンテルン)の駒が存在していたからです♥

    「 …ひそかに活躍したのが尾崎秀実および彼の同調者であった。…日本は中国での軍事的な展開は限定すべきであると決定していたのを彼らは覆した。…近衛首相は中国戦線不拡大の政策を推進していた。

     蒋介石と日本軍は人を介して日本軍を中国から引き揚げることに合意していたにも拘わらず、ソ連のコミンテルンの指令に基づき尾崎秀実をして、日本が日中戦争を拡大させるように仕向けた…

     尾崎は、近衛首相のプレーンであったことから、彼は充分に前もって日本政府の動きを知ることができた。…日本と中国との戦線不拡大がほぼまとまりかけていた時、尾崎らは汪兆銘を首班として日本の傀儡政権を擁立させた。1940年のことである。

     その結果、まとまりかけていた和平工作は挫折し、重慶の蒋介石軍と日本軍がまさしく泥沼の戦争に入り込んだのである。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本列島の誕生 ~ 日本、インドネシア、アメリカ大陸に共通して残っているもの



    汪兆銘
    汪兆銘

    で、以下はWikipediaの抜粋です。

    「 民国26年 (昭和12年、1937年)7月、日中戦争が始まった。徹底抗戦を貫く蒋介石に対し、は「抗戦」による民衆の被害に心を痛め、和平グループの中心的存在となった。

    一方、民国27年(1938年)3月頃から、日中の和平派が水面下での交渉を重ねるようになったが、この動きはやがて、中国側和平派の中心人物である汪をパートナーに担ぎ出して「和平」を図ろうとする、いわゆる「汪兆銘工作」に発展していく。

    10月12日には汪はロイター記者に対して日本との和平の可能性を示唆、さらにそののち長沙の焦土戦術に対して明確な批判の意を表したことから、蒋介石との対立は決定的なものとなった。今井武夫によれば、汪は11月16日の蒋との話し合いで、蒋との訣別を決心したと伝えられる。

    11月、上海で、汪派の高宗武・梅思平と、日本政府の意を体した影佐禎昭や今井武夫との間で話し合いが重ねられ(重光堂会談)、11月20日、両者は「中国側の満州国の承認」「日本軍の2年以内の撤兵」などを内容とする「日華協議記録」を署名調印した。

    その合意の実現のため、汪側は、「汪は重慶を脱出する。日本は和平解決条件を公表し、汪はそれに呼応する形で時局収拾の声明を発表し、昆明、四川などの日本未占領地域に新政府を樹立する」という計画を策定した。

    この計画に従い、12月18日、汪はついに重慶脱出を決行した。12月20日、ハノイ着。汪の脱出に前後して、陳公博、陶希聖、梅思平らの汪グループも、それぞれ重慶から脱出した。しかし汪の期待に反して、昆明の竜雲、四川の潘文華、第四戦区(広東・広西)の司令官張発奎将軍などの軍事実力者たちは、ついに汪に同調することはなかった。

    さらに汪にとって打撃となったのが、12月22日、汪の脱出に応える形で発表された近衛声明(第三次近衛声明)である。声明は、汪と日本側の事前密約の柱であった「日本軍の撤兵」には全く触れておらず、汪グループに強い失望を持たせる結果となった。

    12月29日、汪は通電を発表し、広く「和平反共救国」を訴えた(「29日」の日付をとって「艶電」と呼ばれる)。蒋政権はただちに汪を国民党から永久除名した。民国28年(1939年)1月、近衛文麿は突然首相を辞任し、汪の構想は完全に頓挫することとなった。

     当初の構想が挫折した汪は、しばらくハノイに滞在することになる。民国28年(1939年)3月21日、国民党の刺客が汪の家に乱入、汪の腹心であった曾仲鳴を射殺した。刺客は汪を狙ったが、たまたま当日は汪と曾が寝室を取り替えていたため、曾が身代わりに犠牲になったものだった。

    日本側は、ハノイが危険であることを察知し、汪をハノイから脱出させることにした。影佐禎昭、犬養健(いぬかいたける)らがこの工作に携わり、4月25日、汪はハノイを離れ、5月6日、上海に到着した。」
     

    犬養健
    犬養健

    で、犬養健について。。。

    「 犬養 健(いぬかい たける、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。正三位勲一等。元首相犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。

     学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学哲学科中退後白樺派の作家として活動した後政界に入った。1941年にはゾルゲ事件への関与容疑で拘引、警察当局の取り調べを受け起訴されるが無罪となる。

     父である犬養毅が清朝期の中国革命活動を支援し、孫文らと交流があったため、健も幼い頃から中国の政治家らと深いかかわりを持っていた。五・一五事件で父が暗殺された後は、その遺志を継ぐべく、影佐禎昭や今井武夫らとともに、泥沼化する日中戦争期間中、和平工作に全力を注いだ。特に汪兆銘(汪精衛)を擁して、日本占領下の南京に親日の国民政府を設立させる活動に傾注した。このときの出来事を著書『揚子江は今も流れている』(中公文庫)に残している。

     仲子夫人との間に1男1女をもうけた。長女・道子は評論家、長男・康彦共同通信社の社長を務めた。


    共同通信 ロゴ

    康彦の後妻大原総一郎の娘。また、健が妾で芸妓の荻野昌子に生ませた非嫡出子が安藤和津(のち認知)なので、俳優の奥田瑛二は健の娘婿にあたる。」

    安藤和津
    安藤和津

    奥田瑛二
    奥田瑛二

    で、安藤和津について。。。

    「 東京柳橋に、元法相犬養健の妾の子(非嫡出子)として生まれ、のち子として認知される。犬養とは年が離れているため、親子というよりはむしろ孫と祖父と見られる事も多かったという。祖父は元内閣総理大臣の犬養毅。母は柳橋の芸者で料亭“をぎの”経営者の荻野昌子。評論家犬養道子は異母姉、犬養康彦は異母兄で、国際協力機構(JICA)理事長の緒方貞子は従姉の娘にあたる。

    学習院初等科・女子中等科・女子高等科を経て上智大学文学部独文科中退。2年間の英国留学などを経て、1979年(昭和54年)俳優の奥田瑛二と同棲後に結婚。長女は映画監督の安藤桃子、次女は女優の安藤サクラ。」


    緒方貞子
    緒方貞子

    いろいろと、見えてきましたでしょうか♥

    では、緒方貞子について。。。

    「 1968年(昭和43年)、国際基督教大学講師を務めていた時に、参議院議員を務めていた市川房枝の訪問を受けて、市川から「今年(1968年)の国際連合総会日本代表団に加わって戴きたい」と要請される。これが契機となって緒方自身は国際連合の仕事に関わるようになる。

    国連公使、国際連合児童基金(UNICEF)執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、第8代国連難民高等弁務官(1990-2000年)他を務める。2001年からアフガニスタン支援政府特別代表、2003年から国際協力機構(JICA)理事長。

    2002年、外務大臣田中真紀子の更迭時にはその後任に推す声もあったが、本人が固辞した。2007年11月のデイヴィッド・ロックフェラー来日時には、回顧録出版記念パーティーの発起人を務めた。

    小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関として、2004年(平成16年)12月27日に設置された皇室典範に関する有識者会議に、メンバーの一人として参加した。これは、いわゆる日本の皇位継承問題やそれに関連する制度(皇室典範)について、2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出したようなものとなった。」


    ちなみに、この緒方貞子は、キリスト教徒・カトリック信者です♥。

    また、同じく大原総一郎も、カトリックの洗礼を受けていた夫人の勧めで受洗しています♥

    大原総一郎
    大原総一郎

    いかにも、怪しげですね♥

    こちらも、併せて御覧下さい♥

    昭和天皇が見抜かれていた大東亜戦争の遠因 ~ クリスチャンによる非道な人種差別



    『赤い羽根共同募金』と『鐘の鳴る丘』 ~ フラナガン神父って誰?



    皇室に忍び寄る「赤いクリスチャン」 ~ 賀川豊彦






    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事
    Category: 支那
    Published on: Sun,  29 2016 00:00
    • Comment: 2
    • Trackback: 0

    2 Comments

    カムバック  

    こんばんは

    緒方貞子、共同通信、大原家、色々胡散臭い名前が出てきました〜〜。

    日本は大丈夫ですかね?
    心配になります。これだけ色々仕掛けられていても、倒れない我が国
    奇跡なのかもしれないと思える。
    それとも、中から朽ちていて倒れる寸前なのでしょうか?

    2016/05/29 (Sun) 23:56 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: こんばんは

    カムバックさん、こんばんは♥

    大丈夫ですよ、私たちに日本は(*^_^*)

    最近、電車の中で、本を読んでいる方々が激増しています♥ 

    どんな本を読んでいるのか、分からないんですけれども、「知ろうとしている」日本人が増えてきたのではないでしょうか♥

    「性善説」過ぎますでしょうか♥

    2016/05/30 (Mon) 19:53 | REPLY |   

    Post a comment