ヒトラーは、もしかしたら天国にいるかもしれない

    ヒトラー
    アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家である。ヒットラーとも表記される。指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。

    社会主義 独裁者

    習 ヒトラー




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 アメリカの一般国民は、「日本人にとって昭和天皇は【生き神】だ」と思っています。

    昭和天皇 (2)

    これが【日本の皇室とイギリスの王室とで違っている最大のポイント】です。

    ポイント 女性

    典型的なステレオタイプであり、営々と続いてきた宣伝の結果ですが、「神」というところが大いに問題となります。

    悩む女の子2

     アメリカ人ヨーロッパ人より教会に行きます。だから、「なぜ、あいつは自分が神だと思っているのか」とか「あれは神の侮辱だ」とか「日本のエンペラーは思いあがっている」と反発するのです。

    驚き顔

     【「神」という点だけは受け入れない】

    ポイント 女性

    それは、「神」というときの中身が違うことをわかっていないからです。英語で「神」は「God」ですが、日本の「神」は「God」ではなく日本語で「聖人」「聖者」と訳される「saint」という単語が適切だと思います。

    靖国神社

     【靖國神社は戦争で亡くなった霊を「神」として祀りますが、カトリック教会では「いい人」が死ぬと聖人になります】。神ではないけれど、聖人も信者が祈る対象です。その意味で、靖國神社の英霊とカトリック教会の聖人はかなり平行していると思います。

    靖国

     靖國神社に関してつけ加えると、「東京裁判でA級戦犯となった戦争犯罪人が祀られている」という理由で参拝を批判する人たちが多いけれども、日本人の場合死んだらみんな同じであり、それを祀ったりお参りしたりお祈りするのは純然たる宗教行為です。

    ポイント 女性

    クリスチャンにも、「死んだ人たちはこの世の罪がなくなる」というような論理があります。しかし欧米での靖國神社の問題は、単なる宗教行為の枠に収まっていません。なぜかと言うと、戦争の勝者と敗者という関係があるからだと思います。それがなければ欧米の人は靖國神社参拝を理解できるはずです。しかし、第二次世界大戦の勝者として思い上がった立場をとっている。だから、A級戦犯の人たちを批判することに容赦がない

    悩む女の子2

     このことに関連して、欧米でよく挙げられる仮説があります。第二次世界大戦で一番悪い人間はヒトラーと言っていいでしょう。

    ヒトラー

    その【ヒトラーは、もしかしたら天国にいるかもしれない】のです。

    驚き顔

    あり得ないという人はいるけれども、【キリスト教の考えでは、もし彼が死ぬ前に「許してください」と言えば、どんなに悪いことをしても天国に行ける】

    驚き顔

    だから、あの世にいる人たちのことを判断できないというのがクリスチャンの基本的な論理です。

    ポイント 女性

    東京裁判や靖國神社を見るときにそれを忘れるのは、勝利国の矜持(きょうじ)というより傲慢(ごうまん)さのゆえでしょう。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    この書物の著者は、アメリカ人で、日本の近代思想を中心に近代日本史を専門とする大学教授で、そしてカトリック教徒でもあります。

    この書物を読み進めていくと、私たち日本人が気付かないアメリカ人的な日本の見方カトリック的な日本の見方、そういった違った角度から見える私たちの日本が書かれていて、とても参考になります。もちろん、ところどころで、それはちょっと違うって言いたくなる部分もあったりしますが、日本人ではないわけですから、まだまだ誤解もあるんだろうなって考えさせられたりします。

    同じような感想は、先日ご紹介いたしましたクロード・レヴィ = ストロースの書物を読んでいても持ちましたが、まだまだ私たち日本人や日本のことを理解されていない外国人は沢山いるんだなって、改めて気付かされます。ここは、私たちの課題ですね♥

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    詳しくはこちらをご参照♥

    クロード・レヴィ = ストロース  月の裏側 (日本文化への視角)



    で、今回ご紹介させていただいている記述は、やはり違和感を持たれる日本人が多いのではないでしょうか?まさに、一神教的な思考背景に隠れているからです♥

    ここでは、あえて批判は致しませんが、私たち日本の天皇が「神」であるということは、アメリカという国が、この世に存在していない遥か昔から、脈々と続いている事実です♥

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。現御神、現神、現つ神、明神とも言う(読みは全て「あきつみかみ」又は「あきつかみ」のどちらかである。)。荒人神とも書く。

     その起源は古く万葉集にも天皇を現つ神として歌い奉る物は数多く存在する。柿本人麻呂は「大君は にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも」、「やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 ながら さびせすと 太敷かす…」と歌い。田辺福麻呂は「現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に…」、山部赤人は「やすみしし 我が大君の ながら 高知らせる 印南野の…」、石上乙麻呂は「大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に…」と歌っている。

     神道の教義上では現在も天皇は皇祖神と一体化した存在として認識されており、天皇が神社に拝礼することは「参拝」ではなく「親拝」と呼んでいる。

    なお、本来現人神とは必ずしも天皇に限られるものではない。古くは生き神信仰は全国各地にあったと考えられ、たとえば、祭祀を通して神霊と一体となった神官が現人神として敬われることもある。」


    つまり、私たちの日本では、神々がたくさん存在していて、唯一の存在ではありません

    ここに、違和感を感じた理由があるんです♥

    それはともかく、著者が言っている「ヒトラーは、もしかしたら天国にいるかもしれない」についても、驚かれたのではないでしょうか?

    ヒトラー

    ヒトラーが、もしかしたら天国にいるかも・・・なんていう疑問が、どうして議論されるのでしょうか?

    それはそもそも、キリスト教に問題が存在するからなんです♥

    「 私のお墓の前で 泣かないでください
     そこに私はいません 眠ってなんかいません
     千の風に 千の風になって
     あの大きな空を 吹きわたっています

     秋には光になって 畑にふりそそぐ
     冬はダイヤのように きらめく雪になる
     朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
     夜は星になって あなたを見守る…

     日本では新井満氏の訳、秋川雅史さんの歌で大ヒットしたのでご記憶の方も多いでしょう。これは『千の風になって』という名前で広く知られるようになった詩の前半部です。もともとの詩は、アメリカ人女性詩人メアリー・フライの作品とされています。…

     この本で、のっけからこうしたポピュラーソングのことをいうのは、別に、その人気にあやかって書いたからではありません。それに、これは洒落たアメリカの歌のようだし、歌い方もオペラのように声量豊かにうたっており、日本の歌のようには聞こえません。この歌は、秋や冬のことが書かれていても、春や夏のことには触れていないので、日本人のように四季を平等に愛する詩人ではなく、寒い秋冬だけをことさらうたう、欧米の詩人が作者なのだろうなと考えたりします。日本の歌人であれば、春夏秋冬、昼も夕も読み込み、もっと長い歌詞になっていたでしょう。

     しかしそれでも、この歌は決して欧米的ではないと思うのです。少なくともキリスト教的ではありません

     キリスト教では、死んだら「最後の審判」を待ってお墓の中に死体となってずっといるのです(教義上はそうです)。簡単にお墓から抜け出すような自由さはありません。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    『神曲』 ダンテとベアトリーチェの物語 ~ キリスト教を信じても、救われることはありません



    「 ルネサンス時代の、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロといった画家たちの名を挙げましたが、彼らが、キリスト教をどのように理解していたのかを具体的に示す例として、有名なシスティナ礼拝堂の『最後の審判』を取り上げたいと思います。 この『最後の審判』を見ることによって、キリスト教文明とは何かを理解することができるのです。
     システィナ礼拝堂は、カトリックの中枢の礼拝堂で、法皇の選挙(コンクラーベ)が行われることでもしばしば注目を集めます。その礼拝堂の正面に描かれたミケランジェロの『最後の審判』こそ、西洋人のキリスト教観がどんなものかを一番よく示していると同時に、芸術そのものを世界に鳴り響かせた傑作でもあるからです。それがどういうふうに描かれたのか、そしてそれが日本の神の観念とどう違うのか対比させることで、キリスト教世界のヨーロッパと日本との違いが明らかになると思います。


    最後の審判 ミケランジェロ 2

     『最後の審判』は1535年から1541年頃、ミケランジェロの晩年に描かれた作品です。長い時間がかけられ、描かれた大作ですが、大きな壁面に向かって彼は老年期の力を振り絞って描いた集大成であったわけです。…

     『最後の審判』という作品は、人間は死んだ後キリストの最後の審判を受けて、地獄か天国に行くという、キリスト教の黙示録を題材に、その審判の場面を描いたものです。

     『最後の審判』は中央の高いところに審判をするキリストがいます。ジョットや16世紀頃にフラ・アンジェリコが描いた『最後の審判』とどこが違うのかというと、周りの人々が一斉に中央のキリストの顔を見ていることです。これが重要で、他の作者の絵は、審判者であるキリストの顔を見ずに、全員が天上で着物を着て穏やかな顔をして座っています。そこでは、キリストによって選ばれ、天国に行くことができた人たちの美しい顔、満足した顔が描かれているのです。その一方で、右の下のほうには地獄に落ちる人たちが、悪魔に足を引っ張られている凄惨(せいさん)な姿が描かれています。
      ミケランジェロももちろん、天上の人を描いていますが、そこにいるすべての人を全裸で描いたのです。天国にいる人も裸体で描いていたのです。そして右下の端のほうに、地獄に落ちる人たちを描いています。これもすべて裸です。これはどういうことなのでしょうか。


    最後の審判 ミケランジェロ

     彫刻家でもあったミケランジェロは人間の裸体が好きだったということをいう人もいます。しかし、天の人々も裸だというのは、彼らはまだ、最後の審判を受けていないということなのです。ですから、彼の作品には最後の審判を待っている人たちが描かれているのです。つまりミケランジェロは、キリスト教の信仰の核心を神の審判を待っている状態においたのだと思われます。

      裸体であるということは、人間の原罪を負った姿が描かれていることになります。原罪とは、アダムとエバが禁断の木の実を食べて楽園を追放されたときに、人間が負うことになった罪です。そのとき彼らは裸なのです。その裸のままの姿で『最後の審判』に描かれているということは、たとえ天上に描かれているとしても、彼らはまだ最後の審判を受けていないということなのです。

      描かれた人々を見ると、みな不安そうな顔をしていて、決して喜んだりしていません。皆一斉に不安な顔付きでキリストを見ているのです。聖アントニウスなどの聖人が周りにいますけれども、聖マタイ、聖ペテロのような彼らも同じように一斉にキリストを見ています。すべての人がまだ審判を下されていない状態で描かれているのです。

      つまり、人間は決して自分が天国へ行くあるいは地獄へ行くということを知ることができない。その審判を待っている状態こそが、キリスト教なのだということを表現しているのです。これはヨーロッパの人たちの考え方文化を象徴しているもので、キリスト教は実は問題を何も解決してはくれないということなのです。しかし、同時に解決してくれるだろうということを待ち望んでいるという態度、その生き方がキリスト教の信仰のあり方だととらえているのです。…」


    詳しくはこちらをご参照♥

    キリスト教は、実は問題を何も解決してはくれません ~ 「待つわ」 あみん



    つまり、人間は天国へ行くか地獄へ行くということを知ることができない、その審判を待っている状態こそがキリスト教なんです♥

    だから、ヒトラーが、天国に行くのか地獄に行くのかも、誰にもわからないわけです♥

    ヘンテコな考え方ですね♥

    で、世界中がそのことに気が付きはじめている、それが現代のキリスト教を巡る動きなんです♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    世界ですすむ「脱キリスト教」 ~ 日本人にはフィクションにしか見えない「キリスト教」



    続きは次回に♥




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    Category: 日米関係
    Published on: Tue,  24 2016 00:00
    • Comment: 2
    • Trackback: 0

    2 Comments

    ツバサ  

    No title

    どうも初めまして(´∀`)
    いつもブログにお越し頂きありがとうございます♪
    いつも記事を拝読させて頂いていたのですが、
    今回は思い切ってコメントさせて頂きました。

    「戦争の勝者と敗者という関係」というのは、
    確かに仰る通りですよね。
    アメリカを含めた連合軍が枢軸側に勝ったとはいえ、
    靖国神社の参拝に対して勝者だからといって、
    あれやこれやと言うのは違いますもんね(><)

    いつもみっちゃんさんは書籍と共に紹介していらっしゃるので非常に説得力があって読みやすいです^^
    今回の続きも楽しみにしてますね♪

    2016/05/24 (Tue) 20:55 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: No title

    ツバサさん、こんにちは。
    ご訪問&コメントありがとうございます♥

    仰るとおり、他国の宗教に干渉しないって決めた「ウェストファリア条約」で漸く近代国際法に道が開かれたわけで、それをすっかり忘れて、とやかく言うのは、明らかに「前近代的思考」ですね♥ 

    これからも、宜しくお願いします♥





    2016/05/26 (Thu) 17:08 | REPLY |   

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