オバマ大統領の広島訪問で、知っておきたいこと ~ 世界中のインテリを驚かせた「日本の凄さ」

    20150726141101c06.jpg
    昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年(大正15年)12月25日 - 1989年(昭和64年)1月7日)。

    諱は裕仁(ひろひと)。幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 終戦後間もない昭和21(1946)年2月から【約8年間かけて、昭和天皇は国民を励ますために日本国中を巡幸された】

    lif1409090056-p1.jpg

     天皇を迎える日本国民の姿に、【世界中のインテリ】が驚いた

    悩む女の子2

    「君主制は敗戦に耐えられない」のが世界の歴史と常識敗戦国の君主は、国民に殺害されるか国外逃亡が当然だった

    こちらもご参照♥

    日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」



     天皇が巡幸を始められた当時、戦争が終わった直後で、銃などの武器はいたる所に残り警備もほとんどない。敗北した国の治世者が、こんなにも危険な状況に身をさらした前例はない

    792c0bc200b22c400f1a9ae994197d15.jpg

     世界は、天皇は殴られ、刺され、銃で撃たれ、命を奪われるのは間違いないと確信していた。

    Emperor_Showa_visit_to_Joban_Coalfield_in_1947.jpg

     ところがそこには【驚くべき日本国民の姿があった】

    4ed94ebffa0a8679e0139d51d8bc3251.jpg

     どこに行っても天皇は群衆に歓迎されもみくちゃにされる【涙を流して、「天皇陛下、万歳!」と歓迎を受けるその姿に、世界中が驚いた】

    ポイント 女性

     それほどまでに日本国民は天皇を愛し尊敬していた。

    showaemperor2.jpg

     日本人と天皇との結びつきは神話の時代から脈々と続く。私自身も天皇を心から愛し、尊敬している。…

    showaemperor3.jpg

     私が海外を飛び回っていて、【日本の偉大さ】に大きな感動が自然と湧いてきたことがあった。それは【天皇と国民のあり方】

    e0124.jpg

     権威としての天皇と権力者としての将軍。織田信長も豊臣秀吉も、徳川家康も絶対的な権力を握りながらも、決して天皇の権威を奪い、抹殺することはなかった。【これこそが日本のすごさ】だと思った。

    1005282.jpg

     アメリカは、戦争に負けた昭和天皇は日本にいられなくなると判断し、ロンドンか北京に亡命させようと考えていた。ところが【昭和天皇は亡命どころか、「国民のために自分の命は、どうなってもいい」と覚悟を決めていた】

    昭和天皇

     その実践が全国巡幸だった。そして広島へと向かう。

     【原爆が落とされて2年後の昭和22年】。当時は、誰も広島へは行きたがらなかった。「70年間は放射能の影響で草木も生えない」「広島県民と結婚すると子供もできない」と言われていた。

     天皇広島へと巡幸されたのは深い考えがあったと思われる。広島県民涙を流して天皇をお迎えした【5万人もの大観衆が待っていた】。「天皇陛下が来てくれた。もう広島は大丈夫だ。俺たちは結婚もできる」と力いっぱい手を握っていた。

    20160306112513677.jpg



     【混乱した時代に一兵の守りもなく巡幸されるのは、世界から見ると奇跡】である。

    ポイント 女性

     徹底的に叩き潰された日本が復活したのは、「民を愛する天皇と、天皇を愛する国民」の深い絆があったのも大きな要因だったと私は思う。』

    全国巡幸 国民を慰め、励まされるための旅

    日の丸

    いかがでしょうか?

    原爆が落とされてからたったの2年後に、昭和天皇広島の地を訪れていますね♥

    今月の伊勢志摩サミット後には、オバマ大統領も訪れます。

    s_ice_screenshot_20160511-065145.jpg

    いろいろと騒々しいですけれども、これは日米両政府の正しい外交上の判断だと思います♥ たとえ形の上であっても、一区切りつけておかなければ、そもそも喫緊の課題である支那や朝鮮の問題に対応が出来ないですから♥

    支那が現在行っていることは、まさしく前世紀の「帝国主義政策」です。しかも「共産党一党独裁」の「ファシズム」です。ヒトラーのドイツと、まったく同じことをやっています♥ その支那に対して「反帝国主義」、「反ファシズム」の動きが世界で起きていて、その中心的役割を私たちの日本が行っている、これが現在の地政学的な状況です。いわゆる支那封じ込めの体制が、もうすぐ完成しようとしているんですが、その中で怪しげな動きをしているのが「ドイツ」なんです♥ このあたりは、別の機会に詳しくご説明させて頂きます。

    img_0_20140927182138ceb.jpg

    さて、上の写真は、東京裁判におけるブレイクニー弁護人ですが、今回のオバマ大統領の広島訪問を機会に、もう一度、彼が何を語っていたのかを、振り返ってみましょう♥

    「 国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人による戦争行為という新しい犯罪を、この法廷が裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にはならない。それは殺人罪ではない。戦争は合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問われなかったのです。キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も、我々は承知している。彼らは殺人罪を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは、彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。

    原爆を投下した者がいる!

    この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!

    その人たちが裁いている。 」


    こちらもご参照♥

    それって、犯罪? いいえ、犯罪ではないんです♥





    非常にまともな見解ですね♥

    ところで、このブレイクニー弁護人が担当した被告、それが梅津美治郎(うめづ よしじろう)です。

    梅津美治郎
    梅津美治郎

    最後の最後まで「本土決戦」を主張していた人物です。

    ここで、覚えておいて頂きたいのが、戦時中、国家総動員総力戦を謳ったり徹底抗戦や、本土決戦を主張したり、これらの言葉は、共産主義者が口々に唱えたものだったということです♥

    ポイント 女性

    共産主義者目標としていたのは、「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガンでした。

    1932(昭和7)年5月に、いわゆる「三二テーゼ」と呼ばれるスローガンが、コミンテルンで採択されました。

    正式名称は、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」です。

    日本共産党

    つまり、「日本共産党の任務」は、私たちの日本を、徹底的に戦争で疲弊させ、そして「敗戦から革命へ」、すなわち社会主義国家・共産主義国家の日本にしようとしていたことなんです♥

    それは、次のように高らかと謳っています。

    「 日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。…

    換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。…

    現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。

    ●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ。

    ●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し。

    ●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。

    ●ソヴィエト連邦および中国革命の防衛 」
     (『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)

    話を元に戻しまして、ではなぜ、梅津美治郎は、最後の最後まで「本土決戦」を主張していたのでしょうか?

    悩む女の子2

    もう、お分かりですね♥

    では、どのように一連の人物が繋がっていたのかといいますと。。。

    「 近衛の死も木戸に伝わった。木戸は近衛の死について、極めて事務的な言辞を一行だけ残して巣鴨へ向かった。

    「近衛公今暁(こんぎょう)自殺云々(うんぬん)を報ず。甚(はなは)だ残念なり」

     学習院初等科以来の友人の死への言葉は、「甚だ残念なり」だけだった。


    近衛文麿
    近衛文麿

    「戦争犯罪人として、米国の法廷に於いて裁判を受けることは、堪え難いことである」

     遺書でそう言い残してみまかった近衛】は、自決後も内外から非難を浴びせられ、今日に至っている。

     国民に対してとは別に、公卿(くぎょう)華族としての近衛は藩屏(はんぺい、皇室を護るもの)、御盾の責も負っていた。

     武家新華族の木戸も同様である。


    東條英機
    東條英機

     東條は天皇の軍隊に全責任を負っていた。

     この責を近衛は巣鴨への出頭を拒絶し、自決によって清算した。

     東條は極東国際軍事裁判には端然として臨み、「宣誓供述書」において天皇を守り、巣鴨の露となった。

     残るもう一人の藩屏・木戸は終身禁固刑を言い渡されたが、昭和三十年十二月十六日、巣鴨から仮釈放された。近衛の祥月命日(しょうつきめいにち)であったことをかつての盟友は知っていたであろうか。…


    木戸幸一
    木戸幸一

     天皇の知らないところで木戸は共産主義者と手を結び近衛を陥れた迫り来る共産主義の脅威を述べた近衛上奏文を入手した木戸はその場で都留に電話を掛けて相談し、直ちに梅津参謀総長に連絡したのだ。

    梅津美治郎
    梅津美治郎

    都留重人
    都留重人

     梅津はさっそく四方諒二憲兵隊長とともに吉田(茂)グループ逮捕の証拠固めに奔走し、間もなくスパイの手で吉田宅からも上奏文の写しが押収された。

     都留のシナリオどおりに吉田グループは逮捕されたが、憲兵隊もさすがに公爵・近衛の逮捕にまでは踏み切れず、監視を続けるに留まったのだった。

     木戸・和田兄弟の家に仮寓していた都留重人(つるしげと)は、いわば木戸ファミリーの婿養子に入ったようなものである。都留の行動に対して、木戸一家が総力を挙げて支援していたと考えるのが常識だろう。

     ということは、天皇を取り巻く環境に共産主義者の計画的な陰謀が迫っていた事実を証明するものである。

     戦後から今日に至るおおかたの近衛批判は、先に紹介したノーマンの「覚書」をそっくりなぞったものに過ぎない。

     近衛の二男・通隆氏(平成二十四年没)は、筆者に最後にこう語っている。

    「そうなのです、父は木戸に殺(や)られたのだと思っています」

     日本を売った「赤いユダ」天皇の側近とその親族にいたという事実は、あまりにも深刻で身震いがする歴史である。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    共産主義者と手を結び、近衛文麿を陥れた木戸幸一



    で、こういった事実を隠そうとして左巻きの連中は、悪さしています♥

    こちらをご参照♥

    朝日新聞 本当はこんなに酷い! 近衛文麿の手記の場合



    アメリカがつくった「日本共産党」 ~ 今でも利用されている左翼・リベラルな人々



    ちなみに、ハーバート・ノーマンも共産主義者だったことが、最近判明しています♥

    ハーバート・ノーマン
    ハーバート・ノーマン

    さて、今回のオバマ大統領の広島訪問なんですが、長崎はどうなったのでしょうか? どうせなら、両方とも訪れて頂きたいですね♥

    20160422_wb_ns04_1.jpg

    で、本日の最後になりますが、核兵器実際に使用された広島や長崎は、早期に復興を遂げたのですが、何故かごく少量放射線が原因となって、東日本大震災後の福島の復興は、いまだになされていません。これは、一体、どうしてなんでしょうか?

    悩む女の子2

    それは、パヨク=左翼=知性がないそういった連中による「嘘」惑わされている、そんな日本人が多いからです♥

    少し考えると、分かる話なんですが、、核兵器実際に使用された広島や長崎と、東日本大震災後の福島と、どちらが放射線の影響が多いですか?

    悩む女の子2

    「 日本が降伏する10日前の1945年8月6日、午前8時15分、広島上空に飛来したB-29エノラ・ゲイは中心部に原爆を投下した。地上580m地点で炸裂した威力は、TNT火薬換算で16kt(kt=1000t)という膨大なものだった。

     敗北が確実となった日本、その広島に米国はウラン型の核爆弾を投下したが、それは戦闘行為ではなかった。何故なら、無差別・無警告に虐殺された14万人近い広島市民のほとんどが非戦闘員だったからだ。米国はネバダで原爆実験を行ったが、都市実験はしていなかった。だからこそ、広島、小倉、新潟、長崎などを核実験場に選び、原爆の効果を知るため、これらの都市爆撃を控えていた。米国は「日本を早く降伏させ、双方の犠牲者を最小に止めるためだった」と言い訳するが、仮に日本を降伏させるためだったら、国際法に則り、警告ビラを撒く等の手続きを踏んでから投下することも出来たはずだった。

     例えば日本軍の南京攻撃も南京を包囲した後に国際法に則り空からビラを撒き、降伏と無血開城を求めた。それを拒否して戦いになったのだから結果責任はシナにある。だが米国は国際法上の手続きをとらずに全く不意に投下した。実験だから長崎にはプルトニウム型原爆を投下した。米国はここでも7万人以上の人々を無差別・無警告に虐殺した。これも市民虐殺を狙った戦争犯罪だった。…

     原爆は通常の火薬とは異なり、爆発と同時に膨大な放射線も市民に浴びせた。その後、被爆地はどうなったのか。広島を例に検証してみよう。


    原爆ドーム

     核爆発が起きた瞬間、爆心地は超高熱になると同時に数十万気圧の超高圧になり、それが膨張することで猛烈な爆風が外に向かって発生した。30秒後、爆風は11kmの地点に達したというから、平均秒速360mを上回る衝撃波となり、爆心地から半径数キロの木造家屋は壊滅した。同時に爆風が運ぶ熱と放射線で各所から火災が発生した。
     爆風は一旦弱まるが、熱せられた大気は浮力で急上昇するから、市内の風は爆心地に向かって流れ始め、見上げると、放射性物質と火災粉塵を巻き込んだ巨大なキノコ雲が上空を覆っていった。原爆投下の約1時間後、上空で冷却されたキノコ雲から煤(すす)を含んだ黒い雨が降り始め、8時間にわたって驟雨(しゅうう)となって広範囲に降り注いだ。市内の火災は10時から14時ころが最も盛んで、3日間燃え続け、全市を黒煙で覆って焼き尽くした。


    kusyu-atmic07.jpg

     「8月8日、ソ連が日ソ不可侵条約を破って日本への侵略を開始した日に京大調査班が編成され、夜行列車で広島に向かった」と現地に向かった近藤宗平氏は書き記す。その後も理化学研究所、大学、軍の調査団が編成され、徹底した調査が開始された。・・・
     時の政府は被爆地から「市民を強制追放」しなかったから一旦疎開した人たちは次々と故郷へと戻って来た福島など比較にならない放射線環境の中生き残った市民は広島を見棄てなかったそして復員した人たちと力を合わせて再建の道を歩んだ

     敗戦直後人出も物資も足りなかったあの時代広島市民は頑張り国の支援も受け着実に復興は進んだ恐怖を煽り福島県民を故郷から追い出し偉そうにふるまい、復興予算を流用し復興を妨げてきた民主党政権とは雲泥の差だった。


    o0480032613189437433.jpg

    民中合作 1 民中合作 3

     広島や長崎の人たちは爆心地に戻って行ったが、福島の復興を考えるとき、その違いを思い出してほしい。高田純教授『世界の放射線被爆地調査――自ら測定した渾身のレポート』(講談社)で次のように記す。



     「(核攻撃2カ月後の)10月には仮設の住宅が市の中心部から立ち始めた。その月の11日には、市内電車の主要路線が復活し、市民を元気づけた。・・・

     1946年1月8日、広島復興局が設置され、4月には広島復興都市計画が決定し、五カ年計画が着手された。その月には都市ガスの供給も再開された。5月31日には、市内の水道復旧率は70%にもなった。その年、市の人口は15万人になった。70年間は草木も生えないと思われたが、その夏、雑草が芽を出した。深刻な食糧難の中、多くの菜園も造られている。」

    「被爆後、半世紀を経た現在、爆心地周辺の環境放射線の強さは、毎時0・1μSv以下で、他の日本の地域と比べても普通の値である。現在残留放射能の心配は全くなく市民は平和に暮らしている。」 ・・・」


    詳しくはこちらをご参照♥

    広島と、長崎と、福島の違い ~ 日本人の知性が試されています



    いかがでしょうか?

    いま私たち日本人の知性が試されていますね♥

    それでは、併せて、こちらもご参照ください♥

    ベクレルとシーベルトの違い ~ 無知からくる反原発の風評被害



    ベクレルからシーベルトへの換算 ~ デトロイト美術館展 大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち



    おまけ♥ 昭和天皇の巡幸での、とあるお話です♥



    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事
    Category: 日本
    Published on: Tue,  17 2016 00:00
    • Comment: 0
    • Trackback: 0

    0 Comments

    Post a comment