沖縄県と「タカリ」 ~ 集(たか)り = 人をおどして金品をまき上げること。また、その行為をする者。

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    ホワイト・ビーチ地区とは、沖縄県うるま市(沖縄本島)に所在する在日アメリカ海軍の港湾施設である。

    ホワイト・ビーチ地区は、勝連半島の先端部にある。白砂が美しい海岸に2つの堤が突き出ており、その先端にそれぞれ桟橋が設けられている。それぞれは、アメリカ海軍桟橋とアメリカ陸軍桟橋と呼ばれており、アメリカ軍向けの補給物資の揚陸全般(危険物は天願桟橋から揚陸)、アメリカ海軍艦船への補給、寄港する第7艦隊艦船や原子力潜水艦、国連軍加盟諸国艦船などの受け入れを行っている。有事の際は、空母や強襲揚陸艦へのアメリカ海兵隊員の搭乗にも使用される。

    なお、隣接地に海上自衛隊沖縄基地があり事実上一体化している

    地権者と地域経済にとっての重要性

    地区の地権者たちにとっても、土地の賃貸料(軍用地料)国から土地接収に対する「補償」という形で支給され重要な収入源となっている。この軍用地料地域経済に与える影響は大きく仮にの土地が完全返還されたとすれば、地区に深刻な経済的ダメージを与えると我部政明は見ている。また支給開始以来、その支給額が年々安定的に上昇していることもあいまって、むしろ地権者から「返還反対運動」が起こされているという。更に、米軍が決して手放さないということを「軍用地料の支給が半永久的に保証されている」ことと捉え、この軍用地料を「利息」と見立てた不動産投資物件として売買される事態が起きている

    軍用地料推移
    軍用地料推移

    福島瑞穂こと工作員 趙春花 2




    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 普天間基地の辺野古移設に反対の理由を先に挙げました。

    ロバート・D・エルドリッヂ
    ロバート・D・エルドリッヂ

    そもそも私は辺野古ではなく別の移設先を提案していたのです。それは【沖縄東部の勝連(かつれん)半島沖】です。

    勝連沖

     勝連半島のそばには、浮原(うきばる)島と南浮原島という二つの島があります。【浮原島は現在、自衛隊と米軍が訓練場として共同で活用】しています。この二つの島の間を埋め立てて「集約基地」をつくるというのが、…【地元の方が提唱し、私が賛同した構想】です。

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     ここなら、飛行場や倉庫をはじめ、那覇軍港(那覇港湾施設)の機能を合わせた「集約基地」をつくることができます。

     たとえばキャンプ・キンザーには、海兵隊の物資に加えて、空軍や統合軍の物資を保管していますから、まずは空軍と統合軍の物資は嘉手納などの基地に移し、海兵隊の物資はその「集約基地」に移せばいい。そうすれば、キンザーの軍用地を整理できますしね。…

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     今の倉庫は以前ほど大きな敷地はいらないのです。たとえば京都の舞鶴市にある海上自衛隊の倉庫。この倉庫の敷地はそれほど広くはありません。だから、高さのある倉庫をつくり、物資を上に積むようにして置いている。必要なときはロボットを使って棚から降ろします。そうすれば広い敷地がなくてもよい。「集約基地」もこの技術を応用すれば、物資を納めることができます。

     そして、普天間基地の機能も、その「集約基地」に移設します。先ほど辺野古は滑走路が短すぎるという話をしましたが、勝連半島沖なら2740メートルどころか、3000メートルの滑走路を二本つくることができます。そうすると、県がもともと要望していた軍民共用も可能になります。…

    ポイント

     また、沖縄には那覇港湾施設という軍港があります。1974(昭和49)年に日米間で返還合意がなされたものの、まだ実現には至っていません。この軍港の機能も「集約基地」に移設することができますね。すると機能的にも便利ですし、一般道路での渋滞や交通事故をなくすことができるなど地元への迷惑も軽減できます。

    ポイント

     さらに自衛隊です。現在、自衛隊は那覇空港を使用していますが、その機能を嘉手納とこの「集約基地」に分散させる。そして、「集約基地」は米軍基地ではなく自衛隊の基地にすればよいのです。共同施設にして、米軍はテナントになるわけですね。

     これが私の描いていた「勝連構想」の概要です。…

     ちなみに、この「集約基地」をつくる場合、埋め立てに1年、工事に2年、環境アセスメントは法律で3年と定められているので、合計してもたったの6年で完成します。あの辺りの海ほとんど“死んでいる”ので、特別措置で環境アセスメントの期間を短くできるかもしれません。…

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     一番近い住宅地でも約3キロ離れています海の深さもたった数メートルしかないから、埋め立てるのも簡単

     「勝連構想」通称「ホワイト・ビーチ」です…』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    毎年毎年沖縄県は、私たち日本人が納める税金から、自分たちの為だけに使えるお金として、何千億円というおカネ無駄遣いしています♥

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    県民一人当たり約24万円に相当

    しかも、その半分ぐらいは領収書も不要使途の限定がなされない沖縄県だけの特権なんです♥

    それが「一括交付金」です♥ 羨ましいですね♥

    一体、いつまでこんな甘ったれた「タカリ」をやるんでしょうね♥ いい加減に自立して欲しいものです♥

    もし、心ある沖縄県であれば、全額返還して、今回の「熊本地震の被災地域」のために有効に使ってくださいって、そんな発言が翁長知事からあってもいいと思うのですが。。。

    領収書も要らない「日本の為に何もしないでタダで貰える一括交付金」は、他のどの都道府県にもないんですよ♥

    絶対に、おかしな話ですね♥

    翁長 支那

    ジュゴンがー、とか言いながら、「イルカを食べる」とか。。。

    サンゴがー、とか言いながら、これまでまともに環境アセスメントを行うことなく、漫然と土砂を海に投入したり。。。

    戦後の沖縄は、これまでに「辺野古埋め立て」16倍の面積の埋め立てを行ってきて、ここからさらに「辺野古埋め立て」の12倍の面積の埋め立てを計画していたり。。。

    デタラメ過ぎるにも、ほどがありますね♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    ジュゴンの海と、名護市の名物料理 ~ 北海道が沖縄県の1.5倍なこと



    他にも、まだまだ知られていない沖縄県の実態が沢山ありますが、こちらの書物をご参照ください♥

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    宮本 雅史 報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」



    それでは、昨日の続きに入ります♥

    私たち日本人は、戦後の教育で、「第二次世界大戦」あるいは「太平洋戦争」という意味不明な言葉で表現された戦争において、ファシズム国家だった、「ヒトラーのドイツ」「ムッソリーニのイタリア」と手を組み、アジアの国々を侵略し、「民主主義」の連合軍と戦い、そして敗戦、ようやく戦前の体制が崩壊し、「民主主義国家」としての道を歩み始めた、と教え込まれています

    さて、本当でしょうか?

    悩む女の子2

    答えは、もちろん「NO!」です♥

    それでは、ご一緒に見て参りましょう♥

     20世紀、今から約85年前世界の大国は、イギリス大日本帝国アメリカフランスイタリアです♥

    そして、私たち日本を中心に考えて、この時代の関係を現しますと、このようになります。

    大日本帝国(明治時代) VS ソ連(コミンテルン)、アメリカ(左翼ユダヤ)

    この当時、すでに私たちの日本では、ソ連(コミンテルン)や共産党の暗躍は、一般常識として広く国民に認識されていて新聞でも報道されていました

    この辺りを、非常によく纏めていらっしゃるのがこちらになります♥ 是非、ご訪問してみてください♥

    ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか

    そして当時、ソ連(コミンテルン)は、謀略によって、自国の敵同士を互いに、戦わせようとしていったことです♥

    1933年 世界地図
    1933年 世界地図

    ソ連(コミンテルン)を中心に見た場合周りが敵だらけでした♥

    西側に、イギリスフランスイタリアがあり、東側には、大日本帝国アメリカが存在していました。

    ですから、大国と対峙する「緩衝地帯」に位置する「ドイツ」と「中華民国」「道具」に使ったんです♥

    それでは、ソ連(コミンテルン)がやったことを見て参りましょう♥

    1931年9月「満州事変」が起こります。「満州事変」自体についての細かい説明は、省略させて頂きますが、ついにソ連(コミンテルン)の謀略によって、私たちの日本と中華民国が武力紛争(事変)に至ったんです。

    満洲事変で瀋陽に入る日本軍
    満洲事変で瀋陽に入る日本軍

    パヨク的思考を持つごく一部の方々のなかには、「満州事変から日本の大陸侵略が始まった」、なんて激しい思い込みをされていることもあるようですが、あまりにも無知すぎます♥ 恥ずかしすぎます

    確かに、私たちの日本(大日本帝国)と、中華民国は、武力紛争になりました。で、それが、どうして日本が一方的に侵略したことになるんでしょうか? それどころか、当時の国際社会は、次のように認識していました♥

    ・支那は、そもそも満洲に無関心だった。満洲の発展は、日本の努力によるものだ。
    ・日本は、共産主義・ソ連の脅威に晒されていた。
    ・日本の満州における権利が存在していた。
    ・日本側の行動は自衛のための行動である可能性を排除できない。
    ・支那の排日的な態度は不法である。
    ・この事変は「侵略戦争」などという簡単な事件ではない。


     実は、これらは、あの「リットン調査団」の報告書明確に記載されているんです♥

    ですから、「満州事変から日本の大陸侵略が始まった」、などというパヨク的思考を持つごく一部の方々は、この「リットン調査団」の報告書を、御覧になっていない、学校の社会科の授業で、ただテスト勉強の為に「リットン調査団」という単語を丸暗記しただけ、なんです♥

    柳条湖付近での満鉄の爆破地点を調査しているリットン調査団。
    柳条湖付近での満鉄の爆破地点を調査しているリットン調査団

    「 「満州事変から日本の大陸侵略が始まった」

     これはいわゆる東京裁判史観であり、日本の歴史教科書史観です。実際はそうではなかったのです。そのことはリットン調査団の出した報告書にも書いてあります。リットン調査団は、満州事変後に国際連盟が派遣した国際的な調査団ですが、その報告書を私たちはあまり勉強してこなかったのではないでしょうか。改めて読み直してみると、

    「満州の情勢はとても複雑だ。日本が中国を侵略したというような単純なことではない」

    と指摘されています。

    つまり、「日本は満州を侵略した」、あるいは「中国を侵略した」とは一言も書かれていないのです。


    一字

     戦後、多くの日本人が満州事変について十分な知識を持たないまま、安易に「日本は満州を侵略した」と決めてかかっています。その人たちは、自らの知的怠慢と不誠実さを大いに恥じ入るべきでしょう。」

    詳しくはこちらをご参照♥

    福島瑞穂の「知的怠慢と不誠実さ」 ~ リットン調査団



    では、ソ連(コミンテルン)は、何をやっていたんでしょうか?

    共産主義者であり、朝日新聞記者であり、「ゾルゲ事件」に関わる重要なスパイだった「尾崎秀実」(おざきほつみ)は、このように手記に書き残しています♥

    「 日米開戦直前の1941年10月に逮捕された尾崎(秀実)が残した手記によると、彼の狙いは次のように要約できよう。

     『コミンテルンの指導にのっとって日本における革命を成功させることではあったが、いきなりには出来ないので、先ずは中国革命のために中国共産党と手を組む
     そして日本を大陸の戦争に引き込み、これにより英米との対立関係を激化させる…』 」


    尾崎
    尾崎秀実

    詳しくはこちらをご参照♥

    【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥



    さらに、同時期、上海でも両国は武力衝突しています。それが、「第一次上海事変」(1932年)です♥

    ここでも、ソ連(コミンテルン)の謀略が存在していました♥

    上海北停車場方面第一線における日本軍装甲自動車隊の応戦
    上海北停車場方面第一線における日本軍装甲自動車隊の応戦

    以下は、Wikipediaからの抜粋です。

    「 当時の上海市にはイギリス、アメリカ合衆国、大日本帝国、イタリア王国などの国際共同租界とフランス租界からなる上海租界が置かれていた日本は北四川路及び虹江方面に「約2万7千の在住民を有した」。居留民の警護を目的とする各国軍が駐留していた。

     事変の起きる前日本と列強との関係について、大角岑生海軍大臣は「上海事件の起こる前に於ける日本と各国との関係は、すこぶる良好にして、即ち居留地外は上海市長呉鉄城の支配権内に在るも、居留地内は工部局が行政権を握り、其の執行機関たる参事会員は外人9名支那人5名を以て組織せるものなるが、各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」と発言した。前年の1931年の6月15日には、共同租界工部局警察が、上海租界で太平洋地域のプロフィンテルン支部(太平洋労働組合書記局)の連絡役であるイレール・ヌーランを逮捕して(ヌーラン事件、牛蘭事件)、日本の警察にも情報を渡していた押収された文書には、「国民政府の軍隊内に、共産党の細胞を植付け其戦闘力を弱める事が最も必要」だと記されていた。」


    いかがでしょうか?

    ソ連(コミンテルン)が何をやっていたか、御想像がつきませんでしょうか♥

    ちなみに、赤色労働組合インターナショナルのことを、通称、プロフィンテルンと呼びますが、これは、1921年にコミンテルンの後援のもと創設された国際組織です♥

    ここで、イレール・ヌーランについて。

    獄中のヌーランとその妻。1937年。
    獄中のヌーランとその妻。1937年。

    「 イレール・ヌーランは、プロフィンテルンに所属したソビエト連邦のスパイ。主に中国で活動した。本名はヤコブ・ルドニク(Jakob Rudnik)。

     ウクライナの労働者の家庭で生まれた。1917年2月、ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派の一員となり、十月革命では隊を率いて冬宮を攻撃した。1918年チェーカーに入り、1924年コミンテルンに移った。1925年タチアナ・モイエーセンコと結婚。1928年春、妻とともにコミンテルンから上海に派遣された。1930年、上海に3つの貿易会社を起こした。

     1931年6月15日、太平洋労働組合書記局の書記員のとき、妻とともに上海租界の工部局警察高等課に逮捕された(ヌーラン事件)。パスポート名はスイス国籍Ya.ルージャクであったが、ほかにも複数国のパスポートを所持し、十数か所のアジト別の名前での8つの郵便私書箱を有し、2つの事務所と商店を経営していた。ヌーランの検挙により上海を中心としてアジア各地に張り巡らされていたコミンテルンのネットワークが摘発されていった。

     逮捕の2か月後、アルベルト・アインシュタイン、マクシム・ゴーリキー、アグネス・スメドレー、宋慶齢らが発起人に名を連ねて、ヨーロッパで「ヌーラン夫妻を守る会」が結成され、世界的な釈放運動が進められた。

     コミンテルン書記で国際連絡部責任者のオシップ・ピアトニツキーはみずから救出活動の陣頭指揮にあたった。宋慶齢は監獄で数回にわたってヌーランと面会し、当時4-5歳だったヌーランの息子を自宅に引き取って養育した。リヒャルト・ゾルゲヌーラン救出のために法官を買収することを提案し、コミンテルンなどから総額10万ドルの買収費が拠出されたことが記録されている。1932年8月19日軍事法廷で死刑を宣告されたが、買収の甲斐あってか、1933年6月、大赦により終身刑に減刑された。

    日中戦争勃発後の1937年、保護観察処分となって拘留を解かれたのち、コミンテルンの手配によりソ連に帰国し、1963年に死去した。」


    いかがでしょうか?

    チャーリー宋の、「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と言われた娘の一人が出てきましたね♥ 

    そうです!「権力と結婚した」と嘲(あざけ)られている、孫文の嫁の宋慶齢です♥ ちゃっかり、「中華人民共和国名誉主席」なんていう意味不明な「肩書」まで持っているヒトです♥

    中華人民共和国の首脳陣と(左から張聞天・毛沢東・宋慶齢・周恩来・陳毅)
    中華人民共和国の首脳陣と(左から張聞天・毛沢東・宋慶齢・周恩来・陳毅)

    詳しくはこちらをご参照♥

    映画 『宗家の三姉妹』 ~ 「中国人」を簡単に理解するための「パロディ映画」



    ソ連のスパイだったイレール・ヌーランを、この権力と結婚した宋慶齢が、逮捕直後から、「ヌーラン夫妻を守る会」なるものを結成し、世界的に釈放運動を拡散することができたのは何故でしょうか?

    悩む女の子2

    おかしな話だと、お気づきでしょうか♥

    当時の中華民国の支配者になり損ねた「亡き孫文」の嫁であるだけだった彼女が。。。

    孫文
    孫文

    つまり、ソ連(コミンテルン)アメリカに蔓延(はびこ)る左翼ユダヤは、密接に結びついていたんです♥

    ここで、もう一度、確認してみましょう♥

    20世紀、今から約83年前世界の大国は、イギリス大日本帝国アメリカフランスイタリアです♥

    そして、私たち日本を中心に考えて、この時代の関係を現しますと、このようになります。

    大日本帝国(明治時代) VS ソ連(コミンテルン)、アメリカ(左翼ユダヤ)

    そして当時、ソ連(コミンテルン)は、謀略によって、自国の敵同士を互いに、戦わせようとしていったことです♥

    まんまと罠にはまったのが大日本帝国と中華民国でした。

    1933年 世界地図
    1933年 世界地図

    この「満州事変」「第一次上海事変」のあと1933年(昭和8年)3月、私たちの日本は正式に国際連盟に脱退を表明1935年正式に脱退しました。

    そして、この頃、ドイツで「妖怪」が生まれました♥それが、ヒトラーです♥

    ヒトラー


    続きは次回に♥




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    Category: 沖縄
    Published on: Sun,  24 2016 00:01
    • Comment: 2
    • Trackback: 0

    2 Comments

    カムバック  

    おはようございます

    毎日、楽しみにしています。
    世界は腹黒い・・そして、おそロシア 泣泣
    沖縄も深い理由があるんですね。私は何も知らなかった。お金は人を変える、世界共通なんですね。
    人当たりの良さ気な事を言って近づく人には要注意しないといけませんね。共産党は毎日駅前で演説してますが、最近は耳を塞ぎたくなりました。彼らに平和という言葉は使わないでもらいたい。そう感じています。これからもよろしくお願いします。

    2016/04/24 (Sun) 07:42 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: おはようございます

    カムバックさん、こんにちは♥

    お返事が遅くなって、ごめんなさい。。。

    ほんとうに、いつもありがとうございます♥

    沖縄の闇は深いですよ。宮古島に今度できるホテルにも、支那が裏から手を伸ばしてきたりしていますし。。。

    まだ、報道はなされてないみたいですけど♥

    最近は、共産党や左翼タタキの良書がたくさん出てくるようになりましたので、随時ご紹介して参りたいと思っています。これからも期待していてくださいね♥


    2016/04/25 (Mon) 17:09 | REPLY |   

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