門のように閉ざすことはないもの ~ 都市に「壁」は必要ですか?

    伏見稲荷大社 千本鳥居
    伏見稲荷大社 千本鳥居

    鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの文…鳥居のことをこれほど美しく説明した文はほかにはないだろう…

    小泉 八雲
    小泉 八雲

    「以前に見た寺の門とは趣は違うが、堂々と立っている。

     驚いたことに、どの輪郭もすっきりしていて、彫刻も彩色も文字もない。しかしながら、不思議な荘厳さがある。得体の知れない美しさがあった。それは鳥居だった。(略)

     しかし、これだけでは鳥居の外観、その威厳、門としての神々しい形姿について、正確に伝えたことにはならない。壮大な鳥居を初めて見た人は、もしかしたら、空に向かってそびえ立つ、美しい漢字の巨大な模型を見た、と想像するかもしれない。鳥居の持つすべての線に、生き生きとした表意文字の品格があり、書の大家が四回筆を揮(ふる)って書いたような、大胆な角度と曲線を感じさせるからである」
     (「東洋の第一日目」池田雅之訳)



     われわれはともすれば形式や細部に目を奪われて見損なってしまうが、鳥居の美はシンプルだが力強いその造形にあるということを気づかせてくれる文だ。こうした鳥居の美は、神社の魅力にも通じるものといえよう。…

    厳島神社
    厳島神社

     鳥居は二本の柱と二本の横木で造られている。横木は上のものを笠木(かさぎ)、下のものを(ぬき)という。笠木は二本の板を重ねたような形になっていることもあるが、この場合は上部を笠木、下部を島木(しまぎ)という。…

    鳥居の形状

     基本的構造はこれだけのことだ。それにもかかわらず鳥居のバリエーションは驚くほど多い

    驚き顔

     なお、柱の内側への倒れ具合のことを「ころび」といい、笠木の反り具合「反り増し」という。…

     【鳥居は笠木の反りの有無によって、神明(しんめい)系と明神(みょうじん)系に分けられる】

    伊勢神宮 内宮
    伊勢神宮 内宮

     反りのない神明系は、伊勢神宮の鳥居を代表的なものとすることからこの名があるが、明神系に比べて簡素な造りになっている。…

    平安神宮 大鳥居
    平安神宮 大鳥居

     明神系は笠木が反るだけでなく下に島木を持つことが多い。また、【鳥居全体が朱塗りにされることも多い】(しばしば笠木のみ黒く塗られる)。

    伏見稲荷大社
    伏見稲荷大社

    明神系という名称からもわかるように、【神仏習合の傾向が強かった神社で多く用いられた】。…

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    詳しくはこちらの書籍で♥



     鳥居はその存在で内側が聖地であることを表し厳然とした結界を示しつつも【門のように閉ざすことはない】

    ポイント

    神社の入口にこれほどふさわしいものはないだろう。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    神社の入り口である「鳥居」の素晴らしさが、御理解いただけましたでしょうか♥

    門のように閉ざすことはない、それが「鳥居」の大きな特徴ですね♥

    同じように、私たち日本人からすれば当たり前のことが、世界の国々では決定的に違っていることがたくさんあります。

    日本人も、また外国人も、それぞれお互いの常識に基づいて、相手も「そうだろう」と誤って推測しがちになります。

    つまり、私たち日本人は、自分たちの日本と同じようなのだろうと考えがちですし、逆に、外国人は、きっと日本もそうだろうって考えるんです♥ これが、誤解を生む原因となっています♥

    たとえば、都市。私たち日本の都市には、「壁」はありませんでした♥ ですが、外国では「壁」が存在しています♥

    キリスト教・カトリックの総本山であるバチカン市国。いわゆる都市国家ですが、そこには大きな「壁」があります♥

    バチカン

    バチカン 2

    バチカン 3

    およそ180年ほど前のパリでも、「壁」が作られました♥

    ポルト・ド・ヴェルサイユのティエールの堡塁(1913年)
    ポルト・ド・ヴェルサイユのティエールの堡塁(1913年)
    Lenceinte_de_Thiers_(Paris)-_la_muraille,_le_fossé,_le_talus_de_défense,_et_des_petits_zonards_faisant_paître_leurs_chèvres

    500年ほど前に定住がなされた、世界遺産にもなっているカナダのケベック旧市街の歴史地区にも、「壁」がありますね♥

    ケベック歴史地区 2

    ケベックシティ 1

    ケベックシティ 2

    で、私たち日本の場合は、その「壁」がなかったんです♥

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    平城京復元図

    「 和銅三(710)年、奈良に平城京がつくられました。およそ4キロ四方の土地を南北に長いやや長方形に仕切り、広い道路で碁盤の目のように区画されました。その北の中央に置かれた区画に、天皇の住居や役人の邸宅が建てられました。飛鳥から寺院が移され、官営の市場も設けられました。
     平城京は唐(唐の支配民族は漢人ではなく「鮮卑」と呼ばれる北方の遊牧騎馬民族です)の都長安に似せてつくられたといわれます。
     ですが、決定的に違っているところがありました。中国の都市は頑丈な城壁で囲まれています。

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     長安は外からの敵を防ぐ外壁と、内部の人々を監視する内壁と、二重の城壁がめぐらされていましたが、平城京にはそんなものはありませんでした。

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    外から侵入する敵を防ぐ必要も、内側の人々が騒ぎを起こす心配もなかったからです。内も外も本当に平和だったのです。「和」の精神があったからです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    「壁」が無かった『平城京』 ~ ローマの「道」と支那の「壁」との違い



    「壁」なんて作る必要すらなかった私たち日本人と「壁」が必要なほど戦乱を繰り返してきた外国人とそれぞれの文化や考え方が決定的に違ってくるのも当然ですね♥

    ここを間違ってしまうのが単純左翼の方々の欠点ですね♥


    続きは次回に♥




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    Category: 宗教
    Published on: Sat,  30 2016 00:00
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