日本史の最大のタブーって何? ~ 100年前のソ連の人気ツアー 「イパチェフ館 地下2階」

    ソ連崩壊後にイパチェフ館の跡地に建てられた血の上の教会
    ソ連崩壊後にイパチェフ館の跡地に建てられた血の上の教会

    ロシア内戦後の1920年代半ばイパチェフ館はウラル革命博物館の支部となりニコライ2世一家が殺害された地下階への訪問を含めたツアーも実施されていた。

    1970年代に入り、レオニード・ブレジネフ政権下で米ソ間の緊張緩和が進むと、外国人の訪問を禁止するのが困難となり、残虐な出来事の証拠隠滅を急ぐ必要が出てきた。1975年5月26日に当時のユーリ・アンドロポフKGB議長が党中央委員会に以下の提案を行った。

    西側の反ソ勢力によって、ロマノフ王朝の皇帝一家をめぐる様々な宣伝活動が繰り返し煽り立てられている。その際、しばしばスヴェルドロフスク市にある旧商人イパチェフの家が話題になっている。イパチェフの家は今も市の中心部に残っている・・・・・・近年、外国の専門家がスヴェルドロフスク市を訪れるようになった。将来、訪れる外国人はずっと多くなるだろう。そうなると、イパチェフの家は彼らが重大な関心を寄せる対象になるに違いない。こうした状況により、ソ連共産党スヴェルドロフスク州委員会に、都市改造計画の一環としてこの家を取り壊す任務を委ねることが適当である・・・・・・右の件につき検討されたい。
    国家保安委員会議長 アンドロポフ ”


    現地スヴェルドロフスク州の党の最高責任者は後年に改革派指導者となり、ロシア連邦の初代大統領に就任したボリス・エリツィンだった。エリツィン州第一書記は中央からの指令をただちに実行に移し、イパチェフ館を取り壊してその跡をコンクリートで固めて更地にした。彼はソ連崩壊後に書いた自伝『告白』の中で「残念ながら、当時はそうするしか仕方がなかったのだ」と弁解し、皮肉にも1998年にニコライ2世一家の遺骸を丁重に埋葬する命令を出した。

    イパチェフ館(1928年撮影)
    イパチェフ館(1928年撮影)





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【日本史の最大のタブーは天皇】です。「天皇がいたから日本はいい国なのだ」ということは絶対に言わないのが日本史学界というところです。

    ポイント

     以前は、【マルクス主義というよくわからない思想】がもっとあからさまに学界を席巻していて、ある学者が「平安時代の日本は奴隷制ではなかった」と言ったとたんに追放された例もあります。

    驚き顔

    「マルクスが『古代奴隷制』と言っているのだから、その理屈に合う史料だけを持ってきてそういう発表をしろ」

    【言論統制がまかり通った】時代がありました。

    驚き顔

    さすがに今はそこまでひどいことはありませんが、【根本的に天皇を褒めてはいけないことに変わりはありません】日本史の第一のタブーが天皇を褒めることなんです。…

    驚き 2

     明治維新のように政体が大きく変わるとき世界史を見れば、ひどい流血が避けられないのが普通です。

    バスティーユ襲撃
    バスティーユ襲撃

    たとえばフランス革命の場合、ブルボン王朝の王様がいて、大統領が出てきて、そこから皇帝にのし上がるナポレオン一族がいて。つまり、王党派・共和派・皇帝派がいたわけです。

     同じ土地に対して、ブルボン王朝以来先祖伝来持ち続けていた人の所有権を革命政府がひっくり返して別の人に証文を与える。さらにナポレオンに付き従っている人がその土地をもらって証文を得る。こうなると、3人が同じ土地の証文を持っているのに、誰が正しいのか裁定する人がいません。もう一度革命を起こさない限り、最後に勝った者の勝ちとしか言えない。だから【殺し合いが終わらない】のです。

    驚き顔

     日本の場合、源平合戦で平家が勝ったら、源氏は日本中逃げまわっても、追撃して討ち取るのは「ホドホドにしておけよ」ですし、源氏が勝った場合は平家の落ち武者狩りを「ホドホドにしておけよ」となります。

    驚き 2

    しかし、【外国にはそれがありません】日本では源平合戦のときから「ホドホドで矛を収める」ことができ、「相手を皆殺しにするまで」とか「相手を殺さねばこちらが殺される」ということがまずあり得ません。【天皇がいるからです】

    ポイント

     戦国時代もそうです。下克上をして元の殿様に勝ったら、どうしてほかの国人(こくじん)領主を従えることができるのか。【天皇の権威というものがあるからです】

    ポイント

    織田信長は事あるたびに【天皇の権威を求めた典型】です。

    織田信長
    織田信長

    信長ほど天皇の権威を利用した人が、【司馬遼太郎センセイにかかるとなぜか体制破壊者になってしまうのですが】

    驚き顔

    司馬遼太郎
    司馬遼太郎

     権力を奪い合って日本人同士が戦うけれども【天皇の権威があるから勝負がついた時点で矛を収めることができる】、ということ…

    『源平合戦図屏風』赤間神宮所蔵
    『源平合戦図屏風』赤間神宮所蔵

     日本史ではマルクス主義へのアンチテーゼ(ある主張に対してそれを否定する内容の主張)でいろいろ言いながらも、軍事力や経済力という物質力だけで説明してしまう人が多いのです。唯物史観での反天皇も根強いのです。

    ポイント

     そういうところで、さて、榎本武揚(えのもとたけあき)はどういう人だったか。

    榎本 武揚
    榎本 武揚

    新政府軍と各地を転戦し、最後に五稜郭で敗北し、降伏した「朝敵の将」でした。フランスなどであれば必ず殺されていた立場の人です。…

    悩む女の子2

    黒田清隆が許して連れ帰った

    驚き 2

    榎本武揚助命のため剃髪した黒田清隆(左)
    榎本武揚助命のため剃髪した黒田清隆(左)

    五稜郭に立てこもった賊軍の主だった人のうち、死んだのは土方歳三(ひじかたとしぞう)ぐらいですしかも戦死です。…他の人々はみな許され、榎本武揚も大鳥圭介(おおとりけいすけ)も明治政府でよく働いています

    土方歳三
    土方歳三

     徳川慶喜(よしのぶ)も死刑にはならなかったし。徳川家は結局華族になっています…

    徳川慶喜
    徳川慶喜

     フランス革命だったら絶対あり得ませんよね。ロシア革命でもロマノフ王家は皆殺しにされていますし。

    1892年、夏、サンクトペテルブルクのクラスノエ・セロでの軍事演習に集まったロマノフ家の人々
    1892年、夏、サンクトペテルブルクのクラスノエ・セロでの軍事演習に集まったロマノフ家の人々

     じゃあ【なぜ日本人はこんなに寛大なのかということを辿って行くと天皇に行き着いてしまいます】。源平合戦も織田信長も幕末維新の動乱もすべてそうなんです。

     西郷隆盛西南の役(明治10年)を中国でやったとしたら、一体どんな目に遭ったでしょうか。一生「漢奸(かんかん)」の汚名を着せられ、死んでもなお墓を爆破された汪兆銘(おうちょうめい)と、死後に天皇から位を追贈され、神社に祀られた西郷隆盛の違いを比べれば明らかです。

    南洲神社
    南洲神社

    朴泳孝(ぼくえいこう)や金玉均(きんぎょくきん)が韓国でどういう扱いを受けているか。

    姜尚中(きょうしょうちゅう)
    姜尚中

    姜尚中(きょうしょうちゅう)は「西郷隆盛を靖国神社に祀っていないことを日本人としておかしいと思わないのか」と言いますが、それなら金玉均や朴泳孝の扱いを韓国人としてどう思うのか聞きたいものです。

     金玉均は死体を切り刻まれて晒され子孫までが事後法財産を取り上げられることになっています。汪兆銘墓を暴かれました。同時代のヨーロッパで負けた側がどれだけむごい目に遭ったか。しかし【日本では、榎本武揚は負けた側でも殺されず、明治新政府で活躍できました】この違いの【根本を辿ると天皇の権威かあります】榎本を語ろうとすると天皇というタブーに触れてしまう榎本武揚について語られてこなかった理由のひとつがここにあります。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    「榎本武揚は負け役としてしか語られてきませんでした」と著者は言っています。そして、そこに「日本の歴史問題をめぐる多くのタブーが含まれている」とも♥ で、そのタブーこそが【天皇の権威】ということなんです♥

    そしてさらに、榎本武揚をめぐるお話は続き、もう一つのタブーを知ることができます♥

    ですので、またまたここで、話題を変えて。。。

    ロシア革命を経て、ロマノフ王家は皆殺しにされてしまったお話ですが、これを誰が行ったのか御存じでしょうか?

    ロシア革命の主体が誰だったかが分かれば、答えはすぐに出てきます♥

    ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世でした。私たち日本が日露戦争を戦った相手国の王様です。

    ニコライ2世(1914年)
    ニコライ2世(1914年)

    皇太子時代の大津事件でも有名ですね♥

    「 日本国民が明治憲法を広く支持していたことは、1891年…に起こった大津事件…によって裏づけられる。この事件は、訪日中のロシア帝国皇太子ニコライの沿道警備に当たっていた警察官津田三蔵が、滋賀県大津市で抜刀して皇太子の頭部を斬りつけたというものである。全国民は慌てふためいた。この事件によって、…日本の進歩発展が水泡に帰すのではないかと考えたのである。マスコミと明治政府の指導者は…謝意を表し、明治天皇は負傷した皇太子を見舞ったが、これは異例のことだった。」

    詳しくはこちらをご参照♥

    学校の先生が知らない「日本人の法令遵守精神」



    日露戦争に敗れたロシア帝国は、ロシア革命によって、その幕を閉じます。その革命の主体ユダヤ人社会主義者たちでした♥

    「 スリーグノフ著『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~23)』(梶山伸一訳、社会評論社)という訳著がある。この書物の原著は1924年にベルリンで出版され、2006年にロシアで最新版が発行された。日本でも30年以上前から出版の話はあったがそのままに放っておかれ、平成22年になってやっと日の目を見た。いかに日本でも左翼論壇による規制が行われているかを見てとれる。



    この本は、ロシア革命後のスターリン以前から公然と虐殺が行われていたにもかかわらず、それ自身が暴力革命路線として秘匿され、非難の的にならなかったことが語られている。

    「血まみれの統計」という章では、1918年の段階から毎年「革命裁判所」により銃殺された人々の記述がなされている。この著者は、それが赤色テロルとして共産党のもつ階級闘争というイデオロギーでなされたことを語っている。ナチの人種抹殺よりもはるかに主観的な階級抹殺を口実に人々が逮捕され、処刑され、暗殺されていたことを述べているのだ。それはレーニンの時代から行われていたが、意外にもその指導者の責任のことはこの書物では語られていない。つまり、これらの処刑は集団指導的に行われたのである。必ずしも誰かが責任を問われることのない体制のなかで行われていたことになる。この革命はある共通な集団によってとりしきられていた。

    その集団とは【左翼ユダヤ人グループ】である。

    当時の新聞が発表した【ソ連の指導者】の記事は、いかにユダヤ人が多かったことかを記している。…私はトロッキーやカーメネフが【ユダヤ人】であることは知っていたが、レーニンもメシユコフスキーも【ユダヤ人の血が流れている】ことは知らなかった。…そして指導者14人の名が並んでいるが、【すべてユダヤ人】であった。この調査によると、ソ連政府の各委員会におけるユダヤ人の数およびパーセンテージは、政府の中心の人民委員会総数23人のうち17人、77%が【ユダヤ人】である。また、軍事委員会も76%、外務委員会、財務委員会が80%、司法委員会にいたっては95%であり、裁判がこの委員会の下で行われたとすると、【ユダヤ人に処刑された】という印象が生まれたとしても不思議ではない。社会委員会、公の新聞記者の数にいたっては、100%【ユダヤ人】である。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    共産主義「ユダヤ人」による大量虐殺は、ナチス以上に酷かった



    「 《 ユダヤ人はロシアの革命を準備し、之を仕組んだ、ユダヤ人は真の無産階級、萬国主義者で国家を持たない。トロッキーを吾々の師とし君として立てることはロシアの無産階級の義務であって又最も安全な途である。如何なる程度まで過激主義とユダヤ主義とが一致するかを示す手段のために、過激派は【赤色の星】を採用した。此の星は【ユダヤの徽章(きしょう)】であって又【シオンの徽章】である。勇敢なユダヤ人は【社会主義の前衛】である。資本家は無産階級に頭を下げ、ユダヤ人の涙は血の汗となって、彼らの身体から流れるであろう 》
    (1919年4月12日『デル・コミュニスム』ロシア、ハリコフ市発行)。…

     状況証拠から考えると、ロシア革命の裏の姿は【ユダヤ人の革命運動であった】ということである。また、この革命に資金支援したのはユダヤ人のヤコブ・シッフであった(この人物は、日露戦争時に日本に資金援助をしたことで知られている)。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    ユダヤ人はロシアで革命を起こし、ドイツ革命も狙っていたんです



    左翼ユダヤ人たちによるロシア革命の後、ロシア皇帝ニコライ2世一家を幽閉するために使用されたのがイパチェフ館です。

    イパチェフ館(1918年春に撮影)
    イパチェフ館(1918年春に撮影)

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 イパチェフ館(ロシア語: Дом Ипатьева, ラテン文字転写: Ipatiev House)は、元はエカテリンブルク在住の商人の家であったが、接収されて1918年4月30日からロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世一家を幽閉するための建物として78日間使用された。一家やその従者達は同年7月17日未明にヤコフ・ユロフスキー率いる銃殺隊によってこの建物内で殺害された。館は1977年にスヴェルドロフスク州の党最高責任者ボリス・エリツィンの命令によって取り壊され、2003年にかつて館が存在していた場所に血の上の教会が建造された。」

    一家殺害が実行された地下2階
    一家殺害が実行された地下2階

    やがて、このイパチェフ館で惨劇が起きました。ロシア革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊、すなわち白軍の接近を知ったレーニンがロマノフ一族の処刑を命じたんです。

    「 チェコ軍団の決起によって白軍がエカテリンブルクに近づくと、ソヴィエト権力は元皇帝が白軍により奪回されることを恐れ、1918年7月17日午前2時33分、ウラジーミル・レーニンよりロマノフ一族全員の殺害命令を受けた、元軍医でチェーカー次席のユダヤ人のヤコフ・ユロフスキー率いる、ロシア帝政下で抑圧され続けた少数民族のユダヤ人・ハンガリー人・ラトビア人で構成された処刑隊が元皇帝一家7人(ニコライ2世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、アナスタシア元皇女、アレクセイ元皇太子)、ニコライ2世の専属医(エフゲニー・ボトキン)、アレクサンドラの女中(アンナ・デミドヴァ)、一家の料理人(イヴァン・ハリトーノフ)、従僕(アレクセイ・トルップ)の合わせて11人をイパチェフ館の地下で銃殺した。これにより、元皇帝夫婦ニコライ2世とアレクサンドラの血筋は途絶えた。」

    「 1918年7月17日明け方前の深夜に医師のエフゲニー・ボトキンの2階の部屋に警護隊長ヤコフ・ユロフスキーが入室した。ユロフスキーは白軍がエカテリンブルクまで迫っているという理由で、ボトキンにニコライ2世一家と他の3人の従者(メイドのアンナ・デミドヴァ、フットマンのアレクセイ・トルップ、料理人のイヴァン・ハリトーノフ)を起こすように指示した。洗顔と着替えに約30分時間をかけることを許し、一家とその従者は地下2階へ移動した。その後にユロフスキー率いる銃殺隊が入室したが、この兵士達はラトビア人の傭兵だった。ユロフスキーは一家を殺害する理由を簡単に話した。銃殺隊は一斉に発砲を開始したが、皇女達は衣服に宝石を隠していたために11人全員が死亡するまでに20分ないしは30分ぐらいの時間を要した。

    7月17日の早朝、夜が明けてイパチェフ館に新鮮なミルクを届けに来た修道女のアントニナ・トリンキナはその時の館の様子を次のように振り返っている。

    “ 私達は館に着いてから長々と待たされました。誰も差し入れの品を受け取ってはくれませんでした。警護兵に隊長の居場所を尋ねると、「食事中」との返事でした。私達は「朝7時にですか?」と思わず聞き返しました。警護兵達は何度も出たり入ったりしていましたが、そのうちに「帰れ、もう何も持って来なくていい」と申しました。その日はミルクも受け取ってもらえませんでした。 ”

    殺害から4日後の7月21日に館の元の所有者ニコライ・イパチェフがソビエト当局に呼び出され、ゴミだらけにされた自分の家の鍵を返却された。さらにその4日後の7月25日にエカテリンブルクは陥落した。」


    御理解いただけましたでしょうか?

    最後に、在日朝鮮人の姜尚中に聞いてみたい金玉均朴泳孝の扱いとありましたが、彼らを支援していたのは、あの福沢諭吉です♥福沢諭吉の脱亜論に繋がるきっかけが、彼らの受けた扱いでした。

    福沢諭吉
    福沢諭吉

    詳しくはこちらをご参照♥

    死刑以上の最高刑がある国 ~ やっぱり正しい脱亜論




    続きは次回に♥




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    Category: 日本
    Published on: Fri,  15 2016 00:02
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    4 Comments

    4711  

    No title

    在日は、日本で本国とは比べ物にならぬほど豊かに暮らせ、教育まで受けられるのに、なぜ日本を憎むのか。家庭でそう教えるのでしょうが、日本を弟と見ているからなのか。日本と皇室、日本人を蔑み憎んでいます。姜尚中は、小さい頃、差別や苛めはなかったとインタビューで言っていましたが。身勝手な在日の言動を見聞きするたび、腹が立ちます。

    2017/01/12 (Thu) 12:14 | EDIT | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: No title

    4711さん、こんばんは^^

    日本に住みながら、日本人にはならない「在日」が存在しているのは、もちろんメリットがたくさん存在しているからですね♥

    いわゆる「在日朝鮮人」にだけ認められていて、「在日アメリカ人」や「在日イタリア人」などには、決してあり得ない、「在日朝鮮人だけの特権」、これを先ず廃止することです。

    私たち日本人みんなで、その認識を共有していきましょう♥

    2017/01/13 (Fri) 18:52 | REPLY |   

    通りすがり  

    「革命の主体がユダヤ人社会主義者でした」というのは…失礼ながら、もう少し深く勉強された方が良いですね。革命運動に加わったユダヤ人の数は%で見ても相当に少ないです。ウクライナ人の方がずっと多いくらいですよ。更に加えるなら革命指導者グループの中には反ユダヤ主義的な輩も含まれていましたから。またレーニンなどはドイツが送り出した者でロシア革命自体がドイツの某略だったのでは?と見て取れる面も多分にあるのです。ロシア革命はユダヤ人によるもの説は軽薄で短絡過ぎますね。歴史はもっと複雑なんですよ。実は帝政ロシア〜旧ソ連〜現ロシアと戦前から戦後、そして冷戦終結後も一貫して反ユダヤ工作をロシア等が継続して行ってきた点を見落とさないように。同じ事をしてもユダヤ人の場合は批判のされ方が他とは違うという点も注意すべきです。例えば米国のイスラエルロビーを問題視するなら同じように米国のイスラムロビーやチャイナロビーも問題視するべきです。また例えば(あくまで例えばの話ですよ)あの『シオンの議定書』とかの昔の書を取り上げるなら、時代的にもっと新しい旧ソ連KGBがやってきたユダヤ陰謀論プロパガンダ工作についての繊細な記録が記されている『ミトロヒン文書』の内容についても触れ語るべきです。近年再び一部の保守系論者の中にユダヤ人を問題視する論者がいます。ある論者などは、やたらとユダヤ、ユダヤ言う割には何故かミトロヒン文書等には絶対に触れません。また中東難民をドイツに誘導しているのはイスラエルだと唱えながら、何故かロシアが東欧国境線で中東難民を誘導し自転車まで配っていた事についても絶対に触れません。何故しょう?何か都合でも悪いんですかね?ユダヤ側の事だけ一方的に示唆するのはフェアではなくバランスに欠けるでしょ?工作や某略なんて何処の国でもやっているんですから。

    2017/01/30 (Mon) 07:19 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: タイトルなし

    通りすがりさん、こんにちは^^

    「革命の主体がユダヤ人社会主義者でした」⇒ 残念ながら、これが事実ですね♥ お勉強をもっとされた方が良いと思いますよw

    革命運動に加わったユダヤ人の数は%で見ても相当に少ない ⇒ 人口比で見ても少ないわけで、当然の話だと理解できますが、問題は、革命後の支配構造にあるのですがw ユダヤ人比率高すぎでしょ? そこを何故見ることができないのでしょうか?

    ウクライナ人の方がずっと多いくらい ⇒ 上と同じでユダヤ人人口がそもそも少数なので当然です。で、問題は「ウクライナ」がユダヤ人とどういう関わりがあった地域かっていうことも、見えていないようですね♥

    革命指導者グループの中には反ユダヤ主義的な輩も含まれていました ⇒ 当たり前の話だと思いますが・・・たとえば、ISISって、同じ主義思想の集団でしたでしょうか? 一枚岩であるという思い込みは危険ですよw

    レーニンなどはドイツが送り出した者でロシア革命自体がドイツの某略だった ⇒ いわゆる封印列車ですね。ドイツにしてみれば、ロシアの混乱が目的でしょう。でも、その後に成立したユダヤ人主導の社会主義国家は、ドイツの敵になっちゃいましたがwかなり、無理な発想ですね♥

    ロシア革命はユダヤ人によるもの説 ⇒ 「説」ではなくて、事実ですよ。20世紀は、それを語ることすら許されていませんね?今でも、ドイツなどでは研究することすら許されていませんね?しかし、19世紀の初めは、その認識を数多くの人々が持ち合わせていました。さて、どうしてでしょうか? どうやら、すっかり洗脳されちゃっているようですがw

    歴史はもっと複雑 ⇒ その通りですよ。でも、あなたが書かれていることは矛盾点が多すぎますね♥ しかも、教科書的なw

    帝政ロシア〜旧ソ連〜現ロシアと戦前から戦後、そして冷戦終結後も一貫して反ユダヤ工作をロシア等が継続 ⇒ これも、まったく教科書的で矛盾していますね♥ 帝政ロシア=反ユダヤ、「旧ソ連」のスターリン=反ユダヤ、現ロシアのプーチン=反ユダヤ、と、これは一致していますが、では、レーニンやソ連崩壊後のロシア指導者は、反ユダヤで一貫していた証拠は、一体どこにあるのでしょう? 認識が間違っていますね♥

    米国のイスラエルロビーを問題視するなら同じように米国のイスラムロビーやチャイナロビーも問題視するべきです ⇒ 私たちの日本にとって敵対関係にあるのであれば、もちろん問題視致しますよ。まったく同意します。ただし、当ブログで書いている重要なテーマに、歴史を見る上で、カルト・ユダヤ教の要素(もちろんキリスト教・イスラム教にも繋がりますが)を無視してはいけないという視点があります。だから、そこを強調して書かせて頂いています。

    旧ソ連KGBがやってきたユダヤ陰謀論プロパガンダ工作 ⇒ これは、その主体が「ソ連・コミンテルン」ですね?ソ連成立当初の「ユダヤ人主体のソ連」とは異なっていますね♥ 時代も違いますし、話の論点がすり変わっています。

    保守系論者の中にユダヤ人を問題視する論者 ⇒ 世界をもっと見てください。左翼も「ユダヤ」を問題視していますね♥ イスラエルって、どう思われますか? それについてのフランス世論はどうでしょうか? 「保守系」に絞り込むことって、完全にレッテル貼りじゃないでしょうか? 狭い見地でしか、物事を見ることができないから、そう言う見方になるのでしょうか?

    ユダヤ、ユダヤ言う割には何故かミトロヒン文書等には絶対に触れません ⇒ それにこだわっている理由も、不思議と違和感を感じますがw 

    中東難民をドイツに誘導しているのはイスラエルだと唱えながら ⇒ そんな風に限定して物ごとを言っているヒトがいるんですね♥ 当ブログでは、不正確な考えだと思います。

    ロシアが東欧国境線で中東難民を誘導し自転車まで配っていた事についても絶対に触れません ⇒ 大事なことですね♥ ここは同意させて頂きます。

    ユダヤ側の事だけ一方的に示唆するのはフェアではなくバランスに欠けるでしょ? ⇒ 「ユダヤ人問題」「ユダヤ問題」に触れないことの方が、むしろ状況を悪化させてきたと思います。もっと、白日の下に、彼らを晒さなければダメだと思います。ユダヤに触れないことが「アンバランス」だと思います。それぐらいは、ご理解いただけると思うのですが?「ユダヤ人問題」は、確実に存在しているんですから♥

    工作や某略なんて何処の国でもやっているんですから ⇒ ユダヤ人国家である「イスラエル」が主導して、工作をしたりしているということは、何も問題にしてはいません(日本に敵対しない場合は、ですが)。問題は、「国家」に属さない「ユダヤ人」、その中の「左翼」(特にカルト・ユダヤ教的思想の強いヒトたち)を問題視しています。

    以上、コメント有難うございました♥

    2017/01/30 (Mon) 16:48 | REPLY |   

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