日の丸の色は「赤」ではなく「・・・・」なんです ~ 日本の常識・世界の非常識 

    『源平合戦図屏風』赤間神宮所蔵
    『源平合戦図屏風』赤間神宮所蔵

    治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される鎌倉幕府の樹立という結果に至る

    一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられる







    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【国民が自国の国旗を、これほどないがしろにするのは日本だけ】ではなかろうかと、異国を数多く見てきただけに懸念と不安を持っている。

    驚き 4

     国旗国歌法の規定によると、わが国の国旗正式には「日章旗」という一般的には「日の丸」と呼ばれている。

    日章旗

     旗のサイズは縦が横の3分の2の長方形、日章(日の丸)の直径は縦の5分の3で旗の中心に置く。【色は白地に「紅」い丸】

    Construction_sheet_of_the_Japanese_flag.png

    みなさん!唱歌では「白地に赤く」と唄いますが、【日の丸の色は「赤」ではなく「紅」】なんです。

    186400949_624.jpg

    【「紅白」はわが国の伝統色でめでたい色】とされている。【「白」は神聖と純潔を意味し「紅」は博愛、活力を意味する】

    resize5700.jpg

     日章旗には【古い歴史】がある国旗として使用されたのは嘉永7(1854)年に日本船の目印として採用され、平成11(1999)年国旗国歌法によって定められた。意外にも正式に日章旗が国旗として定められた歴史は浅い

    驚き顔

     ところがわが国は遙か昔から「日の丸」を大事にしてきた

    文武天皇像(道成寺蔵)
    文武天皇像(道成寺蔵)

    【1300年以上前の701年、文武(もんむ)天皇の朝賀(ちょうが/新年の天皇陛下へのご挨拶)の式典において使われたのが最初】だといわれる。

    「武田信玄公之軍旗」セット
    「武田信玄公之軍旗」セット
    画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 戦国堂

    戦国時代(1500年代)には武田信玄、上杉謙信、織田信長などの武将たちが旗印として使い豊臣秀吉朝鮮出兵の時には「日の丸」を船に掲げている

    長篠合戦図屏風(徳川美術館蔵)
    長篠合戦図屏風(徳川美術館蔵)
    長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍38,000と武田勝頼軍15,000との間で勃発した戦い。

    左上角の拡大図
    左上角の拡大図

    右上角の拡大図
    右上角の拡大図

    『九鬼大隅守舩柵之図』,
    九鬼大隅守舩柵之図 / 朝鮮出兵

     そして近世に入り、薩摩の島津斉彬(なりあきら)が「日の丸がわが国を代表する旗」と幕府に進言。嘉永7年に「異国船に紛れざるように日本総船印は白地に日の丸幟(のぼり)」を掲げるようにとの布告が幕府から出される。

    島津斉彬
    島津斉彬

     わが国の「日の丸」1000年以上も前から国民に愛されてきたこのような素晴らしい歴史を持つ国旗は世界には存在しないだろう。

    23_hinomaru03.jpg
    画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 近代造船発祥の地・国旗日の丸のふるさと 記念碑 道の駅垂水

     【わが国の日の丸は海外でも人気が高い】

    ポイント

    「日本の国旗を知っていますか?」と異国の方に聞いてもよく分かっているのが非常に嬉しい。考えてみるとアメリカの星条旗やイギリスのユニオンジャックは分かるが、イタリア、フランス、オランダなどの【欧州の国旗は縦線か横線三本で色を変えたもの】が多く、私にはさっぱり分からない。

    xf2975052289.jpg

     【日章旗のあまりの素晴らしさにフランス政府はすっかり惚れ込んでしまい、「何とか日の丸を売ってくれ」と明治政府に持ちかけてきた】という逸話もある。明治3(1870)年、フランスはわが国に対して当時のお金で500万円(現在の価値でいえば200億円程度と思われる)で買いたいと打診してきた。

    驚き顔

     その時代の日本は財政難で苦しんでいたが、決して日の丸を手放さなかった【毅然と、「Non」(フランス語のノー)と答えた】。…

    おことわり

     しかし戦後、戦争に敗れた日本に対してGHQは日本国民に【アメリカの星条旗に畏敬の念を持って敬礼することを命じ、日の丸を掲げることを禁止】した

    驚き5

    祝日にだけ特定行政機関の日の丸掲揚を許したが、それ以外は完全に禁止。【教科書の挿絵に日章旗があると削除対象】

    驚き5

    【文房具に日の丸のデザインがあるだけで没収】

    驚き5

    【日本人のプライドをズタズタに引き裂く、実に悪質で陰湿な占領政策】です。

    ポイント

     当時の日本人は、どう思っていたのだろうか。GHQのWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)によって誇りを奪い去られた一部の日本人は、日の丸を拒絶したであろうが、心から日の丸を敬愛していた国民も多かったと思う。そんな人々は、どんな思いだったのかと胸が痛む

    2011052004003717a.jpg
    世界のどの国でも「常識」であって、
    2011052004052186b.jpg
    世界のどの国でも履行していることを、
    20110520040743acf.jpg
    GHQのWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)によって
    20110520041125715.jpg
    誇りを奪い去られた一部の日本人がいますが、
    20110520041332c04.jpg
    例えば、この自称「教育評論家」という御仁は、
    20110520041515130.jpg
    社会主義者が好んで使う「市民」という実態不明の言葉を用い、
    20110520041716e90.jpg
    まさにホッブズが言うところの「自然権」を最重視する「危険思想」を唱え、
    201105200419594af.jpg
    隠れマルクス主義者常套手段である「反権威・反権力」を唱え
    201105200421129d9.jpg
    権威や権力を批判しながら、その一方で、
    20110520042238ae0.jpg
    自らを実態不明の「市民」として「権威・権力付けている矛盾」にも気がつかず、
    201105200425168e9.jpg
    国家弱体化を狙ったGHQに、まんまと洗脳されていることにも気がつかない、
    201105200153387e5.jpg
    まさに去勢された「おっさん」がこの人です♥キモイしw

    詳しくはこちらをご参照♥ ⇒ 尾木ママが国歌起立条例に断固反対!?尾木直樹「ミヤネ屋」で断固反対!本人は否定・橋下知事「これが民主主義だ」・国歌起立の職務命令無視する先生たち処分&実名公表方針・尾木は「ホンマでっか!?TV」で小1に韓国語学習を指導


     昭和24年の正月に「国旗の無制限掲揚許可」に対する総司令部覚書によって、【やっと日本国民は日の丸を取り戻した】。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    みなさんは、日の丸を掲げていますか?

    もし、まだでしたら、今からでも遅くはありませんよ♥

    みんなで、日本中を「日の丸だらけ」にしていきましょう♥

    ガッキー

    さて、世界の中で、私たち日本の「日の丸」のように、「太陽」の図柄を国旗のモチーフにしている国は、実は少数派なんです♥

    何故でしょうか?

    悩む女の子2

    これは、キリスト教やユダヤ教、そしてイスラム教に代表される一神教が生まれた地域と、多神教である私たち日本が置かれている自然環境の違いとも、密接に関わっています♥

    「 なぜ、日本の国旗が「太陽」になったのか?…日本の国旗が太陽であることは、日本語を話すと同様に自明であり、議論する余地などなかった。

     その太陽を意識したのは、世界の多くの国が「星」と「月」の図柄の国旗であることに気づいたときからだ。調べると、世界の多くの国旗で太陽派は圧倒的に少数派である。
     世界の人々は「太陽」より夜の「月」や「星」に親しみを感じている。この事実を最初は信じられなかった。日本人にとって、太陽は「おてんとう様」で生命の源である。古代の神話も「天照(アマテラス)大御神」からだ。日本人の太陽への尊敬と親しみの気持は紛れもない。なぜ、他の国々の人々は太陽ではないのか?

     初めてフィリピンへ行った。12月だというのにマニラは30度の気温であった。…このフィリピンに滞在して気付いたことがあった。
    フィリピンの国旗は「太陽」と「星」で構成されていた。・・・外務省のホームページで万国旗を検索・・・191カ国のうち、月と星の国旗は53カ国で28%も占めていた。それに対し太陽の国旗は13カ国で7%にすぎない。なお、太陽と星の両方を使っていたのはフィリピン一国だけであった。・・・月と星の国旗を見ていて気がつくことがある。それは、その国々が熱帯か亜熱帯に位置していることである。・・・熱帯の太陽の下での激しい動作や長時間労働は極めて危険で、倒れたりすれば死に至る。昼間の労働は健康を損なう行為なのだ。昼間は注意深く必要最小限の動作だけをしなければならない。太陽が隠れ、月と星の世界になってはじめて活動を開始すればよい。月の砂漠をはるばると進んでいくラクダのキャラバン隊がそれだ。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本の国旗が太陽であるワケ



    「 ・・・西欧文明とイスラム文明の根底を支えているのは、キリスト教とユダヤ教とイスラム教である。この三つ宗教は共に「一神教」である。この一神教の原点のユダヤ教は砂漠の中から生まれてきた。見渡す限り不毛の砂漠が広がり、夜、見えるのは月と星だけ。何もなく誰もいない。そこで感じるのは「永遠で、無限で、絶対の神」であった。
    ・・・気象と自然が刻々と変化し続ける忙しい日本で、時間の永遠という感覚は生まれようがない。・・・日本人は常に変化し続けるものを、「常ではないもの」つまり、「無常」として認識した。
     太陽が沈み闇の砂漠を星を頼りに旅をする。旅人が目にするのは満天の無数の星だけだ。限りない満天の星空の下で生涯を送る人々は、宇宙の広大さを身近にリアルに感じている。その彼らが限りのない広大な「無限」という概念を生んだ。
     それに対して、日本人の生きた列島は細長く、その列島は海峡と山脈に分断されていた。集落と集落との間には海と山と川と湿地が横たわり、土地は猫の額のように狭い。・・・この日本列島で「限り」は実感するが、限りのない広大な「無限」の概念は生まれようがなかった。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本人には、キリスト教が認められない理由



    で、世界的にも珍しい「太陽を尊ぶ」私たち日本ですが、冒頭にご紹介しています『源平合戦』においても、「日の丸」が使われていました♥

    ちなみに、戦後の歴史教育では、あたかも「公家」と「武家」の二つの対立軸、階級闘争のように教えようとしていますが、これも間違っています

    私たちの日本は、もともと天皇のもとに一つだったんです♥

    「 明治まで続く武家政治は、どのようにしてはじまったのか?
     源氏とは、天皇家と同じ源であるという意味でつけられた名前です。天皇家でも、宮廷に残る皇子とは別に、臣籍降下して地方に国司として派遣された者が源氏のはじまりです。平氏も同じでした。嵯峨源氏とか桓武平氏というのは、その天皇の名前をとっています。かれらが武士となっていきました。従って、武士が朝廷に反抗することはなかったのです。
     しかし、平安末期、東北で二つの戦いがありました。前九年の役は、…源頼義、義家父子が討伐した事件です(1051~62年)。また後三年の役は、…源義家が、苦戦の末にこれを平定した事件(1083~87年)です。これによって源氏は、東国に地盤を確保しました。その義家に加担した清衡(きよひら)が、平泉(ひらいずみ)に陸奥、出羽を支配する藤原三代の栄華を誇りました。ここに武士の時代がはじまったといっていいと思います。この東国の政権は、決して朝廷に反抗したわけではなく、かえって地方から支持した。のです。
     中央では、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)が勃発したのも、源氏、平氏がそれぞれかつての天皇の後裔だったことにあり、現天皇家の宮廷と複雑にからんでいました。決して公家と武家が分かれて戦ったわけではないのです。この二つの乱で、勝利したのは平氏でした。
     平清盛が仁安二(1167)年、太政大臣となり、平氏政権を打ち立てました。藤原氏にとってかわった政権でしたが、福原遷都など無謀な動きをして、没落を早めました。
     特に平氏は、大仏をはじめとして、奈良を焼き討ちしたことが、人々の反感を買いました。

     国家鎮護の象徴を破壊するなどということは、朝廷や奈良の人々だけでなく、全国民の憤激を招き、反平氏の動きを強めました。源頼朝が平氏討伐を呼びかけると、各地の源氏が平氏打倒の兵を挙げたのです。瀬戸内海に逃げた平氏は、源義経の軍勢によって壇ノ浦の戦いに敗れ、寿永四(1185)年、一族は案徳天皇とともに海に沈みました。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    昔から日本は先進国でした ~ 鎌倉時代はバロックの時代



    では、冒頭にご紹介させて頂いた屏風を見てましょう♥

    『源平合戦図屏風』赤間神宮所蔵
    これを拡大してみますと。。。

    左下角の拡大図
    左下角の拡大図

    右上角の拡大図 2
    右上角の拡大図

    御覧のとおり、平氏は「赤地金丸」の日の丸で、源氏は「白地赤丸」の日の丸です♥源氏が勝利を収めたことで、「白地赤丸」の日の丸になったんでしょうね♥

    最後に、こちらの動画をどうぞ♥ とても、分かりやすいですよ♥



    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事
    Category: 日本
    Published on: Fri,  01 2016 00:00
    • Comment: 5
    • Trackback: 0

    5 Comments

    奈良の人  

    おめでとうございます

    今年もよろしくお願いします。いつも勉強させていただきありがとうございます。今年は少しでも世間にはびこる自虐がなくなるように、自分で出来ることを頑張るつもりです。
    日本に生まれたてだけで、勝ち組なんやで と周りに伝えていきます。
    お身体ご自愛くださいませ。

    2016/01/01 (Fri) 07:17 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: おめでとうございます

    明けましておめでとうございます♥いつもありがとうございます♥
    「勝ち組」って、ほんとその通りだと思いますw

    今年の初詣で、鹿島神宮にお参りして来ました。神武天皇元年の創建の神社です。奈良の鹿の御先祖にあたる鹿の子孫も、境内にちゃんといらっしゃいますよ^^

    では、本年も頑張ってまいりましょう♥

    2016/01/01 (Fri) 14:17 | REPLY |   

    -  

    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    2016/06/06 (Mon) 00:07 | REPLY |   

    名無し  

    日本の国旗を国際標準の太陽の色であり、かつて使われていた赤地金丸に戻すじゃ駄目ですか。
    ちなみに戦後の分断国家の日本人民共和国は白地に赤い星が一つだけど。星は社会主義国家のシンボルであるので、分断国家の日本民主主義人民共和国でも白地に赤い一つ星になるけど。

    2016/06/20 (Mon) 20:32 | EDIT | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: タイトルなし

    名無しさん、こんにちは。

    国際標準に合わせる必要がありますでしょうか?
    すでに、私たちに日の丸は、世界中の人々に知られていますよ♥

    あと、戦後の分断国家うんぬん以下が、さっぱり意味が判らないんです♥ゴメンナサイ。。。


    2016/06/21 (Tue) 16:41 | REPLY |   

    Post a comment