韓国の教科書問題 ~ 朴槿恵への単純批判は、北朝鮮・金正恩の思う壺

    金正恩
    思う壺 : 思う壺とは、意図したとおり期待したとおりになること

    「壺」は、博打でサイコロを入れて振る籐や竹で編んだ「壺皿」のこと。熟練の壺振り師は、思った通りの目を出せることから、こう言うようになった。「思う壺にはまる」という表現は、狙った通りになる意味の「壺にはまる」に合わせたものであるが、この「壺」は博打で用いる壺皿のことではない。

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    つぼに嵌まる : 急所を外さない。勘所を押さえる。「つぼ」は、三味線、琵琶などで、一定の高さの音を出すために、左手の指先で元を押さえる場所のことをいう。押さえ所。

    パタリロ 2





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 1961年5・16軍事政変で張勉は放逐されます。この【クーデターの首謀者は、朴正煕(ぼくせいき)陸軍少将】です。【朴正煕こそが、長らく韓国史で「国父」として尊敬されていた英雄】です。…

    朴正煕
    朴正煕

     朴正煕は、1917年に貧しい農民の子として生まれます。しかし、小学校で優等だったので師範学校に通い、何とか生活だけはできるようになります。極貧の子供でも優秀ならば地主など周囲の援助で学校に通うということは日本人でもよくあった話です。…その後は軍に入って優秀な成績で出世し続けます。最初は満州国軍ですが、成績が優秀だったので日本本土の陸軍士官学校の受験資格を得て合格優秀な成績で卒業し、終戦時には満州国軍に中尉として配属されていました。

     日本の敗戦後は、韓国軍に入り、政治活動にもかかわったことから逮捕投獄、一時は死刑を宣告されるという危機を味わっています。そして朝鮮戦争で軍籍復帰し、陸軍少将に上ったときは、一種の軍閥化していました。朴正煕が副司令官を務めていた第二軍は、韓国国軍が初めて自前で訓練した韓国陸軍士官学校第8期生が中心であり、貧しい農村の出身者が集まっていたのです。…

    李承晩
    李承晩

     李承晩が倒れた4・19革命のころから、朴正煕ブレーンを集めクーデター計画と政権構想を練っています【朴正煕の構想を単純に言えば、「日本のような国になる」です】

    ポイント

     この場合の日本とは、目の前で高度経済成長をしている日本であり、明治維新をやり抜いた日本であり、そして朴正煕自らが生き学んだ大日本帝国です。

    ポイント

     朴正煕はその軍事力を背景に安定政権を築き、【漢江の奇跡と呼ばれる経済成長】を達成します。

     本書冒頭の法則「韓国は軍国主義でしか正気を保てない」と述べました。常に無能な文官が私利私欲で陰謀をめぐらし軍隊すら秘密警察を使って抑え込む李承晩などはその極みでしたが、李朝時代の再現であるかのような最悪の李承晩を経て、遂に【朴正煕政権で韓国人は豊かな暮らしを手に入れることができた】のです。…

    驚き 2

     【朴正煕時代こそ、韓半島の歴史で黄金時代と呼ぶにふさわしい】でしょう。

    ポイント

     朴正煕は個人的に大日本帝国に感謝していました。しかし、だからこそ「昼は反日、夜は親日」を貫きました。

    悩む女の子2

    【韓国社会で「親日」と認定されることは社会的抹殺を意味します】。独裁者であっても暗殺の危険があります。政敵に「親日派」のレッテルを貼ることは政治的武器なのです。…

    驚き5

     では、その国父・朴正煕を、韓国の教科書はどのように描いているでしょうか

    韓国人の主張

    《 朴正煕の時代に我が国は大きく成長した。しかし、負の面も多い。 》

     こうして要約してみると、冷静な記述に思えますが、ほかの感情剥きだしの主張と比較してください。何かを評価するとき、絶対評価は誰でもできますから、相対評価こそ重要になります。…

    ポイント

     【韓国人の歴史記述態度は、常に自分の生きている時代に合わせた評価】です。過去にさかのぼって指弾することなど当たり前です。…

    驚き5

     それは韓国人の習性として、では誰の立場からの評価なのか、が重要になるのです。…』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    いま、この書物の核心部分に突入しています

    詳細は、本書を御覧頂くとして、ポイントをご説明いたします。

    前回も冒頭でご紹介いたしましたが、最近のこのニュースは、ご記憶に新しいかと思います。

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    2015 年 12 月 7 日 09:50 JST

    韓国で覆面の反政府デモ、言論の自由など訴え
     【ソウル】労働組合が組織した大規模な反政府集会が最近行われているが、週末にソウルで行われた集会を含め、「言論の自由」の提唱者たちも加わっており、韓国政府は民主主義をむしばんでいると批判している。

     5日に行われたデモには約1万4000人が参加し、平和裏に終了した。先月、もっと大規模なデモでは、暴力騒ぎが発生し、警官とデモ隊の双方に負傷者が出た事態とは異なっていた。主催者は今月中にさらに集会を開く予定だと述べている。

     これらのデモは、労働・農業改革に反対する労組が主催したものだが、学生や学者なども加わっており、政府が言論を統制していると批判している。

     最も論議を呼んでいる「表現の自由」の問題は高校の歴史教科書に対する政府の最近の国定化方針に関するものだ。朴槿恵大統領は、国定化は一部の既存教科書にみられる北朝鮮寄りの記述を排除するのに役立つと述べている。


    詳しくはこちらから♥

    韓国で覆面の反政府デモ、言論の自由など訴え


    さらに12月18日には、29年ぶりに騒乱容疑の適用に踏み切る事態にまでなっています

    騒乱容疑で送検 保守系紙などが批判
    毎日新聞2015年12月19日 19時55分(最終更新 12月19日 20時38分)

    【ソウル米村耕一】韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権を批判するデモを主導した民主労働組合総連盟(民主労総)の委員長(53)を、韓国警察は18日に騒乱容疑などで送検した。デモ隊と機動隊が衝突し双方に負傷者が出たが、同容疑での送検は29年ぶりで、保守系紙の中央日報は19日、社説で「(時代に)逆行する適用は問題だ」と批判した。
     同紙は「民主労総などに騒乱勢力というレッテルを貼り『集会の自由』を萎縮させる意図があるのではないか」と指摘した。ソウル中心部では19日、大規模集会が開かれ、民主労務側は「労働市場改革に反対するデモをして捕まる。これが正しい国の姿なのか」と、厳しい口調で訴えた。
     11月中旬に起きたデモを巡り、警察は今月10日に民主労務委員長を「不法デモ」や「特殊公務執行妨害」の疑いで拘束。18日に送検する際に騒乱容疑も加えた。
     韓国メディアによると騒乱罪は「暴行や損壊によって地域の平穏と安定が害される」場合に適用され、有罪になれば1年以上10年以下の懲役刑などが科される。これまでに適用されたのは1987年の民主化以前の4回だけで、いずれも軍事政権への抵抗や民主化運動に伴うものだった。

    詳しくはこちらから♥ ⇒ 韓国 騒乱容疑で送検 保守系紙などが批判

    あたかも韓国の保守系までが政権に対して批判的だと報道し、政権の孤立、そして強行姿勢を想起させています♥

    ちなみに、朝日新聞は沈黙していますw 各メディアの立ち位置が、良く理解できますね

    さて、本題に戻ります(上記のニュースも重要なヒントですけれども♥)。

    今回、本文中にあった重要な個所が、以下になります♥

    「相対評価こそ重要」
    「誰の立場からの評価なのか、が重要」


    そして、前回ご紹介いたしました重要な個所が、以下の部分でした♥

    「普通の国ならば建国の祖である李承晩の偉大さを延々と語ることになります」

    「ところが、そうはならないところが韓国史の闇だ」

    「本書読み進めていくとそれが誰の為の“客観的”な記述なのか一目瞭然になるでしょう 」


    ここからは、もう一度前回のお話を振り返って見てみましょう。まずは、おさらいです♥

    韓国の教科書には、次のような疑問点があります♥

    大韓民国建国の祖を称賛していない朝鮮戦争を「6・25戦争」とわざわざ記載している

    不思議ですね?

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    で、お考え頂くヒントとして、韓国の現代史の流れを追ってみてまいりました。それが、以下の流れでした♥

    1948年、朝鮮半島の統一は棚上げとなり、大韓民国が建国され、その4カ月後朝鮮民主主義人民共和国と自称する国家ができます。南北とも、自らを朝鮮半島を統一する国家としての正当性を主張しますから、相手を称賛することはあり得ませんね♥

    これが先ほど韓国の教科書にみられた大韓民国建国の祖・李承晩に関する記述の態度に現れているんです♥

    ポイント

    1960年、李承晩政権革命によって倒れます。そのあと一人の大統領をを挟んで、1961年軍事クーデターで政権の座に着いたのが朴正煕(ぼくせいき)です♥

    朴正煕
    朴正煕

    反共産主義親米政策、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などを掲げ、漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を成し遂げた優秀な大統領でした♥ところが、韓国の教科書では、彼についても良いようには記載していません

    先ほど、ご紹介いたしましたとおり、《 朴正煕の時代に我が国は大きく成長した。しかし、負の面も多い。 》、という感じです♥

    で、1968年ある大事件が起こります。青瓦台(せいがだい)襲撃未遂事件です♥
    北朝鮮ゲリラにより発生した、大韓民国大統領府「青瓦台」への襲撃未遂事件のことです。

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「1966年1月に韓国漁船が北朝鮮の魚雷艇に襲撃されて以来、11月と1967年4月には、北緯38度線で大規模な戦闘が発生し、南北の緊張は一触即発の状態であった。ソビエト連邦の情報部の分析では、これらの戦闘を扇動しているのは北朝鮮であった。

    北朝鮮は1966年に対南工作を専門とした第283部隊を参謀部偵察局内に設立、内部粛清によって1967年8月12日に第283部隊を朝鮮人民軍124部隊(のちに特殊第8軍団に改称、現在の軽歩兵教導指導局)に改変して、南進の準備を進めた。

    1968年1月、青瓦台の襲撃による朴正煕大統領と閣僚の暗殺を狙って、第124部隊第1中隊第1小隊に所属する31名は、韓国軍第26師団の模擬制服で変装して休戦ラインを突破し、韓国領に侵入した。この際、韓国市民に偶然遭遇しているが、身分証などで住所氏名等を教えさせたうえで「通報すれば一族もろとも消す」等と脅迫して口止めした上で解放した。この韓国市民は、解放された後に警察へ通報した。

    1月21日、ソウル市内に入ると、持参した日本製の背広とレインコートに着替え、青瓦台800メートル手前の北漢山まで侵入した。しかし、先の市民の通報によるゲリラ情報等により警戒中だった韓国当局に検問を受け、その場で自動小銃を乱射して逃亡。突入は阻止された

    韓国軍と警察部隊の2週間に及ぶ掃討作戦により、1名が逮捕29名が射殺され、1名が自爆した。また射殺は27人で、1名から3名が逃亡したともいわれる。2名が重傷を負いながら軍事境界線を越えて帰国したという話もある。2週間の銃撃戦で韓国側は軍人・警察官と巻き添えの民間人の計68名が死亡した。

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    金新朝
    金新朝

    逮捕されたのは当時27歳の金新朝(きんしんちょう)少尉で、彼の供述により北朝鮮における特殊部隊の存在が明らかになった。また、「軍事独裁を敷く朴大統領が殺害されれば、韓国民衆は必ず労働者革命を起こす」と分析していたという。また金少尉はテレビカメラに向かって「私は朴正煕の首を取りにやってきた」と言い放ち、韓国国民に衝撃を与えた(現在は、ソウル市内の教会で牧師として働いている)。」


    で、韓国の教科書では、この青瓦台襲撃未遂事件についての記載がないんです♥

    ポイント

    さらに、1972年朴正煕は大統領特別宣言を発表し、維新体制を敷きます♥十月維新と呼ばれるものです。

    朴正煕政権の目標は、朝鮮半島の資本主義による統一でした。その為にも、まずやり切らなければいけないことが沢山あるんだって考え方でした♥

    この時に排斥された過激派がいます。それが金泳三(きんえいさん)であり、金大中(きんだいちゅう)でした♥どちらも、のちの大統領になる人物です。

    金泳三
    金泳三

    金大中
    金大中

    1973年金大中事件が起こります。活動家の金大中が、韓国中央情報部(KCIA)により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致された事件です。

    で、韓国の教科書では、この金大中事件についても記載がないんです♥つまり、記載ができないのは、大韓民国が国家として、どうしても捕まえなければいけなかった金大中の正体を説明する必要があるからですね♥

    ポイント

    その証拠に、こんな事件が反動として起こっています。とても悲しい事件です。

    1974年文世光事件(ぶんせいこうじけん)、大韓民国大統領・朴正煕の夫人陸英修(りくえいしゅう)が在日朝鮮人の文世光(ぶんこうせい)によって射殺された事件です。

    陸英修
    陸英修

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 在日朝鮮人文世光は1973年10月ごろ、朴大統領の暗殺計画を思い立った。同年5月、大阪湾に停泊中の北朝鮮の万景峰号の船中で朝鮮労働党対外連絡部の工作指導員から朴大統領射殺の指令を受けた

    ポイント

    文世光に狙撃を指令し資金を供与偽装パスポートの作成指示射撃訓練を行ったのは、大阪の在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)生野支部政治部長の金浩龍だった。

    ポイント

    実行までは、朝鮮ホテルに宿泊していたが、事件当日の朝、文世光はソウルパレスホテルのフォード車を借り上げ、正装を着て中折帽までかぶった重厚な身なりで、某商社のソウル支店長と待ち合わせている日本政府高官になりすました。高級車に乗っていたこともあってか、警備員からも全く疑われる事なく、記念式典会場である南山の国立劇場に潜入した。

    国立劇場の中へは本来、招待状を持つ人しか入場出来なかったが、劇場入口を守っていた警察官は、日本語を使う文世光を、招請された外国人VIPと判断し、招待状がないにもかかわらず入れてしまった。

    予定通り午前10時に式典が始まり、20分ほど経過した後、朴大統領が演壇で祝辞を読み上げ始めたところで、文世光は左側の腰に隠した拳銃を抜こうとしたが、誤って引き金に触れ、自分の左側の太股に貫通傷を負ってしまった。それでも文世光は、朴大統領が祝辞を読みあげている途中で客席から立ち上がって通路を走り、20m先の壇上に向け2発目の弾を発砲したが、朴大統領は軍人出身ということもあり、銃声を瞬時に聞き分け、反射的に演壇の後ろに隠れ難を逃れた。3発目の引き金を引いた際は不発だったが、直後、標的を失った文世光が立て続けて撃った4発目の弾が椅子に座っていた陸大統領夫人の脊髄に命中、第1弾が発射されてから、わずか7秒の出来事だった。最後の1発は、演壇の後方にある太極旗に当った。

    陸夫人はソウル大学付属病院に搬送されたが、5時間40分に及んだ手術もむなしく、同日午後7時に死去した(49歳)。ちなみに、頭部付近に弾丸が命中し椅子から崩れ落ちるシーンは、アメリカCBSソウル支局のカメラクルーが撮影したものだった。

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    また、式典に合唱団の一員として参加し、客席に座って演説を聴いていた女子高生・張峰華(当時17歳)も、ステージ上にいた警護員が彼女の客席付近を走っていた文世光に向けて射撃した際の流れ弾に当たり死亡した。

    文世光
    文世光

    文世光 2
    文世光

    朴大統領は、陸夫人が重傷を負い病院に搬送されたにもかかわらず、「私は大丈夫です」と言って、麦茶を一杯飲み終えた後、何事もなかったかのように最後まで毅然と演説を続け、その場に居合わせた観衆からは大きな拍手が送られたしかし式典の終了と同時に病院に駆けつけ陸夫人の死亡を耳にした際にはその場で大声を上げて泣き崩れたという

    当日は、交通部長官白善燁の奔走と、日本の全面的な技術支援を得て開通した、ソウル地下鉄1号線の完工式も開かれる予定だった。工事関係者や在留邦人など多数の日本人が待機していたが、「犯人は日本人」と伝えられたため、全員避難させられ、完工式の式辞でも日本の支援については全く触れられることはなかった。」


    で、そんな悲劇の朴大統領は、1979年10月26日に暗殺されてしまいます。この日は、テロリストの安重根(あんじゅごん)伊藤博文を暗殺したのと同じ日です。

    安重根
    安重根

    犯人は、金載圭(きんさいけい)、大統領の腹心の一人でした。

    金載圭
    金載圭

    真相は闇に葬られたまま、1980年に死刑判決を受け、暗殺からわずか7ヶ月後の同年5月24日に絞首刑に処されました。

    で、ここまでが前回までの流れです。それでは、このあとの流れを見てまいりましょう♥

    暗殺された朴大統領の次に、一人の大統領を挟んで、またまた軍事クーデター(5・17クーデター)で政権の座に着いたのが全斗煥(ぜんとかん)です♥1980年のことでした。

    全斗煥
    全斗煥

    全斗煥が朝鮮戦争中に入学した陸軍士官学校の同期には、次の大統領となる盧泰愚(ろたいぐ)もいました。

    盧泰愚
    盧泰愚

    まず、朴大統領の暗殺後公民権回復措置(1980年2月28日)によって、それまで政治活動を規制されていた金大中など反体制派人物政治的自由が回復します。

    金大中
    金大中

    金泳三
    金泳三

    そして、金泳三、金大中、金鍾泌(きんしょうひつ)の所謂「三金」が、次期大統領に名乗りを上げ政治活動が本格化、同時に学生運動や労働運動も活発化します。

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    この過激化していった学生運動や労働運動「ソウルの春」と呼びます。

    以下、Wikipediaの抜粋です。

    学生運動

    各大学では、1980年3月の新学期から学生会と教授会が復活し、維新体制時代の緊急措置で大学を解職或いは除籍されていた教授や学生達が80年2月29日の復権措置で学園に戻ってきた。そして学園内では「学園民主化」を求める討論会やデモが起こり始め、3月27日の朝鮮大学校(全羅南道光州市を皮切り全国の大学に学内デモが拡大、スローガンも学園内の言論の自由や御用教授退任、理事会運営の改善など具体的な物へと変化していった。4月に入り、新軍部勢力の権力掌握に向けた動きが表面化すると、学生達維新勢力退陣・戒厳令撤廃・政府主導の改憲反対などの政治的スローガンを掲げ、街頭デモを展開し初め、5月15日のソウル駅デモで最高潮に達した。

    労働運動

    労働運動も折からのインフレによる生活苦が後押しする形で活発化し、80年5月17日までの籠城や示威などの労働争議は987件に達し延べ20万名余りの労働者が参加、前年の争議件数427件を大きく上回った。特に同年4月21日に江原道旌善郡舎北の東原炭鉱で発生した労働争議では、4000名余りの炭鉱夫とその家族が四日間にわたって舎北邑一体を占拠(舎北事件)し、無政府状態となった。

    学生デモが学園から街頭へと拡大し、労働運動も炭鉱労働者による舎北事件の発生など過激化するようになると、社会には不安な空気が醸し出された。」


    そして、起こった暴動が「光州事件」でした♥

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    以下、Wikipediaの抜粋です。

    光州事件(こうしゅうじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市を中心として起きた民衆の蜂起5月17日の全斗煥らのクーデター金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデタに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり市民軍は武器庫を襲う銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に政府によって鎮圧された。」

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    この武装蜂起を抑え込んで長期政権を築いたのが、先ほどの全斗煥(ぜんとかん)でした♥

    全斗煥
    全斗煥

    で、この「光州事件」という武装蜂起の首謀者が誰かといいますと・・・

    以下、Wikipediaの抜粋です。

    「 1988年、韓国国会で開かれた聴聞会では、5月21日13時に道庁前で行われた群衆への発砲を誰が命令したのかが大きな争点となった。全斗煥、鄭鎬容などはこれを否認しており、発砲が軍上層部の事前承認によるのか、現場の指揮官の判断によるのかは、未だ明らかとなっていない

    事件の発端となったデモが、純粋な市民運動でなく北朝鮮やそのシンパが起こしたものであると主張する意見が韓国の保守右翼系からしばしば提起される。これは当時の軍事政権の公式見解であった。

    2006年に朝鮮日報は、大隊規模の北朝鮮軍が潜入して光州事件の戦闘に参加していたとする北朝鮮の元軍人の証言を報じた。

    元韓国陸軍大佐の池萬元(いけまんげん)は自著で、光州事件は金大中が起こした内乱事件であるとした1980年の判決に同意した上で、事件について金大中が起こしたもので北朝鮮特殊部隊の工作だったと主張。

    金大中
    金大中

    櫻井よしこはこの裁判により光州事件が北朝鮮特殊部隊の工作だったという主張は正しいと認められた、としている。また、池は事件で殺害された市民の70%韓国軍が使用していたM16自動小銃ではない銃弾によるものであることから、北朝鮮の特殊部隊に殺害されたものであるとしている。

    2013年5月9日、ソウル中央地方裁判所は、金大中前大統領が北朝鮮の金日成主席と組んで特殊部隊を送ったとの文を書いた池萬元に対して、死者名誉棄損の罪で有罪を宣告した。判決を不服とする池萬元は即日上告するとともに北朝鮮の関与した都市ゲリラ作戦であったとした文章をネットに掲載した。

    金日成
    金日成

    2013年5月、脱北者の元朝鮮人民軍特殊部隊将校は、韓国のTV朝鮮とチャンネルAの番組にて、600人の北朝鮮ゲリラとともに事件に介入したと主張した。」


    櫻井よしこ

    そして、櫻井よしこさんのHPに、こうあります♥

    『 「統一日報」論説委員の洪熒(ホン・ヒョン)氏が興味深い答えを語った。

    「韓国は光州事件以来、北朝鮮との戦いに敗れ続けており、結果、おかしなことが続発しているのです」

    ポイント

    1980年、全斗煥大統領が光州で起きた反政府運動を徹底的に軍事制圧したとされるのが光州事件だ。洪氏はあの事件の本当の性格を認知するために池萬元氏の著書をめぐる司法判断を知ってほしいと言う。池氏は米軍海軍大学で博士号を取得した元大佐である。

    池氏は著書で光州事件は「5・18(光州事件)は金大中などが起こした内乱事件」であり、「北韓の特殊軍が派遣されて組織的な作戦指揮を執った。不純分子が市民を銃で撃った」「左翼がこれを軍人になすり付ける謀略戦を繰り返し、事件を民主化運動と位置付けた」「心理的内戦はまだ終わっていない」と書いたのだ。

    ポイント

    光州事件の負傷者の会など18団体が池氏を名誉毀損で訴えたのが2008年9月、最高裁判所の判決が出たのが昨年12月だった。判決は池氏の完全勝利であり、「光州事件は北朝鮮特殊部隊の工作だったという主張」が正しいと、認められたのだ。だがこのニュースは韓国では一切報じられなかったと洪氏は指摘する。韓国全体が北朝鮮の側に立って考え北朝鮮に不利な情報は伝えない国になっているのだ。

    ポイント

    池氏は事件で殺害された学生や住民の70%が全政権の政府軍ではなく、北朝鮮の特殊部隊に殺害されていたことを詳細に描いた。当時、韓国軍が使用した武器はM16だったが、多くの人が異なる武器の銃弾で殺害されていた。実は韓国の予備軍の武器庫が襲われておよそすべての武器が奪われていた奪ったのが北朝鮮の特殊部隊だったというのだ。

    「いまも、韓国人も日本人もこのことに向き合おうとしません。当時はなおさらです。全政権は軍事ファッショ政権と見做され国際社会の非難を浴びました。あの時点で韓国は北朝鮮の謀略戦に敗北したのです敗北は続いていて朴大統領も北朝鮮を脅威と捉え準備するというまともな国家指導者としての考え方が出来ないのです」 』


    ポイント

    詳しくはこちらから♥

    「 北朝鮮に謀略戦で敗れたことが韓国のまともな国造りを妨げている 」 2013.03.30 (土)

    いかがでしょうか?

    背後に潜む北朝鮮の姿が理解できましたでしょうか?

    金日成
    金日成

    この全斗煥大統領就任直後北朝鮮の金日成は、連邦制による朝鮮統一案として「高麗民主連邦共和国」の設立を提唱するのですが、もちろん大韓民国は拒否します。

    そのあとが酷いんです♥

    まず、全斗煥の立ち位置は、こういう感じでした。以下、Wikipediaの抜粋です。

    「 全斗煥は、韓国の歴代大統領としては初めて、現在の韓国を含む朝鮮半島が日本の領土となったことは、自分の国に責任があったと認め、当時日本でも大きく報道された。

    1981年8月15日の光復節記念式典の演説では、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張している。

    また、翌年の光復節記念式典においても、歴史教科書問題により、日本人に対するタクシーの乗車拒否が起こるなど、反日感情が渦巻いていた韓国において、前述の通り強硬的な姿勢を見せながらも、「異民族支配の苦痛と侮辱を再び経験しないため確実な保障は、我々を支配した国よりも暮らし易い国、より富強な国を作り上げる道しかあり得ない」と述べ、「克日」を強調した。」


    ここで、私たち日本にとっての重要な問題点のお話です。上記記載にある、当時、日本のメディアが大誤報をして大騒ぎを始めたことがきっかけとなって、現在の歴史問題に至る流れが形成されました。それが、教科書誤報事件です♥

    教科書誤報事件は、1982年に文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとする誤報がなされ、これにより日本の外交・内政に混乱が生じた事件でした。

    詳しくはこちらから♥

    正論2001年6月号126-136頁 ⇒ 教科書問題の発端「世紀の大誤報」の真実 産経新聞論説委員・石川水穂

    北朝鮮の金日成の朝鮮統一案を一蹴した全斗煥ですが、その後、北朝鮮から徹底的に命を狙われます

    まず、1983年ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)爆弾テロが発生します。「ラングーン爆破テロ事件」です♥



    続いて、1987年11月29日、大韓航空の旅客機が偽造した日本人パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員金賢姫(きんけんき)らにより、飛行中に爆破されるテロ事件が発生します。大韓航空機爆破事件です♥

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    1988年、大統領に就任したのが盧泰愚(ろたいぐ)です。

    盧泰愚
    盧泰愚

    彼は、外交面で「北方外交」を提唱し、共産圏との関係改善に乗り出します。1990年ソビエト連邦1992年には中華人民共和国と国交を樹立しました。また、朝鮮統一問題では、1991年9月17日、北朝鮮との国連への南北同時加盟を実現し、同1991年12月13日に南北基本合意書を締結しました。

    1992年、大統領に就任したのが金泳三(きんえいさん)です。このとき、朴正煕(ぼくせいき)政権当時、排斥されていた過激派から大統領が生まれたんです♥

    金泳三
    金泳三

    以下、Wikipediaの抜粋です。

    「 金泳三政権は「歴史の立て直し」を主張し、行動した。まず、対北朝鮮の懸案となっていた非転向長期囚李仁模を1993年3月19日に北朝鮮に送還した。次いで、1993年8月には旧朝鮮総督府の解体を決定。1995年8月15日には解体が行われた。
     1993年3月19日に北朝鮮核拡散防止条約から脱退し、朝鮮半島全土に核危機が訪れるが、危機回避の会談はアメリカと北朝鮮間のみで行われ、韓国は一切手出し出来なかった。
     日本に対しては常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリ(日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る朝鮮語の俗語)の悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた。この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がった。
     また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。
     就任前後に日本で高まった統一教会による誘拐事件への対応では日本側に不満の声も上がった。また、いわゆる「光復」50周年を記念して行われた歴史立て直し事業では、旧朝鮮総督府解体のほか、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。」



    1998年、大統領に就任したのが金大中(きんだいちゅう)です。彼も、朴正煕(ぼくせいき)政権当時、排斥されていた過激派です♥

    金大中
    金大中

    アジア通貨危機破綻直前だった韓国ですが、そんな韓国を助けたのは、私たちの日本でした♥

    詳しくはこちらをご参照♥

    実際は、「日本の力」なのです



    以下、Wikipediaの抜粋です。

    「 1998年、小渕恵三内閣総理大臣と日韓共同宣言を発表し、韓国でそれまで禁止されていた日本文化開放を推し進めた。
     朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては「太陽政策」と称される緊張緩和政策を志向した。2000年6月に朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌で金正日国防委員長との南北首脳会談が実現し、6.15南北共同宣言を締結した。南北首脳会談などが評価されて、ノーベル平和賞を受賞した。これは現時点で韓国人唯一のノーベル賞受賞である。
     ただ、太陽政策は議論の余地があり、その後の報道では、会談実現のために金大中大統領から現代グループを通じて4 - 5億ドルを金正日(きんせいにち)に渡していたとされる。」


    金正日
    金正日

    続いて、悪夢のような出来事が起こります。

    2003年、大統領に就任したのが盧武鉉(ろむけん)です。歴代で初めての、日本統治時代を経験していない世代の大統領ですが、極左活動家の「容共」の人物がついに韓国大統領になったんです♥しかも、カトリックw 最悪の事態です

    私たちの日本に対してプロパガンダとしての「韓流ブーム」を仕掛けたのも、この頃からでしたw

    以下、Wikipediaの抜粋です。

    「 対北朝鮮政策においては金大中の太陽政策を継承かつさらに極端なまでに発展させ、北朝鮮に対しては徹底的な宥和路線で臨んだ。また、独自外交路線を推し進め、米韓同盟を見直しつつ、日本とは一定の距離を置いた。

    ポイント

    従来から日韓双方がこれまで必要に応じて棚上げしてきた問題について、人権派弁護士として軍部独裁に反対する学生とともに歩んできた盧武鉉は文民政権の正当性を確立するために歴史の清算にこだわった

    また、セヌリ党の鄭夢準によると、盧武鉉は司令官が出席する長官会談でアメリカに日本を共通の仮想敵国に規定しようと提案し、アメリカは非常に当惑していたと語った。韓国や日本では報道されていなかった

    ポイント

    2005年3月、盧武鉉は三一節の演説で日本に植民地支配への明確な謝罪と反省、賠償を要求し、ついに対日強硬政策へと舵を大きく切り直した。盧武鉉は「外交戦争も辞さない」というきわめて強い表現で日本への批判を続け、最終的には小泉の靖国神社参拝を理由として首脳会談を中止した。北朝鮮による拉致が明らかになることで日本の世論は小泉支持に変わっていった

    井沢元彦、呉善花は、2005年4月、盧武鉉ドイツを訪問日本の国連常任理事国入りに反対を表明し(一方でドイツの常任国入りは支持すると発言)更に日本をナチスドイツと同様に批判しようと共同宣言を持ちかけるドイツ政府から猛批判・猛反発を受け相手にされなかった。ドイツ在住ユダヤ人代表団からは「ナチスドイツによるホロコーストは人類史上最大で他に例をみない反人類的な犯罪であって、これを日本の韓国統治と同一視することはユダヤ人虐殺の人類史的意義を不当に貶めるきわめて非国際的で悪辣な議論である」という厳しい批判を受け、ドイツのメディアからも発言また訪問それ自体が無視され何の成果も得られなかった、としている。

    2005年の8月15日の3日後の18日に親日派財産を取り戻すための汎政府機構である「親日反民族行為者財産調査委員会」 が本格発足した。盧武鉉政権では日本統治時代の「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律が施行された。しかしこの法律は明らかに法の不遡及の原則に反し憲法違反である

    ジャーナリストの池東旭と評論家の金完燮によると、盧武鉉がこのような強固な反日政策をしたのは韓国社会の主流が日本統治時代に生まれた日本語世代から戦後から日韓国交正常化までに激しい反日教育を受けたハングル世代へと入れかわったため、としている。大の日本嫌いであった初代大統領の李承晩反日教育を行ったが、朴正煕、金泳三と金大中達はそれ以前の日本統治時代の生まれで対日感情は悪くなかった。

    2006年7月5日には竹島周辺の日本の排他的経済水域および領海内で韓国船が日本の抗議を無視し海洋調査を行った。日本が海洋調査を実施しようとした際には「武力行使もありうる。国際法上合法だというならば、そんな国際法に意味はあるのか」と猛反発したことから、一連の動きは露骨な対決姿勢の表れとみなされ日本との外交関係は更に悪化した。同日に北朝鮮が行ったミサイル乱射に対しても両国は連携できず、国連安保理での制裁議論に際しても日本は韓国に対する配慮を行わなかった。 また、2006年4月21日付のワシントンポストにおいて、盧武鉉政権海上保安庁の竹島周辺海域海洋調査を阻止するために日本政府への具体的な圧力として、「島根県内の防衛庁(現防衛省)施設」に対する軍事攻撃を検討していたことが明らかとなり、仮に攻撃が行なわれたとして自衛隊との軍事的衝突はおろか国際的な非難と信用の失墜及び最悪経済制裁を受けていた可能性もあり、韓国国内からも盧武鉉政権の独断ぶりに憂慮の声が強く挙がった。

    2006年10月9日、小泉のあとを受けて首相に就任した安倍晋三とのあいだで約11カ月ぶりに日韓首脳会談が行われた。しかし盧武鉉は同日に北朝鮮による地下核実験があったにも関わらず、会談時間の半分近くを歴史認識問題に割いたために両国の溝は埋まらず、共同文書の発表に至らなかった。

    2007年1月、盧武鉉が前年ハノイで行われた安倍との会談の席で、日本海呼称問題の解決のために日本海を、日韓どちらの名称でもなく新しく「平和の海」と呼称するよう提案し、即座に拒否されたことが報じられた。

    盧武鉉は大統領選挙の前から反米主義で知られ、それは選挙戦の間も不利な条件とはならなかった。盧武鉉は大統領に当選する前「反米だからどうだと言うのだ?」と述べ、それは盧武鉉への支持に繋がると同時に、多くの国民に彼がアメリカとの関係に独立した一線を導くと信じさせた。

    しかし大統領就任後、この様な見解が負債として彼に圧し掛かった。韓国の保守派とアメリカは疑念を抱き、反共の野党ハンナラ党はたびたび盧武鉉を極左として非難した。盧武鉉は、元国防長官のロバート・ゲーツと会った際、「アジアで最大の安全保障上の脅威はアメリカと日本だ」と述べゲーツは2014年1月に出版した回想録で、「私は彼が反米的でちょっと頭がおかしいという結論を下した」と書いている」


    ポイント

    ご理解いただけましたでしょうか?

    韓国社会に浸透する北朝鮮勢力。これが現在の韓国の病巣です♥

    実際には、すでに乗っ取られちゃっている状況に近いんです♥

    もちろん、同じような問題が、私たちの日本にも存在しています。

    そして、そんな半島情勢のなかに、割って入ろうとしているのが支那ですね♥

    これは、私たち日本にとって非常に重大な安全保障上の問題なんです♥

    安倍総理

    ですから、安倍総理が、私たち日本人の砦なんですよ♥

    北朝鮮や韓国、そして支那に対して、決然とした態度で挑む政治家が、他にまったく存在していませんね♥

    来年の選挙では、間違いなく圧勝するでしょうね♥

    国民の為にならない政治家は、一掃してしまいましょう!

    安倍総理、頑張ってください♥

    続きは次回に♥




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    Category: 日朝関係
    Published on: Thu,  24 2015 00:00
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