儒教圏における歴史記述の得意技 ~ 通州事件

    天道教の旗
    天道教の旗

    甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)は1894年(甲午)に朝鮮で起きた農民の内乱である。関与者に東学の信者がいたことから東学党の乱とも呼ばれる。なお、大韓民国では東学農民運動や東学農民革命と呼ばれている。

    東学(とうがく)は、朝鮮半島において1860年に慶州出身の崔済愚(さいせいぐ)が起こした思想。東学を信奉する者を東学教徒、その集団を東学党と呼ぶ。また、第3代教祖、孫秉煕(そんへいき)からは天道教(천도교, Cheondogyo)と呼ばれる。東学の本質は従来の思想である朱子学とも、西洋の新しい思想である西学(天主教)とも異なる朝鮮独自の思想体系を成すことを旨とした。

    朝鮮における開化期の思想は、興宣大院君と儒者達による衛正斥邪思想と、両班官僚と中人層の開化思想との対立であった。しかし、このふたつの思想は結局、政府側の対立構造であり、一般民衆に根を下ろした大衆的な運動にはならなかった。そうした中で、下からの改革を思想体系化したのが崔済愚(1824 - 1864)である。

    東学一般大衆に広がった理由のひとつは、その教理の単純なことによる。即ち、儒学の修得が長い年月と相当の財力を必要とするのに比べて、東学において、その真理に達するための修養方法は、日常的に「侍天主 造化定 永世不忘 万事知」の13文字を唱えることであった。東学教徒たちは天主(ハヌニム、「天の神」、朝鮮における古代からのシャーマニズムに由来する概念)を仰ぎ、天主はすべての人間の内に住むと述べて、人間の尊厳と平等とを説いた。また山中に祭壇を設けて天(ハヌル)を祭り、戦いに備えるため木剣を持って剣舞をならった。しかし、東学の教理は、革命ではなく、教化であり、東学党の上層部は常に農民(賤民層)の暴力的闘争を拒否した。

    崔時亨は1898年3月、江原道原州で捕まり、6月、処刑された。そこで、東学党教祖は孫秉煕が引き継いだ。孫は李祥憲という名で日本に入り開化派と接触しながら「道戦」「財戦」「言戦」の三戦論を提起した。そして、1904年、権東鎮、呉世昌らと政治団体「進歩会」を結成し、その実務を李容九にまかせた。しかし、李容九は宋秉畯と結託して「一進会」を創設親日的活動をするようになるこれに対して孫秉煕は1905年12月1日「天道教」を宣布し、東学の正統な教団であることを主張した。李容九は「侍天教」を掲げた。よってここで、東学は「天道教」と「侍天教」に分裂する。

    「天道教」はその後、3・1独立運動を経て愛国啓蒙運動の一翼を担うことになる。「侍天教」は一進会の組織の中で親日活動を行っていく。

    2005年の調査では、韓国には天道教の教会が280ヶ所あり信者数は113万人を数える。また北朝鮮には280万人の信者がいるとされ天道教青友党という政党が朝鮮労働党の衛星政党として存在している。






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 さて、日清戦争に関する、【韓国検定教科書の主張】です。

    《 日本人をはじめとする外国の侵略に対し、東学農民運動が立ち上がった。 》

     絶句しました

    驚き5

    確かに教科書の単元ごとのキーワードには「清日戦争」とあるのですが、【延々と「東学農民運動」の話ばかりしている】のです。

    驚き顔

    日本人にとっては「東学党を名乗る農民反乱が朝鮮で起きました」、以上。で、すんでしまうレベルの出来事ですが、【朝鮮民族の栄光を称える大韓民国の歴史観では、単元のほぼ全部を使ってでも称えるべき特記事項が農民反乱】なのです。

    驚き 2

     歴史教科書の問題で日本人は、「こんなひどいことが書いてある」という指摘はよくするのですが、「こんな大事なことが書かれていない」ことのほうが重要な場合もあります

    悩む女の子2

    たとえば、「日本人が三十万人の中国人を殺した」とされる真偽不明の南京事件は載っているのに、【日本人が虐殺された通州事件が無視されている】、などです。

    通州事件 1

    通州事件 2

    通州事件 3
    「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ つくる会「世界に知ってほしい」 中国人部隊の邦人200人殺害

    詳しくは、こちらもご参照♥

    「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ・つくる会「世界に知ってほしい」・嘘の南京大虐殺と違い事実



    歴史では、「事実認定においてあからさまな誤りがあってはならない」ことは当たり前で、「どの事実を取り上げるか、また取り上げないか」によって歴史観が現れるものです。

    ポイント

     ちなみに、このあたりは【中国も同じ】です。ある雑誌で、近現代史における重要事件で中国人がどのような間違いを主張しているかを指摘したうえで反論するという企画があったのですが、【中国人は日露戦争にはまったく言及していない】ので、担当者が困ったという話がありました。

    驚き 2

     「そんな人物は歴史上、最初から存在しなかった」「そんな事件は歴史上、最初から存在しなかった」とは【儒教圏における歴史記述の得意技】です。中国人王朝そのものを平気でなくしてしまう

    驚き5

     【朝鮮を舞台にした日清戦争、清朝父祖の地・満州を舞台にした日露戦争のような重大事件が載っていなくて、自分たちの歴史がわかるのか】と疑問に思います。

    ポイント

     ついでに言いますと、【ソ連科学アカデミーに代表される共産主義者も「歴史抹消」は得意】です。集合写真だったはずなのに、粛清された人物を次々と修正削除するや、いつの間にか写っているのはスターリンただ1人だった、というような笑えない冗談もあります。こういうところが、儒教国に共産主義が浸透しやすいところかもしれません。

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    1919年の革命記念日に赤の広場で撮られた写真。中央左の人物がレーニン、その右にトロツキー。トロツキーをはじめ、数人が跡形もなく消されている。

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    プラウダを読むトロツキー。1925年にトロツキーは失脚、写真の顔の部分がつぶされた。

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    1920年、ボリショイ劇場前でのレーニンらの演説を写した有名な写真。ちょうどレーニンが演説中で、トロツキーとカーメネフが階段のところで演説の順番を待っている。が、階段からトロツキーとカーメネフの姿が消えている。

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    スターリンとエジョフを撮影したもの。エジョフの粛清後は姿が消されている。

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    1922年にレーニンとその妻ナデジダを撮影したもの。ナデジダの頭に銃のようなものが突きつけられているように見える。が、後年の写真では銃が消されている。

    以上は、こちらからお借り致しました♥

    スターリン時代のソビエトで行われた様々な写真の改ざん

     仕方がないので、どこの概説書にも載っている、否定のしようのない事実を羅列していきましょう。

     まず、東学党とは、西洋の経済や文化的な侵略に対し、東洋本来の精神で対抗しようとしたと理解されていますが、より【正確には朝鮮ナショナリズムの追求】です。

     西洋の文物を取り入れようとする開化思想も、儒教精神に則った衛正斥邪(えいせいきじゃ)思想も両方排して、民衆の救いを目指そうと1860年に崔済愚(さいせいぐ)がはじめました。儒教のような難解な学問ではなく、「天に感謝すれば救われる」という単純極まりない教えを信じればいいだけという教義なので、ほとんど文字が読めなかった朝鮮の民衆にも急速に普及します。…

    驚き5

     この東学農民運動検定教科書では延々と4頁にわたって図表入りで活動が紹介されているのですが、「官吏の収奪に耐えかねた多くの農民たちが蜂起し、日本や西洋を追い出そうとした」以上の内容がまったく読み取れないのです。

    驚き5

    一応、申し訳程度に「清の商人より経済的打撃を受けた」くらいのことは書いてあるのですが、【「農民が決起した」が強調されるだけで、そのほかの大事な事実関係が全部飛ばされているので、はっきり言って何がなんだかわかりません】

    驚き5

    とにかく、【思想性はあまりない】けれども、民衆の気持ちをつかんで勢力を張ったのが東学党です。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    朝鮮も支那もロシアも、歴史を捏造するのが得意ですね♥

    でも、私たちの日本でも歪な歴史教育が現在でもなされていますね♥

    「通州事件が取り上げられていない」ことも、それを示す良い事例ですね♥

    前回からの続きですが、『歴史』を都合良く区切り、あらかじめ意図した通りのストーリーを描いて、それを高尚な理論のように見せかけているのは、マルクス主義者の仕業です♥

    そして、私たち日本戦後の教育において、現在も継続されている懸念すべき問題

    それは、このマルクス主義、あるいは隠れマルクス主義に基づいて、日本にとって、本来は、一連の流れとして存在している『歴史』を都合良く区切り、そのうえで意図した通りのストーリーを描き、それを『歴史』として子供たちに教えているっていうことなんです♥

    「隠れマルクス主義」については、こちらをご参照♥

    日本のリベラルと世界のリベラルの違い ~ 21世紀は伝統回帰の時代です



    どれほど歪な形で、私たちの日本の歴史が区切られているかは、学習指導要領を読めば明白です♥

    「学習指導要領」は、こちらで、読むことができます。

    文部科学省 中学校学習指導要領解説

    具体的に、歴史の区切り方を、目に見える形で表にしてみると、こんな感じになるんですよ♥

    歴史区分

    皆さんの「古代」のイメージと、学習指導要領の「古代」は、一致していますでしょうか?

    おかしくありませんでしょうか?

    学習指導要領には、時代ごとに「区切って」、このように教育指導にあたりなさい、って書かれてあります。

    古代は、次のように説明されています。

    中学校学習指導要領解説 社会編 古代迄の日本

    では、なぜ12世紀で区切っているのでしょうか?

    悩む女の子2

    12世紀、つまり1192年(最近は屁理屈をつけて別の年代で教育しているようですがw ここでは正しく1192年と記します)の鎌倉幕府の成立によって区切られているんです♥そこまでが古代だ、と子どもたちは教えられているんですよ♥

    以下は、Wikipediaの抜粋です。

    「 古代(こだい、英: Antiquity)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。

    古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。考古学の発達が歴史記述の上限を大幅に拡大したと言える。

    発展段階史観では、無階級社会の原始に対し階級社会の古代へと発展したと理解し、古代を階級社会の第1段階であると捉えている。古代社会または古代奴隷制社会という。世界史的には奴隷制段階の古代と定義、区分する。こうした学説では古代とは奴隷が生産の主体を担った発展段階と定義される

    しかし今日では、こうした単線的発展段階説は疑問視されている。現に古代とされる時代に多くの地域で奴隷的存在は普遍的に見られたが、古典古代とよばれる古代ギリシア、古代ローマの一時期のように、そうした人々が生産の主体になっていた社会は必ずしも多くないとされる。他の諸国では複雑な形態をとった原始無階級社会から階級社会への発展がみられた。」


    Roman_Republic_Empire_map.gif
    ローマ帝国の領域の変遷

    ここに記されているとおり、「古代」とは、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代「歴史の始まり」を意味する時代区分です。

    ヨーロッパの歴史でいえば、4世紀から5世紀にかけて、もともとあったローマ帝国が、異民族のゲルマン民族が侵略したことで弱体化、そして東西に分裂し、西ローマ帝国が滅亡しました。ですから、ここまでを古代と区切ることは素直に理解できますね♥

    その異民族のゲルマン民族は、その後、自分たちが滅ぼしたローマの歴史を受け継いでいると考え、自分たちの歴史を語るようになっていきます。

    では、私たちの日本は、どうでしょうか?私たちの日本では異民族によって侵略された歴史など存在していませんね♥滅んだ文明もありませんね♥

    では、どこで区切るべきでしょうか?

    悩む女の子2

    私たち日本の歴史は、遥かに古く1万6千年前の世界最古の土器が見つかっていますし、旧石器時代や縄文・弥生といった一連の流れを示す膨大な数の遺跡が現存しています♥

    「 例えば、1998年、青森県の旧石器遺跡・大平山元Ⅰ遺跡から土器が発見されました。
     その内部に付着した炭素から得られた年代は1万6000年前世界最古の土器が日本で作られていたのです。(注:2012年6月、中国江西省洞窟遺跡で2万年前の土器発見、なるニュースが共同通信から流されました。しかし、この年代は土器の炭素から確定されたものではなく、“洞窟年代の推定値”でした。共同通信は科学に弱い要注意な通信会社です。)…
     世界最古の土器文明は約8~9千年前のことでしたから日本では遙かに早くから土器文化が広まっていたのです。

     このように日本では無数ともいえる旧石器遺跡や縄文遺跡があり、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代へと歴史は途切れることなく続き、今日に至っています
     そして日本に旧石器時代があったことが、半島との関係を論ずるにあたり重大な意味を持っているのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    スッキリ分かる!日本と朝鮮半島の古代の歴史 ~ 科学に弱い共同通信



    御覧のように、遥か昔から、私たちの日本の歴史は途切れることなく続き今日に至っています

    つまり、区切りようがないんですw

    西洋ヨーロッパとの比較をするために、あえて言えば、それは「神武天皇が橿原(かしはら)の地に第1代天皇として即位された皇紀前660年2月11日」しかあり得ません♥

    すなわち、私たちの日本が建国された日です♥「古代」とは、「歴史の始まり」を意味する時代区分なんですからw

    「 日本の建国について、戦後になると多くの歴史学者が「神武東征はウソだ、日本書紀はウソだ」と言い出し日本建国のいわれを排除し、科学的根拠もないままに、「日本人は渡来人と縄文人の混血民族だ」、「韓国は日本人の祖先の国だ」、「日本人の祖先は江南から来たシナ人だ」、「渡来人が日本に稲作を教えた」、そのような「ウソ」が公教育や司馬遼太郎などの作家、マスコミ、大学教授などを通して流され続けたのです。…

    司馬遼太郎
    司馬遼太郎

     このようにして、戦後の日本人日本の建国自分が何者か自らの出自が分からないまま今日に至っている、そのように見受けられるのです。

    アマテラス
    天照大神

     子供の頃、生家の床の間には「天照大神」と大書した掛軸が掛けられ、その上には今上陛下の婚礼写真が掲げられていました。では天照大神とはどのような神様だったのか、ご存じない方もおると思うので、戦前に教えられていた建国史の一端を紹介します。
     この根拠が日本書紀(720年に第44代元正天皇に奏上)です。ですから戦前は誰もが日本の建国を答えられました

    「日本は神武天皇が橿原(かしはら)の地に第1代天皇として即位された皇紀前660年2月11日に建国されました。それが今上陛下の御先祖様であり、私たち日本人には神武天皇の血が入っており、皇室は私たちの祖先なのです。そして皇室の御先祖様は天照大神です」 と。

     日本書紀の特徴は、神武天皇以後を歴史時代とし、その前を「神代(かみよ)」としたことです。神代には不可解な話も多いのですが、古代の人々はそれを「神話」として区別する理性を持っていたことが分かります。
     古代史とは、自分と関係ないと思う方もいますが、木に喩えればそれは私たちの根です。根がしっかりしていればこそ、幹が太く高くなり、枝葉を伸ばし、花や実をつけることができるのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本はどのようにして建国されたのか ~ 根拠なき珍論を繰り広げる八幡和朗



    では、神武天皇が即位なされたのは、西暦で何年ぐらいでしょうか?

    およそ、紀元前70年ごろと推定されます。

    詳しくはこちらをご参照♥

    「いくたまさん」が伝える真実 ~ 神武東征の証明



    ですので、歴史区分の表を、古代の部分を修正いたしますと、こうなります♥

    歴史区分 2

    いかがでしょうか?

    古代のイメージに近くなったのではありませんでしょうか♥

    続きは次回に♥




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    Category: 日朝関係
    Published on: Tue,  22 2015 00:00
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