朝鮮王国とマリネラ王国 ~ 日本の天皇陛下、朝鮮の国王「殿下」w

    パタリロ
    『パタリロ!』は魔夜峰央のギャグ漫画。『花とゆめ』(白泉社)で1978年に連載を開始し、2014年現在、『別冊花とゆめ』『MELODY』にて連載中。1982年にはアニメ化もされた。

    バミューダ=トライアングルの真ん中に存在する架空の島国マリネラ王国を舞台に、その国王パタリロが、側近のタマネギ部隊や、イギリスの諜報機関MI6(エム・アイ・シックス)の少佐(スパイ)バンコランやその愛人マライヒ等を巻きこんで起こす騒動を描く。舞台はマリネラ王国だけでなく、バンコランやマライヒの住むロンドンも多用されている。

    基本的には一話完結の形式なのだが、連作エピソードもいくつか存在している。毎話で描かれるストーリーは単なるドタバタギャグなノリだけにとどまらず、プロットが高度に練られたものも多く、作品が長年支持されている所以でもある。ストーリーはギャグ作品の懐の広さを生かしてジャンルを越えた多彩な内容になっており、007シリーズめいたスパイアクションがあれば推理小説並みのミステリーもあり、宇宙人が出てくるSFもあれば黒魔術が絡むオカルトもある。

    1970年代、少女漫画界では耽美的な少年愛を題材に取り上げることが流行したが、その時期に連載が始まった本作でもその要素は多分に盛り込まれている。少年愛をコメディに取り入れたことでは『エロイカより愛をこめて』(作・青池保子)と並ぶ先駆的な作品である。

    スピンオフ作品として『家政夫パタリロ!シリーズ』、『パタリロ西遊記!』、『パタリロ源氏物語!』、『パパ!?パタリロ!』がある。これらは『パタリロ!』とは別作品として扱われており、単行本も別シリーズとなっている。また、パタリロ本編でも外見が同一の別キャラクターによる時代劇版があるが、これは本編の一部として扱われ、『パタリロ!』の単行本に収められている。

    2013年2月23日に開館した「新潟市マンガの家」(新潟県新潟市中央区)では、同県出身者である魔夜の作品に関する展示が「ギャグマンガゾーン」にて行なわれている。

    パタリロ 4
    詳しくはこちらから♥ ⇒ 新潟市マンガの家 HP






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 朝鮮独自の主権国家を持つ資格のあるNationなのか、それとも単なる文化的集団にすぎないEthnicなのか難問です。

    悩む女の子2

    というのも、朝鮮独自の王朝を持ちながら、常にその王朝が中華帝国に臣従を誓っている為、【独立国家の要件をまるで満たさず】、評価をくだしようがないからです。

    驚き顔

    【中華皇帝から見たら、単なるいち家臣であり、地方の軍閥か何か】と見分けがつきません。

    驚き顔

     これは日本と違い陸続きだからというのは言い訳になりません

    ポイント

    歴代中華帝国と陸続きで接している【ベトナム】は、弱いときには中国の元号を使ったりしますが、基本的には敵愾心を剥きだしにします。また、【ミャンマー】などは、フビライの元だけが例外で、中華帝国の干渉を拒否しています。これらの国は現代の視点から見て、前近代において独立国家だったと言っていいでしょう。

     ところが困ったことに朝鮮王朝の文化は、「中華皇帝を父として敬い、ほかの国には長男として威張る」です。どこにも独立心はありません

    驚き顔

    しかも唯一の近隣国である日本は朝鮮を兄として敬うなど一度としてしたことがありませんましてや、…【中国や日本と一騎打ちで正々堂々と戦争をして勝ったことがない】のです。…

    ポイント

     事実として、李氏朝鮮漢民族の明が亡んだあと、中国大陸を支配した清に従います【清は満州人が建国した多民族国家】で、ほかのNationとの連合国家です。【満人のほかに、モンゴル・漢・ムスリム・チベット】も大清帝国では【主要民族の扱い】を受けています。日本人は単純に、「清の皇帝は中国人」と考えがちですが、実情はそんなに単純ではありません。

     一人の満州人の部族長が、モンゴルのハーン、中華皇帝、イスラム教の保護者、チベット仏教の保護者を兼ねているのです。「五つの顔を持つ阿修羅」と考えればいいでしょう。満州人は、ほかの民族にはかなり気を使っているのですが、【朝鮮人はひとつの民族としてカウントしていません】

    驚き顔

    中華帝国の持ち物なので、その一部分といった程度です。

    驚き顔

     その経緯について見てみましょう。満州の諸部族【ヌルハチ】が統一して【後金】を建国します。

    ヌルハチ
    ヌルハチ

    息子の【ホンタイジ】も領土拡張競争を継承し、勢いに乗るホンタイジは、明と朝鮮を地理的に分断し、補給路を断ちました。1636年には元の玉璽(ぎょくじ)を譲り受け、満州・モンゴル・漢の三民族の推戴で、清を建国します。

    ホンタイジ
    ホンタイジ

    風前の灯になりました。ホンタイジは中華皇帝として朝鮮に対し、明ではなく自国に朝貢するように要求しました。朝鮮満州族のヌルハチ中華皇帝とは認めず、拒否します。これに怒ったホンタイジ朝鮮に親征し、国王を漢城で土下座させるまでに叩きのめします

    ホンタイジに三跪九叩頭する仁祖(銅版)
    ホンタイジに三跪九叩頭する仁祖(銅版)

     これでもって、朝鮮は清の恐怖を思い知り、完全に属国となります。

    驚き顔

     ところで、韓流時代劇家臣が国王のことを「王様!」と呼びかけるシーンをよく見ます。翻訳家のセンスでそうなってしまうのでしょうが、【かなり不自然】です。【BS日テレ系だけは「殿下!」と正確に訳しています】。ただし、日本人にはわかりにくいでしょう。

    悩む女の子2

     敬語の使い方として、【皇帝や国王は「陛下」、皇族・王族は「殿下」】です。皇帝陛下・国王陛下・皇太子殿下が正しい用法で、これは万国共通です。ところが【朝鮮は「国王殿下」】です。

    驚き5

    【中華帝国の皇太子殿下と同じ格付けである、と当人たちもそれを認めているから】です。

    驚き5

     朝鮮ホンタイジに叩きのめされてから三百年間この関係を続けることになります。

    驚き 2

     ちなみに、【国王なのに「殿下」と自ら名乗っているのは、私が知る限り朝鮮王国とマリネラ王国ぐらい】です。

    ポイント

     日本で最も長く読み継がれている少女漫画『パタリロ!』は、昭和53年に連載が開始され、本編だけでコミックス90巻を数え、スピンオフ作品を加えると月刊誌連載が主体でありながら優に百巻を越えるというお化け作品です。



     頭脳と行動力がずば抜けた10歳の少年国王パタリロが、MI6・CIA・KGBといった大国の諜報機関をも向こうに回して、小国マリネラ王国を守り抜くという話です。

    パタリロ

    基本的には性格破綻者であるパタリロが側近を振り回すドタバタコメディが軸なのですが、いざというときには必ず自らの命を危険に晒してお国を守り抜くという姿が読者の共感を呼び、世代を超えて読み継がれています。

    パタリロ 3

    パタリロは自ら「陛下は辛気臭い。殿下と呼べ」と側近をおちょくって普段は「殿下」と呼ばせています。だから主人公は皇太子なのかと勘違いしてしまうのですが、公式の儀礼の場を描いたシーンではちゃんと「陛下」と呼ばれています(なお、パタリロもマリネラ王国もフィクションです。念の為)。

    パタリロ 2

     パタリロ殿下のような自己犠牲の精神に富んだ国王が一人もいなかったことが朝鮮の悲劇なのです。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    朝鮮は、独立国家の要件をまるで満たしていないってことが、御理解いただけましたでしょうか♥

    さて、ここからは前回の宿題(w)の続きです。

    戦後の教育において、現在も継続されている懸念すべき問題があります。

    それは、私たちの日本にとって、本来は一連の流れとして存在している『歴史』を、都合良く区切る、そのうえで意図した通りのストーリーが出来上がり、それを『歴史』として子供たちが教えられていることです。

    悩む女の子2

    前回もご紹介いたしました「学習指導要領」を、もう一度確認してみましょう♥

    こちらで、読むことができます。

    文部科学省 中学校学習指導要領解説

    学習指導要領には、時代ごとに「区切って」、このように教育指導にあたりなさい、って書かれてあります。

    具体的には、このように区切られています

    中学校学習指導要領解説 社会編 古代迄の日本

    12世紀頃までを「古代」としていますね♥

    中学校学習指導要領解説 社会編 中世の日本

    12世紀頃~16世紀頃までを「中世」としていますね♥

    中学校学習指導要領解説 社会編 近世の日本

    16世紀頃~19世紀前半頃までを「近世」としていますね♥

    中学校学習指導要領解説 社会編 近代の日本

    19世紀頃~20世紀前半頃までを「近代」としていますね♥

    中学校学習指導要領解説 社会編 現代の日本

    大東亜戦争(表記は第二次世界大戦ですけどw)以後を「現代」としていますね♥

    では、この「古代」、「中世」、「近世」、「近代」といった時代の分け方、そして、その定義は、何でしょう?

    実は、これらの定義は、まったく定まっていません

    なんとなく~、そんな感じ~、みたいな状況ですw 

    ハッキリ言うと、そもそも定義することに無理があるのに、都合良く勝手な解釈をして、さもそうであるかのように「区切っている」だけなんです♥

    驚き顔

    時代を区切るというアイデアは、ヨーロッパの歴史を分析しようとして、「ルネサンス(Renaissance)」( 「再生」 / re- 再び + naissance 誕生 を意味するフランス語)期に始まりました。

    ルネサンス期の人文主義者たちが考えだした歴史の時代区分は、「古代」、「中世」、「近代」の3つでした。これを三分法といいます。5つではありません

    以下は、Wikipediaの抜粋です♥

    人文主義者(じんぶんしゅぎしゃ)とは、ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人のこと。人文学者、ユマニスト(Humaniste)とも。人文主義者は古代ギリシア・ローマの古典を学ぶことによって人格形成を目指した。古典の人文学研究(Studia humanitatis)はペトラルカに始まる。人文主義者の父と呼ばれるペトラルカは、人間を学問の中心にすえて、本来相容れない古典文化とキリスト教を折衷した。」

    ペトラルカ
    ペトラルカ

    では、当時の人文主義者が、どういった考え方で歴史を区切っていたかといいますと、【古代】ギリシア・ローマ時代を理想と考え、【近代】であるルネサンス期が、その古代文明の再生の時代であって、古代と近代に挟まれた時代、その【中世】という時代は、理想とする古代の文明が中断された時代だって、考えていたんです♥

    どうして、そう考えたのでしょうか?つまり、古代と分断されていた中世という時代があったって、どうして考えたのでしょうか?

    悩む女の子2

    答えは、本当に分断されていたからです♥

    驚き顔 

    ここが私たちの日本とは、決定的に違っていますね♥

    ポイント

    「 どの歴史(日本史)の教科書でもいいので、ページを開いてみてください。鎌倉時代と室町時代は「中世」となっています。どの教科書でもそうです。「中世」とは「近代」になる前の、封建的で粗野な遅れた文化の時代という意味で使われています。NHKの大河ドラマ『平清盛』に描かれた世界はいかにもそのような世界です。薄汚れた武士たちが映像化されていました。

    NHK kiyomori

    しかし、…鎌倉時代も、…室町時代も、果たしてそういう時代なのでしょうか。

     西洋の歴史で「中世」(Middle Age)とは「古代」ギリシャ・ローマと「近代」挟まれた「中の時代」のことです。この時代は、ゲルマン民族の大移動ののち、キリスト教化され、現代の西洋といわれる世界が形成されていった時期でした。

     この時期を担ったのは古代ギリシャやローマの人々とは異なる民族で、宗教も言語も本質的に異なる人々です。だから、西洋の「中世」は古代ギリシャ・ローマが発展したものではなく、そこには明らかな断絶があります。

     しかし、その「文化」においても、西洋の学者たちは自分たちが古代ギリシャ・ローマを受け継いでいると自負しているため、「古代」と「近代」の間に「中世」を挟んで、いかにも西洋「文化」が一貫して継続しているように考えているのです。「ルネッサンス」といわれる時代は、「古代」の「再生=ルネッサンス」であるとされていますが、実際には「再生」ではありません

     西洋の「中世」は「暗黒」の時代ともいわれます。西洋が古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いでいるなら、「暗黒」であるはずがありません。西洋の歴史が「中世」といっている時代は、正確にいうなら新たな「西洋文化初期時代」(Primitive Age)というべきなのです。いまにつながる西洋文化の世界が形成されたのは、実はこの時代からなのです。

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     一方では、この時期の文化の様式を「ロマネスク」といっています。これは「ローマ的な」「ローマのような」という意味です。自分たちが古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いでいると考えているからですが、それを引き継いでいないことは、まったく新しいキリスト教の文化であることからも明らかです。その形は、まだ素朴であることが誰にでも見て取れます。西洋の「ロマネスク」といわれる時代(1000年 – 1200年)の文化は、日本では飛鳥時代(592年 – 710年)の「アルカイスム(胎動期)」の文化に匹敵するものなのです。

    預言者ダニエルを描いたステンドグラス(アウクスブルク大聖堂、11世紀後半)
    預言者ダニエルを描いたステンドグラス(アウクスブルク大聖堂、11世紀後半)

     古代ギリシャ・ローマの文化を受け継いだというか、影響を受けて保存したのは、西洋ではなく「イスラム世界」なのです。「イスラム世界」を介して西洋は「古代」ギリシャ・ローマの文化を知り、その影響が「ルネッサンス」につながっていくのです。

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     こうした西洋の「進歩史観」中国史に導入しようとしたのは、西洋史をなまかじりした宮崎市定氏で、そんな史観自体が西洋のつくりものであることを知りませんでした。ましてや日本にまであてはめようとしたのが明治の歴史家たちだったのです。しかしもともとそんな歴史はなかったのです。」

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    宮崎市定

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    詳しくはこちらをご参照♥

    日本に「中世」は、ありません♥



    いかがでしょうか?

    ルネサンス期の人文主義者たちが考えだした歴史の時代区分が、「古代」、「中世」、「近代」の3つでした。

    この時期を担ったのは、古代ギリシャやローマの人々ではありませんね♥

    この時期を担ったのは、異民族です♥ もちろん、宗教も言語も本質的に異なる人々でした。

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    ローマ帝国の領域の変遷

    異民族であるゲルマン民族が大移動、つまり侵入・侵略してきた時代(4世紀~5世紀)がありました♥

    その結果、キリスト教のローマ帝国が弱体化し、やがて滅亡していきます♥

    その異民族たちが、キリスト教化されていき、現代の西洋といわれる世界が形成されていったんです♥

    で、もともと異民族であった彼らが、「古代」ギリシャ・ローマを受け継いでいると思い込んで、こう考えました。

    【古代】ギリシア・ローマ時代こそ理想であり、【近代】であるルネサンス期(つまり当時の現代ですね♥)が、その古代文明の再生の時代であって、古代と近代に挟まれた時代は、理想とする古代の文明が中断された時代で、その時代を【中世】と呼ぼう、と。

    ですから歴史や文化が、ギリシア・ローマと、異民族ゲルマンとの間で分断が生じているのは当然であって、近代であるルネサンス期に、異民族ゲルマン新しい歴史を刻みはじめ、新しいキリスト教文化を生み出した、っていうことなんです♥

    それでは私たちの日本は、どうでしょうか?

    悩む女の子2

    「 日本のように一つの所に、同じ領域に、同じ民族住み続け二千年以上もの歴史を積み重ねてきた国はほかにはありません。

     ヨーロッパを見てみましょう。古くはケルト人が住んでいました。カエサルの『ガリア戦記』に見るように、そこにラテン民族のローマ人がやってきて、ケルト人を蹴散らします。

     そのころ、中央アジア、中央ヨーロッパでは、フン族の圧力に押し出される形で、ゲルマン民族が西へ移動してきます。ゲルマン民族のさまざまな種族がヨーロッパ各地に定着し、それがヨーロッパのさまざまな国の原型になったといわれています。

     それだけでは終わりません。13、14世紀になるとモンゴル族が侵入してきます。ヨーロッパは大きく動揺しました。国境線が西に東に、南に北に移動しました。


    モンゴル帝国

     これはアジア大陸でも同じことです。中国の歴史はいくつもの王朝の交代の歴史でした。そして、王朝と王朝との間にはほとんど連続性がありません。断絶していたのです。秦王朝の兵馬俑(へいばよう)の技術は、その後の中国の彫刻になんら影響を与えていません。それは単に王朝の名称が変わっただけというのではなく、漢族から鮮卑(せんぴ)族へ、モンゴル族へ、満州族へ、という支配的民族の交代であったのです。

     そこには戦乱がありました。他民族に侵略され、追われて移動し、故郷を失い、消滅し、あるいは新たな故郷を求めるということが繰り返されて、現在ある国が定まっていったのです。

     世界の国々はすべて、このような変化、断絶を経験しています。

     しかし、日本にだけはそのような歴史がありません。一度だけ、モンゴルが攻めてきたことがあります。しかし、日本の国土には侵入できませんでした。

     明治以降を「近代」と呼び、何もかも変わったようにいう向きがあります。しかし、何が変わったのでしょう。日本人という民族はそのままです。また、日本はアメリカとの戦争に負けました。しかし米軍は、天皇には関与せず、本土上陸もしませんでした。その結果、基本は変わらなかったのです。日本民族は依然として同じ領域に、日本人として暮らしています。そして、二千年以上も前から日本が変わらずにここにあることを示す何よりのものは、天皇がおられるということです。明治のいわゆる近代化の波も、戦争も軍事的な敗北だけで、日本を変えることはなかったのです。

     世界史では、近代が国家観を形成し、人々の国民意識を育て、国家が成立したといわれます。しかし、日本は大陸から隔てられた島国という条件もあって、自然と一体になって、大八洲(おおやしま)がそのまま国土として意識され、早くから巧(たく)まずして人々の国民意識を育てることになり、それが途絶えることなく今日まで続いているのです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    世界では死んでいて、日本では生きています



    御理解いただけましたでしょうか?

    私たちの日本に、ルネサンス人文主義者が唱えた歴史区分・三分法を当てはめようとすること、それ自体に無理がありますね♥

    そして、その三分法が、その後、さらに歪に変化することになります♥

    続きは次回に♥




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    Category: 日朝関係
    Published on: Sun,  20 2015 00:01
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