日本のリベラルと世界のリベラルの違い ~ 21世紀は伝統回帰の時代です

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    伝統(でんとう、英: tradition)とは、人間の行動、発言、思考及び慣習に見出される歴史的存在感を総称していう。または、人間の生存・生活の中に長い歴史を通して表される種々の慣習や形式、価値観を総体的に指し、狭義には、個々の集団が個別に有する慣習、形式、価値観を指す。

    伝統はまた、それまでの歴史の中で形成されて来た種々の形態の中から、特に重んじて次世代に継承すべきものに対する精神的な立場を指す。



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 日本では2015年、「戦後70年」というフレーズを多用しましたが、この70年というのは、中国共産党国家のおよそ70年でもあるわけです…正確に言うと60数年。それだけの時を経て【毛沢東的な独裁者がもう一度、現れた】ということ。

    ポイント

     毛沢東スタイル、それが一つ。

    毛沢東
    ハゲの独裁者

     もう一つ大事なことは、ご存じのように、かつて鄧小平の言った【「韜光養晦(とうこうようかい)」】(才能や野心を隠し、力を蓄える)という外交政策、つまり、もう外国と争うのはやめましょう、特にアメリカと争うのは絶対にやめましょう、アメリカとは仲良くして経済発展に専念するというものがあった。江沢民は反日以外、現実的な鄧小平路線を踏襲しました。胡錦濤も基本的にはこの延長線上にあった。

    習

     しかし習近平はこの鄧小平路線から完全に逸脱しています。もう「韜光養晦」する必要はない、中国は強くなったからもう我慢する必要はないという考えでしょう。

    ポイント

     さらには彼の個人的な性質の問題この三つが重要ですね。

    悩む女の子2

     胡錦濤の野望はそんなに大きくなかったから、鄧小平の路線でそのままやっていけばよかった。本来なら、習近平もそういう路線でいくこともできた。そのまま10年、鄧小平路線を踏襲して、中国がもっとすごくなったら、誰かに次の政権を任せてしまうという道もあった。しかし、【彼は「俺がやる」となる】わけ。

    驚き顔

     性格的にものすごい野心家ということ…

    驚き顔

     俺がやりたい。おそらく、薄煕来が権力を握ったのも同じ理由です。彼と薄煕来は同じ。…

    驚き顔

     あの二人の本質は同じ。薄煕来も毛沢東崇拝です。あれが一番いいと思っていて、真似をしたかった

    驚き顔

     胡錦濤はどちらかというと、官僚的な印象もある人だったから、前の路線を安全運転で引き継いでいくというような感じだった…

     一方、習近平は、自分が鄧小平の築いた地盤の上でやっていけば、鄧小平も毛沢東も越えていけるんじゃないかと思っている

    驚き顔

     つまり、【中国がというより、俺が世界の覇者になりたい】と。胡錦濤は共産党という独裁政権の指導者に過ぎなかったけど、【習近平は本物の独裁者ということ】

    驚き 2

     経済が成長している中では、習近平も外に出て行くリスクというのは当然考えます。しかし、【経済自体がどうせ駄目になるのだったら、という考えにもなりかねない】。…

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     限定的な戦争状態というのは、経済面では必ずしも悪影響ばかりではありません…

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     日本では、「集団的自衛権の行使」を認めると戦争になるなどと、【甚(はなは)だ論理的ではないことを言って騒ぐ人たちがいる】けれども、【現実的に中国が戦争を起こす可能性については、考えようともしない】。まさか、行き詰まった経済への策として、尖閣あたりでちょっと、と考えるとは誰も夢にも思わないでしょう。

    石田純一

     戦争に入れば、国の経済も【軍事統制】できますし…軍事統制という状況になれば、国の崩壊を遅らせることができる。

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     市場経済というものを習近平がどう考えるか…日本のような国に生きていると分からないですが、【習近平のような独裁者にとってみれば、市場経済という化け物、つまり、自分にコントロールできないものは、とんでもないものと考えても不思議はない】

    習 ヒトラー

     おそらく、一番怖がっているでしょう。焦りを感じていらだっているのは株式市場についてです…習近平からすればあり得ない存在「俺の言うことを聞かない株式市場?なんだそれ?」という感じです…

    習近平

     俺様がこれだけ手を打っているのに暴落が止まらないとは何だ、と(笑)。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    本書では、中国からの様々な脅威が迫っているにもかかわらず、「リベラル(日本におけるリベラル)」による「中国認識」が、日本に広がっていることは実に由々しき事態だ、と指摘されています。

    そして、 それはこの国の政策と外交を誤らせて災いをもたらす可能性があり、あるいは、まさに誤った「中国認識」から発した戦前の「大アジア主義」が、結果的に日本を戦争と破滅への道へと導いたように、認識の誤りが国を滅ぼすこともあり得るだろう、危険性を危惧しています。

     このような危機意識から、日本の「リベラル」の「中国認識」に分析のメスを入れて、その病巣を突き止め徹底的な批判を加えようというのが本書の趣旨です。

    詳しくは、本書をご参照いただくとして、前回に続きまして、日本流リベラルについての説明をさせていただきます。

    日本流リベラルの撒き散らす数多くの法螺話に、すでに大多数の人々が気付きはじめていますね♥

    そんな役に立たない日本流リベラルと、世界のリベラルは、何が違うんでしょう?

    悩む女の子2

    前回までに流れをまとめると、私たちの日本の歴史とはまったく異質厳然たる身分制度があった中世ヨーロッパ社会以降、フランス革命を経てヨーロッパで個人自由獲得たった230年程前)し、ナポレオンの登場により国民国家が生まれ(たった200年程前)、ヘーゲルの進歩史観という近代史観(※人間の歴史は、原始時代にはじまり、古代、中世、近世、そして近代と向かうにつれ、しだいに個人主義が確立し、あるいは市民主義の時代を迎える。そうした発展の過程が歴史であり、近代が一番進んだ時代であるとする考え方。そして、そうした考え方からすれば、西洋近代がもっとも進んだ時代であり社会であるというわけです) が生まれました。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    それをさらに歪なものに発展させたのがマルクスでした。ユダヤ人であるマルクスは、市民革命が相次いだ時代にヨーロッパを転々として赤貧生活を送っていました。そして、わかりやすくいえば、「貧乏人は救われる」「虐げられている人たちに正義がある」「労働者は団結しろ」「既得権益者をやっつけろ」というようなことを説いていったんです♥まるで宗教のように

    このマルクス主義は、資本主義社会が社会主義社会へと移行する必然性を説いた思想体系で、労働者の団結を促し、やがてユダヤ人も共鳴していくこととなります。1848年、マルクスとエンゲルスは、『共産党宣言』を書きました。そこで語られている内容は、人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの階級闘争の歴史である、といったものでした。今から、たった170年程前のお話です。

    さて、ここで当時の世界を振り返ってみますと、当時の世界情勢は、イギリスとロシアという二大帝国が、覇権争いを繰り広げていた時代で、1840年の阿片戦争で理解できるように、すでに私たち日本のすぐ傍まで侵略していたんです♥マルクスの登場とほぼ同じ時代ですね♥私たちの日本は江戸時代の末期です。明治元年は1868年になります。

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    「 20世紀の前半は、日本にとって、世界の戦乱に巻き込まれた戦争の時代でした。

     しかしそれは日本にとって試練の時代でした。欧米列強の侵攻の影で、日本は唯一アジアの「近代国家」として対抗し、強い大きな位置を占めたことは、歴史の記すところとなります。

     この戦争の時代の発端は19世紀のイギリスとロシアの戦いでした。

     このことを述べなければならないのは、日本が大陸を侵略したという罪悪感を、戦後の歴史がいつも植えつけようとして、それを日清戦争から語りはじめるからです。これ以後の、日本の大陸での戦争を日本の責任のようにいう傾向を否定しておかなければなりません。

     この時代は、戦争の時代だったのです。イギリスが中国にアヘン戦争をしかけ香港を植民地にしました。それ以後イギリスは北へ向かってアジアでの侵攻を進めたのです。

     一方ロシアは南に不凍港を求めて侵略しようとしていたのです。1891年シベリア鉄道建設に着手したのも、その一環であったといえます。接している国は中国ばかりではなく朝鮮や日本だったのです。それに対抗するため、明治二十七(1894)年、日英通商条約を結んだといっていいでしょう。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    The Great Game



    そして、今からたった120年程前、私たちの日本は安全保障上の理由から朝鮮を清から独立させることを目的に日清戦争(1894年)で清に勝利しました♥

    しかし、その朝鮮が今度はロシアの属国になろうとしたため、もう一つの大国のイギリスと日英同盟(1902年)を結んだ上で、日露戦争(1904年)を戦いロシアに勝利しました♥今からたった110年程前のお話です♥

    で、その日露戦争の背後に、ユダヤ人の影があります♥

    「 日本の歴史教育のなかでは、ユダヤのことについてはほとんど教えられていません。…
     多くの日本人は、自分たちはユダヤとは縁がないと思っています。しかし日本の近代史を振り返ってみますと、その節目の重要なところではユダヤ系の資金がかかわっています。
     たとえば、幕末の日本で活躍した貿易商人・グラバーは、香港のジャーディン・マセソンという有名な財閥の代理店でした。ジャーディン・マセソンはユダヤ財閥のロスチャイルド系であり、グラバー商会はユダヤ勢力のフロント組織でした。そのフロント組織が坂本龍馬を支援し、薩長に武器などを販売していました。明治新政府設立には、グラバーの支援が大きくかかわっています。…
     もう一つ例をあげれば、日露戦争が挙げられます。日露戦争開戦に当たって、国際銀行クーン・ローブ商会の共同経営者であるヤコブ・シフが、日本の国債を購入して戦費を用立ててくれたことはよく知られています。
     日露戦争に勝利できたのは、シフのおかげだと我々は教えられてきました。シフにほ明治天皇から勲一等旭日大綬章が贈られています。このヤコブ・シフはユダヤ人で、彼が集めてくれた資金はユダヤ人の資金です。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    坂本竜馬とユダヤ人



    そして、今からたった100年程前の、1914年の第一次世界大戦、次いで1917年にロシア革命が起こります♥

    以下は、Wikipediaより抜粋。

    「 第一次世界大戦は、ヨーロッパの君主制の消滅をもたらし、旧世界秩序を決定的に破壊した。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、そしてロシア帝国の4つの帝国が分解した。ホーエンツォレルン家、ハプスブルク家、オスマン家、そしてロマノフ家の4つの王家は中世以来の権力を持っていたが、この戦中あるいは戦後に没落した。そしてこの戦争はボリシェヴィキがロシア革命を起こす契機となり、20世紀に社会主義が世界を席巻する契機となった。」

    ボリシェヴィキの党員集会 着席の人物は(左端から)、エヌキーゼ、カリーニン、ブハーリン、トムスキー、ラシェヴィッチ、カーメネフ、プレオブラジェンスキー、セレブリャコフ、レーニン、ルイコフ
    ボリシェヴィキの党員集会 着席の人物は(左端から)、エヌキーゼ、カリーニン、ブハーリン、トムスキー、ラシェヴィッチ、カーメネフ、プレオブラジェンスキー、セレブリャコフ、レーニン、ルイコフ

    そして、レーニンが登場し、史上初の社会主義国家 ソビエト社会主義共和国連邦が誕生します♥

    「 ボリシェヴィキ(большевики、bol'sheviki、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派
     1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴はそのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた

     ボリシェビキはAmerican International Corporationから財政支援を受けていた。AICは1915年、Frank A. Vanderlipを会長としてニューヨークに設立された。出資者はジョン・モルガン、ロックフェラー、ジェームズ・スティルマン。1917年の役員はPierre S. du Pont、Percy Avery Rockefeller、Albert H. Wiggin、Beekman Winthrop、そしてEmpire Trust CompanyのMatthew C. Brushであった。」


    レーニン

    米系ユダヤ人からの支援も受けて建国されたソビエト社会主義共和国連邦は、左翼ユダヤ人らの手による独裁国家でした♥

    「 スリーグノフ著『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~23)』(梶山伸一訳、社会評論社)という訳著がある。この書物の原著は1924年にベルリンで出版され、2006年にロシアで最新版が発行された。日本でも30年以上前から出版の話はあったがそのままに放っておかれ、平成22年になってやっと日の目を見た。いかに日本でも左翼論壇による規制が行われているかを見てとれる。
     この本は、ロシア革命後のスターリン以前から公然と虐殺が行われていたにもかかわらず、それ自身が暴力革命路線として秘匿され非難の的にならなかったことが語られている。

     「血まみれの統計」という章では、1918年の段階から毎年「革命裁判所」により銃殺された人々の記述がなされている。この著者は、それが赤色テロルとして共産党のもつ階級闘争というイデオロギーでなされたことを語っている。ナチの人種抹殺よりもはるかに主観的な階級抹殺を口実に人々が逮捕され処刑され暗殺されていたことを述べているのだ。それはレーニンの時代から行われていたが、意外にもその指導者の責任のことはこの書物では語られていない。つまり、これらの処刑は集団指導的に行われたのである。必ずしも誰かが責任を問われることのない体制のなかで行われていたことになる。この革命はある共通な集団によってとりしきられていた

     その集団とは左翼ユダヤ人グループである

     当時の新聞が発表したソ連の指導者の記事は、いかにユダヤ人が多かったことかを記している。…私はトロッキーやカーメネフユダヤ人であることは知っていたが、レーニンもメシユコフスキーもユダヤ人の血が流れていることは知らなかった。…そして指導者14人の名が並んでいるが、すべてユダヤ人であった。この調査によると、ソ連政府の各委員会におけるユダヤ人の数およびパーセンテージは、政府の中心の人民委員会総数23人のうち17人、77%がユダヤ人である。また、軍事委員会も76%外務委員会、財務委員会が80%司法委員会にいたっては95%であり、裁判がこの委員会の下で行われたとすると、ユダヤ人に処刑されたという印象が生まれたとしても不思議ではない。社会委員会、公の新聞記者の数にいたっては100%ユダヤ人である。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    共産主義「ユダヤ人」による大量虐殺は、ナチス以上に酷かった



    共産主義 ★

    で、ユダヤ人次に狙っていたのがドイツでした♥

    「 《 ユダヤ人ロシアの革命を準備し、之を仕組んだ、ユダヤ人は真の無産階級、萬国主義者で国家を持たない。トロッキーを吾々の師とし君として立てることはロシアの無産階級の義務であって又最も安全な途である。如何なる程度まで過激主義とユダヤ主義とが一致するかを示す手段のために、過激派は赤色の星を採用した。此の星はユダヤの徽章(きしょう)であって又シオンの徽章である。勇敢なユダヤ人は社会主義の前衛である。資本家は無産階級に頭を下げ、ユダヤ人の涙は血の汗となって、彼らの身体から流れるであろう 》
    (1919年4月12日『デル・コミュニスム』ロシア、ハリコフ市発行)。…

     状況証拠から考えると、ロシア革命の裏の姿ユダヤ人の革命運動であったということである。また、この革命に資金支援したのはユダヤ人のヤコブ・シッフであった(この人物は、日露戦争時に日本に資金援助をしたことで知られている)。

    ヒトラーが『我が闘争』で

    《 ユダヤ人はドイツ全国民の皮を剥ぎ、搾取しながら国民の怨をプロシャ人に向けて煽った。此の宣伝は戦線では判っていたが、後方には影響はなかった。…プロシャとバイエルンが互いに口汚く論争し合っている間に、ユダヤ人は革命を仕組み、プロシャとバイエルンと双方共に、骨抜きにしてしまった 》

    と書いている。事実、ロシア革命だけでなく、頓挫してしまったがドイツ革命をユダヤ人がねらっていた

     ドイツのヒトラー政権が行ったユダヤ人迫害に、このような歴史的伏線があったことはあまり日本には伝わっていない。アウシュビッツは反ユダヤ主義という人種差別の象徴であると語られてきただけである。しかし、こうしたソ連のユダヤ人で固められた共産党政権の残酷な弾圧虐殺に対する反動の意味合いを忘れるべきではない。このことを考えると、アウシュビッツを絶対的な悪の象徴として語るのはできないことになる。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    ユダヤ人はロシアで革命を起こし、ドイツ革命も狙っていたんです



    ヒトラー

    そういったユダヤ人の暴挙に対する反動が、ヒトラーとなって現出したわけです♥

    「 ヒトラーによれば、ユダヤ人は彼の好まないあらゆることに責任があった。前衛芸術、ポルノグラフィー、売春など。ユダヤ人は第一次世界大戦でドイツを敗北に導きドイツ最大の政党であるドイツ社会民主党を支配している。さらに、ドイツの主要な多くの企業、またドイツの新聞の一部をも経営している。ユダヤ人は共産主義に加担し、世界を乗っ取ろうとするたくらみに参加しているのだ。
     やはり反セム主義で、フォード自動車の創業者であるヘンリー・フォード同様、共産主義者の75%がユダヤ人であるとヒトラーは見積ったロシアでは共産主義者とユダヤ人の共謀が成功しており、ヨーロッパをも脅かすようになった。ロシアにおける共産主義革命はユダヤ人のコンプレックスの裏返しとして発生したとみなされた。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    ヒトラーが気付いたユダヤの秘密♥



    この頃から、ユダヤ人マルクス主義をさらに歪に発展させていきます♥

    以下は、Wikipediaより抜粋。

    「 フランクフルト学派(フランクフルトがくは、Frankfurter Schule)はルカーチ、グラムシの理論をベースにマルクス主義を進化させ、これにヘーゲルの弁証法とフロイトの精神分析理論の融合を試みた、批判理論によって啓蒙主義を批判する社会理論や哲学を研究したグループの他称。道具的理性という概念を提唱し、社会の近代化によって人間が自然(人間を含む)を支配し、搾取することを批判した。
     20世紀前半に主流であったソ連型社会主義、スターリニズムとは一定の距離を置いて新しい形のマルクス主義を模索、一部は後に新マルクス主義と呼ばれる潮流の源流となり、1960年代にはニューレフト運動にも影響を与えた。
     1930年代ドイツでナチスが政権を獲得するとメンバーの多くが亡命、やがて活動の中心がアメリカに移り第二次世界大戦時には米国政府機関で活動、ドイツと日本の戦時情報分析、戦後処理と占領政策の策定、憲法策定に関わった
     戦後は研究所関係者の多くがドイツに帰国、ホルクハイマーとアドルノがフランクフルト大学で社会研究所を再興し、再びドイツが活動の中心となったが、一部はアメリカに残って著作、研究活動を続けた。
     社会研究所発足から90年以上経った現在もこの学派は存在しており、ドイツを中心に第3世代~第4世代の学者たちが活動している。」


    ポイント

    上記のこの部分が非常に大事なポイントです♥

    『 メンバーの多くが亡命、やがて活動の中心がアメリカに移り、第二次世界大戦時には米国政府機関で活動、ドイツと日本の戦時情報分析戦後処理占領政策の策定憲法策定関わった 

    では、そのマルクス主義を歪に発展させたフランクフルト学派の理論とは、どういったものなのでしょうか?

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    それは、労働者を主体として展開されるマルクス主義に対して、新しく心理学を取り入れて、一見マルクス主義とは違う思想であるかのように装いより広範な市民・学生などを含む(→労働者に限らない)広範な階層を主体として展開したものでした♥

    「 フランクフルト社会研究所は、革命と学問の接点を模索するものであった。研究所の設立には、小麦相場で成功したユダヤ人実業家フェリックス・ヴァイルが資金を出した。…研究所はマルクス主義者カール・グリューンベルクによって1924年に開設(フランクフルト大学内)され、まず労働運動の歴史をテーマとして研究したが、1931年に研究所長としてホルクハイマーが就任すると、社会哲学の方向に向かい、文化全般、法、市民社会、国家、芸術、世界史の発展を視野に入れることになった。…

     研究所の基本方針はもはやマルクス主義ではなく、「批判理論」と名づけたことに示されるように、偽装したマルクス主義思想の展開にあった。ヴァルター・ベンヤミンがある論文で使った《現在の秩序に対抗して》という表現を《真に人間らしい秩序》という…表現に置き換え、「ファシズム」という表現の代わりに「全体主義国家」と言い換えた。さらに「共産主義」という概念を、ベンヤミン自身は「人類の建設的諸力」と言い換えることを望んだという。このように、内部の事情に通じた者にしか理解できない言葉の使用が、初期のころからはじまっていた。戦後の共産主義者が革命用語を使わなくなったし、現代でもかつての階級闘争を反構造などと呼ぶのと似ている。つまり「隠れマルクス主義」となったのである。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    「全体主義」とは左翼ファシズムのことなんです



    で、そんな「隠れマルクス主義」たちは、当然ですが、自分たちと繋がりのある、思想信条が似ているソ連での大量虐殺には決して触れません♥ あくまでも彼らの敵は、ナチですからw

    「 フランクフルト社会研究所左翼ユダヤ人思想のフランクフルト学派の拠点)の人々はことさらソ連の迫害を無視したのである。それもレーニン下の情報をことさら無視し、共産党政権の弾圧ウクライナ地方の飢饉について誰も語ろうとしなかったという。

    30年代初頭、ロシアからの亡命者でジャーナリストのフヨードル・ステブンは、当時

    《 ベルリンとフランクフルトの著名な知識人たちに、ロシアで何が起きているかをはっきり教えよう 》(ローレンツ・イェーガー『アドルノ 政治的伝記』)

    と試みたが、わかってもらえずに失望したと書いている。ステブンはそのような知識人の態度を見て、「左翼スノビズム( 知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋 )」と表現した。この状況について彼は、知識人たちのなかではヨーロッパ文化に対する感覚が後退してしまい、彼らはむしろユートピア世界への感情的、イデオロギー的な旅を求めているとしている。そのうえで、その傾向を助長するように、ドイツの文化はもう終わったと知識人はいっているとも語っている。これも戦後のある時期における日本知識人の、日本文化否定の風潮と似ているようだ。

     つまりこの時代、それだけソビエト・ロシアへの偏愛が強かったのである。左翼のインテリの家庭では、政治や哲学や芸術に関心をもっていれば、まずロシアに期待をもって話していたという。ロシア革命はそれだけインパクトがあったのだ。他の地域の革命がすべて失敗していただけに、ソ連のボルシェヴィズムが、彼らにとって大きな希望となっていた。異論を唱えても反共の議論はことごとく反論される雰囲気であったという。

     当時のソ連びいきは、日本においても戦後のある時期とよく似ている。平和運動家がソ連や中国の原爆はきれいで米国のそれは汚いということと似ている共産党の国の暴虐には眼をつぶっていたのと同じ心理である。拉致の暴露以前の北朝鮮に対する日本の報道もそうであった。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    左翼知識人は、ユダヤ共産主義の犯罪を許すんです



    お気づきでしょうか?現代の私たちの日本の左巻き連中が、メディアが、評論家や活動家らが、決して北朝鮮の拉致問題を徹底非難することなく決して支那の我が国領海侵犯あるいは少数民族虐殺を非難することなく・・・まったく、同じですね♥

    民主党

    「 具体的にいえば、その「反権力主義」思想で、「権力批判」ばかりをやってきた民主党が、政権についたら何もできなかったことでわかるような思想である。
     彼らの理論は、体制に否定的でさえあれ、能動的に動かす力がない
     保守層の国民も、感覚的にこのことがわかって、対処にかなり自信を持つようになってきた。その思想の胡散臭さがようやく体得できるようになり、嫌悪感を抱くようになったのである。
     その結果、平成24年末の選挙で、徹底的に左翼政党が敗北したことによって政界の彼らは壊滅状態になった。ところが、選挙のような明確な結果が出ない政界以外の学界、新聞、放送、出版界は、相変わらずこの思想を振りまいていて批判的な風潮を続けようとしている

     この思想の根源はマルクス主義だが、ロシア革命以後は労働者の革命が実現不可能だという認識から生まれたフランクフルト学派の考え方である。

     ほとんどが左翼ユダヤ人で、マルクス主義だけでなく、心理学のフロイト思想などを取り込んでいるために、一見は高尚な哲学に思えるので一部の知識人、学生たちは魅惑された。…戦前の日本でも…共産党の構造改革派と呼ばれた人々がこれを日本流に学んで戦後流布しようとした。戦後憲法はこの思想が強く反映している…」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    隠れマルクス主義の影響を強く受けた「日本国憲法」



    民主党 2

    では、そろそろ本題に戻りましょう♥

    役に立たない日本流リベラルと、世界のリベラルは、何が違うんでしょう

    パリの自由の女神像

    リベラル発祥の地であるフランスは、「政府からの自由」や「政府への自由」を主張していても、自国民が標的になるテロや、自国の国益が損なわれることに対しては明確に「NO」を突き付けて行動しています♥

    ところが、私たちの日本では、いわゆる革新主義が「リベラル」と呼称されている(自称しているw)んです。

    以下は、Wikipediaより抜粋。

    革新主義(かくしんしゅぎ)とはイデオロギー、主義の類型のひとつ。市場を信頼せず、計画経済や統制経済などの公的介入によって経済格差などの社会問題や社会的不平等を是正や、政治機構の改革などを主張する左派思想のこと。広義には、改革主義、急進主義共産主義社会主義、社会民主主義、進歩主義などを含む。」

    日本共産党

    つまり、ユダヤ人が作り出した「隠れマルクス主義」を忠実に実行しているのが、日本流リベラルなんです♥自国民の保護自国の安全保障自国の国益なんて、彼らには「どうでも良いこと」であり、彼らは私たちの日本に革命を起こし社会主義化しようといまだに考えている「阿呆」なんです♥それを変えようとしているのが安倍総理です♥

    安倍総理 笑顔

    「 「戦後レジームからの脱却」は安倍政権によって加速している。憲法はまだ改正されていないが、それに対する見方は変わってきている。憲法が発布されたとき、憲法に対する批判は禁じられていたことが知られるようになった。第21条に「検閲はこれをしてはならない」と憲法に書いてあることに気をとられて、その憲法自体への批判も可能であったかのように錯覚していた。しかし、憲法批判に対しては絶対的検閲がほどこされていたのである。

     まるで、この憲法に対して批判もなく、国民がこぞってこの憲法を支持したかのように思わされてきた。新聞、ラジオ、その他の報道機関が、みな自主的に憲法を支持したかのように思わせられたのである。
     憲法発布の時期に言論弾圧されていたのを知らず子供を「憲一」と名づけた親も多かった

     日本人はこうした言論操作にあまりにも無防備であった。…現行憲法の内容も「民主主義」憲法ではなく「社会主義」憲法であることも批判されないように統制されていた。アメリカでさえなかった権利を、22歳の左翼ユダヤ人女子学生が、日本国憲法の女性の権利の条項を書いていたのである。
     その成立過程からも、それをつくり出した左翼ユダヤ人・ケーディスら民政局の動向からも、これが社会主義憲法であることは明らかである。

     それを「民主主義」といったのは、二段階革命路線の一段階目であったからである。あたかも、単に市民憲法であり、社会主義ではないかのように見せていた
     アメリカ政府が内部の左翼性に気づいたのは、2年後に民政局左翼の連中を追い出した時点であった。だが、それまでに五大改革がすべて実行され、日本人の分裂とモラルを壊す東京裁判も続けられた。すべてあとの祭りであった。OSSからCIAに変わったときには、すでに「OSS空間」がつくられていたのである。

     問題は占領軍の弾圧体制が解かれた後も、その体制を日本人が自ら維持してしまったことである。…憲法制定だけでなく、財閥解体、農地解放、神道指令、公職追放、教育改革は、「民主化」以上に第一段階の「革命」をめざしていた。…利得者であった左翼は、徹底的にそれを利用した。マスコミだけでなく、教育機関の左翼化が、日教組大学教員官僚に浸透し、その方向で動いたのは周知のとおりである。
     私はこのことを、日本の左翼化ではなく、「OSS空間化」と呼ぶことにする。つまり、OSSの「日本計画」がGHQの下で日本を階級分裂させ軍部批判を起こし社会主義化させようとした最初の計画だったからである。
     OSSは共産党の野坂参三に政権をとらせようと画策した。一方で、中国で毛沢東を政権につかせることに成功した。一般にアメリカは蒋介石を支持したといわれているが、実はそうではない。この二人が、同じ延安にいたことは不思議な符合であった。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    22歳の左翼ユダヤ人女子学生がつくったもの



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    中国共産党幹部時代の野坂参三
    野坂 参三(のさか さんぞう、1892年(明治25年)3月30日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の政治家、日本共産党議長、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記を務め、名誉議長となる。衆議院議員(3期)・参議院議員(4期)。初名は小野参弎(おの さんぞう)。中国では岡野進と称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。

    「 戦後日本「反権力主義」「反権威主義」思想で翻弄されてきた。こうした思想がいかにも現代的であると考える政治界マスコミ学界教育界の人々が、国を混乱させてきたのである。
     
     つまり「戦後レジーム」思想の正体がこれだったといってよい。それが共産主義、社会主義といった共産党や社会党の主張が、ソ連・中国を見て実現不可能と思えた矢先、それと異なったただリベラルな考えと思われてきた。フランス語でいうContestation permanante(永久申し立て)という態度を取り続けることである。
     
     それは革命思想と異なる人々に心理学的な変革をめざす思想であることを、日本人は理解できなかった。もともとはナチを二度と立ち上がらせないために左翼ユダヤ人がつくり出した思想だったが、あたかも普遍的なリベラル思想に見えた。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    21世紀は「伝統回帰の時代」。。。リベラルの終焉



    御理解いただけましたでしょうか?

    敗戦後の私たち日本に蔓延っている様々な問題の元凶は、占領下において仕掛けられたユダヤ人が生み出した歪な思想にあります。

    そして、ようやく私たち日本だけではなく世界が気付きはじめました

    「 OSSを牛耳っていたフランクフルト学派は、戦後2年ほどの冷戦のなかでマッカーシズムによって表面的には追い出されるが、アメリカ民主党政権や国連に入り込んだ。そしてアメリカの言論界経済界のリベラル化につとめた。メディアを握り、反権威主義を煽り、文化の多様化主義からグローバリズムまで提唱した。ネオコンにも入り込んだ。いずれも左翼ユダヤ人らしい少数派がいかに多数派の顔をするかという謀略戦を行ってきたのである。

     彼らは初の黒人大統領オバマを誕生させたが、彼らの大きな問題はイスラエルであった。大資金を必要とする国家イスラエルに資金を供給するために、どうしてもイスラエル派の立場に立つアメリカ政権をつくる必要性があった。ロムニー候補はその役割を負ったが、それに対してアメリカ左翼ユダヤ人は冷ややかだった。だからユダヤ人たちは分裂せざるをえなかった

     戦後、資金を必要としたイスラエルは、ユダヤ人がウォール街を握ることによって維持されてきたといってよい。しかし、ペンタゴンを中心とするアメリカのワスプ(WASP 白人・アングロサクソン・プロテスタント)は、ユダヤ人たちの棟梁を許さない段階にきたと考えた。

     戦後、ユダヤ勢力によってつくられた国際金融の変動が、リーマン・ショック以後はさすがにひどすぎると思いはじめたからである。オバマの脱イスラエル路線ははじまっている。クリントン国務長官の辞任は、その表れといってよい。

     戦後の資本主義国家のなかにあって、フランクフルト学派的な社会主義イデオロギーの影響、つまり権力否定国家否定伝統否定の批判理論が流布された。この宣伝が人々の精神を荒廃させたのである。学界もジャーナリズムも政界もそれに染まったそれが彼らの狙いだったから、成功したことになる。しかし、失敗もあった。彼らのその行く末に革命を夢見たのだが、それは実現不可能だったからである。人心荒廃によって到達するのは、革命ではなく伝統回帰歴史の掘り起こしという逆方向なのだ。今、いたるところで伝統文化の復活が叫ばれはじめている

     20世紀の共産主義、社会主義、民主主義次々と死語化していくなかで、日本でも左翼の最後の砦はリベラリズムとなっている。ところが、このリベラリズムもまた左翼ユダヤ人の思想である。

     国家や権力に媚びない自由な見解を持つことが、あたかもリベラリズムの主旨のように見えるが、それは逆に、国家や権力を持てないアメリカの少数派ユダヤ人の自己防衛の見解でもあったことを見抜かなければならない。…リベラリズムを支持する日本の知識人は多いが、この思想のからくりを知れば、…恥じ入ることであろう

     あるアメリカ人はいっている。リベラリズムそれ自身がユダヤ主義を超える実用上の目的と化し自分たちの権利を守る宗教となった。…

     戦後、ユダヤ人たちはイスラエルの建国をはじめた。…彼らはそのまま60年以上パレスチナ地域の占領を続けている。このイスラエル建国を支えているのはユダヤ人のナショナリズム以外の何ものでもない。2000年前のイスラエル建国を理由に、この占領を肯定するなどというのは一方的なナショナリズムではないか。リベラリストのアメリカ・ユダヤ人が、イスラエルを支持するとすれば、イスラエルのナショナリストとなり、矛盾せざるをえない。

     現在、世界のユダヤ人たちが分裂しているのはそれゆえである。メディアはその分裂を決して伝えない。メディアを握っている彼らは、自分たちの混乱をわざわざ伝えたがらないからである。しかし、その矛盾は誰の目にも明らかである

     左翼ユダヤ人が導いた「20世紀」は終わった。マルクスからサルトル、そして現在のフランクフルト学派の流れを継ぐユダヤ人たちの思想は、彼らがイスラエルを守ることで、同じようなナショナルな見解に戻らざるをえない時点で終わったのである。これ以上、社会主義だけでなくリベラリズムも成り立たないそれぞれの国民族の伝統に回帰することによって相互で自由な対話を行っていく時代になったのだそれが世界の常識となる時代がきたのである。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    分裂を始めたユダヤ人たち



    長くなりましたね♥(ゴメンナサイ!)

    私たちの日本も、いよいよですね♥


    続きは次回に♥




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    Category: 日中関係
    Published on: Thu,  17 2015 00:00
    • Comment: 2
    • Trackback: 0

    2 Comments

    奈良の人  

    はじめまして

    とてもわかりやすく、勉強になりました。今後ともよろしくお願いします。リベラルの胡散臭さは日本人にはなんとなく感じていたと思います。声に出すことが苦手な人が多いからでしょうか?今やっと少しずつですが声にだせるようになってきたと思います。一般人の三割が声に出すことができるといいのですが、まだまだです。日々勉強したいと思いました。

    2015/12/18 (Fri) 10:42 | REPLY |   

    みっちゃん  

    Re: はじめまして

    ご訪問ありがとうございます♥
    また、こちらこそ宜しくお願い致します♥
    多くの人が声に出さなかったのは、仰るとおり日本人特有の性質にもよると思います。学校の授業や会社での会議の場で、なかなか発言しないこと、主張しないことに見られる現象ですね♥
    また、これは個人的に思っていることですけれど、日本は平和だった(正確には、そう思い込んでいた)から、取り立てて騒がなくても、まあいいや、みたいな感じの方々も多いと思います。普通の人は、やっぱり仕事で忙殺されていたり、試験勉強でそれどころじゃないっていうことでしょうね♥
    でも、支那や朝鮮が、ここにきて反日や日本への侵略行為を派手にやってくれたおかげで、目を覚まされた、危機感を持った方々が急速に増えてきていますね♥そして、声を出すようになってきた。そのように考えています♥まだまだ頑張ってやりきらないといけませんね^^これからも宜しくお願い致します♥

    2015/12/18 (Fri) 17:03 | REPLY |   

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