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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

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     >  日中関係 >  何が言いたいのかさっぱり分からない朝日新聞 ~ ヨーロッパの保守と日本の保守の違い

    何が言いたいのかさっぱり分からない朝日新聞 ~ ヨーロッパの保守と日本の保守の違い

    マグナカルタ
    マグナ・カルタまたは大憲章(だいけんしょう)(羅: Magna Carta、羅: Magna Carta Libertatum、英: the Great Charter of the Liberties of England、直訳では「イングランドの自由の大憲章」)は、イングランド王国においてジョン王により制定された憲章であり、イングランド国王の権限の制限をその内容とする

     マグナ・カルタはラニーミードにおいて1215年6月15日に制定。ジョン王のマグナ・カルタは教皇イノケンティウス3世の勅令により無効とされたが、その後1225年に作られたヘンリー3世のマグナ・カルタの一部が現行法として残っており現在でもイギリスにおいて憲法を構成する法典の一つである

     ジョン王がフランス王フィリップ2世との戦いに敗れてフランス内の領地を失ったにもかかわらず新たに戦を仕掛けて再び敗戦したために、1215年5月5日に貴族の怒りが爆発した。貴族側はジョン王の廃位を求めて結託し、ロンドン市が同調する事態になるとほとんどの貴族と国民は反ジョンでまとまってしまった。当時はこのように臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなくその後新たな王が立てられるのが通常であったが、このときはジョン王は、王の権限を制限する文書に国王が承諾を与えることで事態の収拾を図ったことで制定された王といえどコモン・ローの下にあり古来からの慣習を尊重する義務があり権限を制限されることが文書で確認されたという意味が大きい。王の実体的権力を契約、法で縛り、権力の行使はデュー・プロセス・オブ・ローによることを要するといった点は現代に続く「法の支配」、保守主義、自由主義の原型となった。





    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 日本から見ていても、【今、中国の体制に異変が起きていることは間違いない】とは感じます。

    ポイント

    それは例の「抗日戦争勝利70年」と称して行った【軍事パレードでの習近平の表情】を見ても感じました。よほど体調が悪いの?というぐらいの曇った表情。

    習近平 パレード1

     あれを見て一瞬、影武者かと思った。…

    習近平 パレード3

     心ここにあらずで、習近平の精神状態が安定しているとは思えない。視点は定まらず、何かショックを受けた後のような放心状態、あるいは何か無理しているようにも見えました。あれで習近平の晴れ舞台とは、とうてい言えない。…

    習近平 パレード2

     【日本人は、中国を見るポイントを間違っている】し、【本質というか、一番大事なところを見ないようにしています】ね。

    ポイント

     それは例の中国の軍事パレードを報じたテレビ等のメディアも同じですね。軍事パレードですから、さすがに中国の軍拡については報じるものの、その他は、北京の空がどうだとか市民は家から出られないとかそんなディテールばかり。パレードを含む諸事が日本にどのように影響するのか、何が問題なのかという点をはっきりさせませんね。…

    報道ステーション

     日本の安全保障はあくまでも日米同盟があって成り立っているということです。ここを考えなければいけない。…

     軍事パレードで中国が並べ立てたミサイルは、【日本にとっての脅威】です。仮に日本に直接、飛んで来ないとしても、十分に日本を「狙っている」日本の軍事評論家やメディアはそこが分からないのか分からないふりをしているのか。…

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     昔から、これは戦前からという意味ですが、【日本人は中国について、肝心なところを見ないようにしてきた】んですね。細々と情報を集め、あれこれ分析らしきことはする。中国とはいかなる存在か、については、ああだこうだ言うが、では、その中国にどう向き合うかをはっきりさせられない

     これは、戦前から続く日本の伝統的な中国認識のありようだと思います。【中国の真意を読もうとせず、彼らが仕掛けてくる心理戦、宣伝戦に易々(やすやす)と乗ってしまって、何べんでも騙される】。…

     ほとんどの日本人はピンと来ないどころか、このミサイルは、いったいどれくらいの破壊力があるかどのくらい飛ぶのかそういうディテールをひたすら細かく見るほうに走る心理戦にはめっぽう弱いというか、そもそも心理戦であることに気づきもしない。…

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     あの軍事パレードはすべて日本に対する威嚇、軍事的な恫喝です。…

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     しかし、例えば【朝日新聞】を読むと、〈「戦勝・中国」硬軟の演出〉〈パレード、軍事力誇示/兵力30万人削減表明 70年式典〉という見出しが立っていました。…

    朝日新聞

     同じ日の朝日の社説もすごい。

    〈 習氏は、日米からの慎重論を押し切る形で訪中した朴氏を手厚く迎え、蜜月ぶりを強調した。韓国には繰り返し、歴史問題で連携して日本に対処しようと呼びかけてきた経緯もある。
    だが、天安門広場での軍事パレードでは、米本土を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルや最新の大型無人機が初めて披露された。今回の式典には共産党政権の正統性を訴えるために抗日戦争での功績を強調するとともに軍事力を誇示する狙いが込められているようだ。
    韓国は、そんな中国にのみ込まれることを警戒し、今のところ「歴史共闘」には慎重だ。しかし、今後も同じ間合いが保たれる保証はない。そのためにも日本は歴史問題で中韓それぞれと和解を進めねばならない。〉


    朝日新聞

     何が言いたいのかさっぱり分からない。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    本書では、中国からの様々な脅威が迫っているにもかかわらず、「リベラル(日本におけるリベラル)」による「中国認識」が、日本に広がっていることは実に由々しき事態だ、と指摘されています。

    そして、 それはこの国の政策と外交を誤らせて災いをもたらす可能性があり、あるいは、まさに誤った「中国認識」から発した戦前の「大アジア主義」が、結果的に日本を戦争と破滅への道へと導いたように、認識の誤りが国を滅ぼすこともあり得るだろう、危険性を危惧しています。

     このような危機意識から、日本の「リベラル」の「中国認識」に分析のメスを入れて、その病巣を突き止め徹底的な批判を加えようというのが本書の趣旨です。

    詳しくは、本書をご参照いただくとして、前回に続きまして、日本流リベラルについての説明をさせていただきます。

    日本流リベラルの撒き散らす数多くの法螺話に、すでに大多数の人々が気付きはじめていますね♥

    そんな役に立たない日本流リベラルと、世界のリベラルは、何が違うんでしょう?

    悩む女の子2

    前回では、私たちの日本とはまったく違う中世ヨーロッパの社会制度フューダリズム(Feudalism)。その社会制度が行き詰まり、被支配民いわゆる「市民」が不満を爆発させ、暴動を起こし、略奪や殺戮を行い、国王を惨殺する、そして国王が持っていた財産をめぐり、今度は仲間内で殺し合った、それが市民革命、「フランス革命」で、このフランス革命が、リベラルの原点だっていう基本のおさらいでした♥

    今から、たったの230年ほど前のことです。ヨーロッパで個人が自由を獲得した最初です。

    『民衆を導く自由の女神』(1830年、ウジェーヌ・ドラクロワ画)
    『民衆を導く自由の女神』(1830年、ウジェーヌ・ドラクロワ画)

    ここで、ヨーロッパの保守思想についても確認しておきましょう♥

    ヨーロッパの保守思想は、勝手なことばかりする王様の権限を制限するところにあります。ヨーロッパの保守主義の原点が、冒頭でご紹介している「マグナ・カルタ」です♥

    実はリベラルだけではなく、日本流の保守も、このヨーロッパの保守主義とは、まったく異質のものなんです♥

    どう違うのでしょうか?

    悩む女の子2

    冒頭に記載しておりますように、ヨーロッパの王様は、臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなく、その後新たな王が立てられるのが通常でした。つまり、「正義」が判断の基準にあることが理解できます♥

    で、私たちの日本はどうでしょう?私たちの日本では天皇家の在り方が、まったく異なっていますね♥


    「 ヨーロッパにおいて王朝がずっと何をやってきたか、いろいろと傍若無人で横暴なことをやってきた。それに対して貴族階級が、「ちょっと王様、いい加減にしなさいよ」とたしなめ、文句をつける。マグナ・カルタ以来そういう形で王権、君主権を制限していく。君主権を制限するのが近代社会の在り方だという、これが基本としてあります。
     ところがそれを、社会契約説に立つ思想家たちが純化したら、行き着く先は革命の肯定になっちゃった。そこで保守側としては、革命ではなくて、あくまで君権の制限にとどめて、王様に古来の約束を守らせる原点を守ろうとした。大雑把に言って、ヨーロッパの保守思想はそういう構造を持っている…
     
     では日本はどうか。日本においては天皇家の在り方がヨーロッパとは根が違うのです。…もうまったく違います…
     ヨーロッパは皇帝。だから天皇をエンペラーと訳しているのはまったくの間違いです。ツアーリ、キング。これも同じで、向こうは最高軍事司令官が国家のお祀りをする。
     ツアーリという場合、国教、つまりロシア正教だけれども、この神の御稜威(みいつ)の下に統治するということで、神と一体のような支配をするわけです。今のロシアも、見ているとプーチンは必ずロシア正教の総主教を呼んで儀式をやっていますね。イギリスも、キリスト教がいつの間にやらイギリス国教会になっている。中国は神がいないけれど、今でも中国の皇帝様というのは天から降りてきた、つまり天子です。だから基本的にいい政治をするに決まっている。そのいい政治をする天子が間違ったことをするから、みんなでやっつけて天子様を交代させると、こういう発想ですね。

     ところが、日本は全然そうじゃない。連綿と続いている存在。しかも軍事最高指揮官などというのは神武東征以来、後醍醐天皇は多少やったにしても、そもそも軍事力を自分では持っていなかった(笑)。だから軍事最高指揮官ではない。

     われわれは日本の君主伝統をヨーロッパ由来の政治学で処理しようとしますが、ヨーロッパの君主制とはあまりにも違う。ここをもっと徹底して違うんだとはっきりさせるところから組み立て直さないと、日本の保守というものは見えてこないと思う。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    エンペラーでも、キングでもありません



    結論を言いますと、私たちの日本では、「正義」が判断の基準ではなく「正統」が判断の基準にあるんです♥

    「正義」が判断の基準であるヨーロッパの場合、いとも簡単に、王朝はひっくり返りますが、「正統」が判断の基準にある私たちの日本では、あり得ない話です。

    「 ヨーロッパの場合、正義を主張しながら革命を起こしている。一度それを起こしてしまえば、後はもう血で血を洗う争いが永久に可能になるわけです。「正義が勝ったのだ」という宣言に対しては、別の正義が「いや、今度は俺たちが勝った。俺たちが正義だ」と言ってひっくり返すことができる。だから親房は正義という変転しやすいものではなく、正統の保持こそが国の大本だと考えた。…
     つまり、正義やいろいろな価値判断からは批判されるべきものであっても、正統だということがまさに「大日本(おおやまと)は神国(かみのくに)なり」の意味なんだと。…親房が、戦乱と失意の中で日本の国体を発見するという、とても深い経験だったと考えていい」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    正義ではなく正統です



    そして、そんな私たち日本人は正統の保持に命懸けになれるんです♥

    「 死を伴う行動に日本人はものすごく感動する。そこへいくと、フランスの騎士にせよ、ヨーロッパの騎士道にせよ、あまり感動しません…フランス騎士道とかいうのは、武士道から見ると、胡散臭いところがある。…死なないんです。そう、死なない。
     これはゲルマンもそうで…アーサー王でも、ロビン・フッドでも、あるいはワーグナーが盛んに使った北欧神話でも、基本は死なない…

     だから特攻はないのです。もちろん殉死もない。考えてみたら日本には玉砕戦はたくさんありますが、世界史を見渡すと、玉砕というのはアケメネス朝ペルシアの侵攻に散ったスパルタ、ユダヤ人がローマ帝国に抵抗して立て籠もったマサダと、1836年のアメリカのアラモ、この三つぐらいしかありません。ヨーロッパでは傭兵が多いから、敗色濃厚となればすぐに白旗を揚げて降参します。

     死を懸けた行動に対して日本人は非常に感動する。それが西郷さんや吉田松陰がこれほど尊敬され、のちの歴史からも評価された理由で、ここには欧米流のコンサーバティブと日本の保守との原理的な違いがある
     さらに言うと、その死という問題と、皇室伝統がおそらく非常に深く絡んでいるのではないか。われわれ日本人がいざという時の死を賭す対象は、やはり天皇になります。これこそ日本の一番深い政治思想なのではないでしょうか。」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    ヨーロッパ騎士道の胡散臭いところ



    で、ここが非常に大切なんですけれども、命懸けになるのは天皇御自身もまったく同じだということなんです♥

    「 明治になっておかしな思想が入ってきますが、…特に戦後は、天皇や死というものとかけ離れた、ひたすら長生きしよう、生命は地球より重いという風潮が広がりました。これはもう戦前の価値観の倒錯です。それが今の日本を引っ張っています。

     皇室とわれわれ臣民の関係を考えたとき、思い浮かぶのは『日本書紀』に出てくる山背大兄王(やましろのおおえのおう)の最後です。聖徳太子の長子です…

     もちろんそれ以前にも仁徳天皇をはじめさまざまな【仁政の伝統】があるわけですが、山背大兄王の最後は中でも印象的です。聖徳太子が亡くなり、山背大兄王が蘇我入鹿(そがのいるか)に攻められる。その時に、周囲からは、「戦え。戦えばみんなついてくる」と言われたけれども、大兄王はそれを断るのです。自分が入鹿と戦えば確かに勝てるかもしれない。しかし大勢の民を巻き添えに殺すことになる。民草を犠牲にしないために自分はここで潔く死を受け入れる、と言って従容と死に就いた。これはシナやヨーロッパではほとんどあり得ないような話…

     外国人には理解できない…

     上にいる立場の者が保身ではなくて、本当に身を投げ出すというのは向こうでは考えられない。

     民もいざとなれば命を投げ出すが、そもそも君こそが最後は命を投げ出すという黙契、これをわれわれは信じられるかというに、驚くべきことに信じられるわけです。昭和天皇が命を投げ出されるとか、天皇陛下、皇后陛下が命を投げ出されるということを実に自然に感じられる。ルイ14世やリチャード何世だかが自分たちのために身を投げ出してくれるとは誰も信じないし、期待もしていない。これを同じ君主制だと思って議論を組み立ててしまうから話が見えなくなる…」


    詳しくは、こちらをご参照♥

    シナやヨーロッパでは、ほとんどあり得ないような話



    お分かりいただけましたでしょうか?

    中世以来のヨーロッパ社会では、厳然たる身分制度があって、絶対的な権力を持つ王様が存在し、その王様に勝手なことをさせないようにと教会や諸侯、貴族といった保守層が生じ、さらに被支配民の農奴、いわゆる「市民」がリベラルとして革命を起こす、これがヨーロッパの歴史の一連の流れです。

    私たちの日本の歴史とはまったく異質のものですね♥

    本日は、これまでです♥


    続きは次回に♥




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