アンペラの意味 ~ Amant Pen deritaan Rakyat

    モナス塔
    モナス (モナス塔 インドネシア語: Tugu Monas トゥグ・モナス)は、インドネシアの首都ジャカルタの中央ジャカルタ地区にある公園「ムルデカ広場」の中心部にある国家独立記念塔の名称である。

    モナスとは「Monumen Nasional (英語でNational Monument)」を略した造語である。 エレベーターが設置され、最上部は展望台になっており、ジャカルタ市内を見渡すことが出来る。また底部は歴史博物館になっている。

    モナス塔のデザインにはインドネシア独立記念日(1945年8月17日)にまつわる数字がかくされている。つまり、塔の台座となる基部は45メートルx45メートル、地面からの高さは17メートル。モナスの地下にある歴史博物館(Museum Sejarah Nasional)は壁と床が大理石で出来ている。広さは80メートルx80メートル、天井の高さは8メートル。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれている。

    歴史博物館
    歴史博物館






    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 蘭領東インドといわれたその400年について西尾幹二『GHQ焚書図書開封Ⅱ』にファン・デン・ボッシュ総督の強制栽培が引用されている。

    Johannes van den Bosch
    Johannes van den Bosch



    オランダ領東インドの領域
    オランダ領東インドの領域

     オランダ田んぼを潰して輸出作物のコーヒーやサトウキビを植えさせた。ために【飢饉で村々の人口が3分の1になった】と。

    驚き顔



    「レムレフ文書」というのがある。スマトラの人道問題の報告書で、オランダ人農園主が粗相をした

    「女中を裸にして鞭打ち、傷口と陰部に辛子をなすり込んだ」

    とか、臨月の女奴隷の腹を蹴り

    「流産した赤ん坊の頭は凹んで左目はなくなっていた」

    とか。

    驚き顔
     
     彼らはそんな地獄から解放された。

    寺内寿一
    寺内寿一

    スカルノ
    スカルノ

     ダラトで寺内寿一との会見から戻った【スカルノは昭和20年8月17日、インドネシアの独立を宣言】した。独立宣言の日付をオランダ人が使う【西暦ではなく日本の皇紀2605年に因んだ「05年8月17日」とした】のも、そうした背景を踏まえてのことと説明されている。

    署名入りのインドネシア独立宣言書。インドネシアの10万ルピア紙幣の図柄になっている。
    署名入りのインドネシア独立宣言書。インドネシアの10万ルピア紙幣の図柄になっている。

    10万ルピア札:独立宣言部分の拡大イメージ
    10万ルピア札:独立宣言部分の拡大イメージ

     ところが今回パレンバンを訪ねて、【そこに「日本」や「空から神の兵」を偲ぶものが何も残されていない】のに驚いた。

    「空の神兵」こと帝国陸軍落下傘部隊(挺進部隊)
    「空の神兵」こと帝国陸軍落下傘部隊(挺進部隊)

     そのほかの、例えば今はプルタミラと名と所有者を変えた石油基地の社宅や飛行場のトーチカや落下傘部隊が難渋した湿地、さらにムシ川の河口のオランダ領時代からの要塞はほぼ昔のままのたたずまいで残っている【しかし「日本」は何も残っていなかった】

    パレンバン精油所
    パレンバン精油所

     いや一つだけあった。飛行場と石油基地を結ぶムシ川にかかる【アンペラ鉄橋は「日本がつくった」】という。もの凄く大きい。中央部は通過するタンカーを通せるようにリフトで上下できる仕組みにもなっている。

    アンペラ橋 2
    画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ パレンバンのアンペラ橋ライトアップを動画で紹介してみる

     その橋がなぜ建てられたのか【「アンペラ」という橋の名の意味】は何かを尋ねたが、不思議なことに地元の人々はそれを語ろうとしなかった

    悩む女の子2

    彼らの言葉であるはずの「アンペラ」も「ギフトくらいの意味」で逃げる。こちらが本気で怒ると、渋々通訳が答えた。【アンペラは「Amant Pen deritaan Rakyat」の頭文字「AM」「PE」「RA」をつなげたもので、その訳は「(収奪などで)虐げられた人々への償い」】という。

    驚き顔

     意味が分からない誰が虐げたのか。通訳は

    「日本軍が戦争中インドネシア国民を虐待し、資源を収奪したことを詫びて償いにこの橋をつくった」

    と渋々説明した。

    驚き顔

     いったい何をどうすればこんな話になるのか。…

     この通訳によれば問題のアンペラ橋が完成した1964年には日本の大使や政府代表も来たという。当然、橋に刻まれた「アンペラ」の意味も知らされたはずだ日本がカネを出してこんな中傷をされて、それでも抗議もしなかったということだろうか

    驚き顔

     通訳はこうも付け加えた。

    「日本がオランダより悪いことをしたというのはこの国では常識です」。

    もし疑うなら

    「ジャカルタの独立記念塔を見ればいい」。

    驚き顔

     この塔例の【皇紀2605年に因んだ独立宣言を出したスカルノがジャカルタの中央部に建てた】ものだ。

    モナス塔
    モナス塔

     はその独立宣言の数字にこだわったという説明で、例えば【天井の高さは「8月」にちなんで8メートル】に、といった具合だ。

    10万ルピア札:独立宣言部分の拡大イメージ
    10万ルピア札:独立宣言部分の拡大イメージ

     ところが【皇紀に因む「05」がない】

    驚き顔

    その代わり【塔の台座の部分が「長さ45メートルになっている」】つまり皇紀2605年は西暦1945年に変換され、「05」の代わりに「45」が登場していた【スカルノ自身がそうした】のだ。

    驚き顔

     独立記念塔の地下ホールにはインドネシアの歴史をジオラマで展示していた。

    歴史博物館
    歴史博物館

    オランダがここを植民地にした17世紀からの展示には、【どこにもオランダの強制栽培も残忍なオランダ人農園主も出てこない】

    驚き顔

     そして日本軍が来るその説明文が凄い

    「オランダ軍が降伏すると、日本軍はインドネシアの資源や労働力を搾取した」。

    驚き顔

     次のコーナーは日本の降伏。

     史実は単純だ。日本が負けた後、【オランダは戦前同様にインドネシアの植民地領有を主張】する。ところがあの温順な現地民に抵抗する動きがある。その中心に【日本が指導して立ち上げた彼らの軍隊「ペタ」】があった

     で、【オランダは降伏した日本軍に再武装させペタを潰せと命じた】明らかな国際法違反だが、そんなことを白人は気にしない。日本が潰れた今、誰が文句をいうか。

    驚き顔

     一方、ペタオランダ支配はまっぴらだ。日本軍から銃を奪って帰ってくる宗主国をやっつけると心を決めていた。

     彼らもまた【自分たちのエゴで動き、自分たちのためになるなら恩義など糞喰らえと日本軍も襲った】日本はインドネシアのパレンバン、メナドを含め840人が戦死した。そして【敗戦後、日本が育てたペタによってそれを上回る1200人余が殺された】

    驚き顔

     【日本軍兵士はそれでも彼らとの友情を信じ2000人が帰ってきた宗主国オランダとの戦いに協力して、その半分が死んだ】

    靖国

     この抵抗は4年に及び、最後は米国オランダに戦後復興支援を打ち切ると脅して植民地支配の放棄を促し、インドネシアの独立を認めさせた

     不承不承の【オランダは植民地支配の償いは一切なし、逆にパレンバンの石油精製所やその他の植民地時代に残した社会資本の代償として60億ドルを要求し、スカルノはそれにサインした】

    驚き顔

     これが大まかな史実だが、独立記念塔のジオラマの戦後はまずスカルノの独立宣言の場面から始まる

     そして次に来るのが帰ってきたオランダとの戦いではなく、スマトラ北部のアチェで【降伏した日本軍を襲撃して全員を虐殺した場面】になる。その次は【バンドンの憲兵本部襲撃、中部マランの日本軍飛行場の襲撃場面が並ぶ】

    驚き顔

     まるで悪い日本軍を倒してインドネシアは独立したのだと主張しているように見えるアンペラ橋の文句と全く同じなのだ。もちろん【オランダが要求した植民地放棄料60億ドルの話は一語も言及されていない】

    驚き顔

    アンペラ橋
    アンペラ橋

     その一方で、【スカルノは日本に戦時賠償を要求し、1958年藤山外相とスパンドリオが総額6億3000万ドルの賠償プラス経済借款で合意、調印している】

    驚き顔

    ちなみに…【アンペラ橋はその戦時賠償の一環になる】

    驚き顔

     彼らは弱い存在だ。独立した今でも旧宗主国オランダに文句も言えない。それはもっと酷い目に遭ったインドいまだに英国に尻尾を振っているのを見ても分かる。【独立記念館に事実を書いたら、つまりオランダの植民地政策を書いたら、白人国家から総スカンを食う】現に東ティモールだって簡単に奪われている

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    画像はこちらからお借りいたしました♥ ⇒ インドのモディ首相が訪英、1.7兆円規模の商談成立へ

     パレンバンを旅して知ったのは逆説的だが、日本人が強いということだ。

     こうして誰はばかることもなく日本の真実を書きしょうもない白人の非道をはっきり指摘することもできる【それができるのは世界にあって日本人だけなのだ】。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    植民地の人々に対してキリスト教白人がやってきたことはあまりにも非道であったことがご理解いただけましたでしょうか?

    もちろん、オランダだけではありませんでした。

    東アジアにやってきたキリスト教白人たち、その目的は、二つありました♥ 

    一つはキリスト教の布教、二つ目が交易による利益です。

    「 天文十二(1543)年、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着しました。西洋人が日本にやってきたのです。
     当時、西洋は大航海時代に入っていました。これは西洋人から見れば大航海でしょうが、アジアから見れば西洋人による侵略の時代です。
     西洋ではイベリア半島からイスラム勢力を追い出し、スペインとポルトガルは競争して東洋に向かっていました。その目的は二つです。一つは東洋にキリスト教を布教し、それを足がかりに植民地にすることであり、もう一つは東洋から香辛料などの産物をもってくることです。」


    詳しくはこちらをご参照♥

    日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約



    その後、植民地において現地人の生命を無視した「強制栽培」等横暴なことを始めます。

    いまでも、石油に次ぐ貿易規模を誇る一次産品が、「コーヒー」です。

    世界のコーヒー生産地と豆の名称
    世界のコーヒー生産地と豆の名称

    「 フランスも、ドイツも、ポルトガルも、イギリスも、アフリカの植民地で同じような強制労働を課している。ヨーロッパの植民地当局は現金による納税を要求したから、アフリカの人々は否応なく賃金労働に従事することになった。これらアフリカ人の多くは、実際には、宗主国または民間投資家が管理する奴隷であった。
     例えばフランスの場合、マダガスカルでコーヒーを栽培・収穫するために発足した組織的な強制労働システムは、第二次大戦後まで続いていた。
     また、ポルトガルの強制労働システムの下では、アンゴラで三十万人以上の現地人が命を落としている。」


    こちらをご参照♥

    石油の次に貿易規模が大きい「可否」の物語♥



    で、オランダがインドネシアやってきたことが、こんな感じです♥

    「 1830年から1870年の間に、オランダ人はオランダ領インド諸島(現在のインドネシア)で、コーヒー、タバコ、インディゴ、砂糖等の換金作物を徴収する目的で強制労働制度を設けているが、この制度の一部は1917年になっても依然として続いていた。
     強制栽培制度として知られるこのシステムの下で、オランダの植民地当局は、ジャワ島の島民が「保有する土地の五分の一、あるいは一年に66日を、政府のための換金作物の栽培に当てる」ことを義務づけた税法を導入した。だが、実際には、…収穫の半分を巻き上げたのである。…換金作物の栽培のために多くの土地と労働力が転用され…そのため、ジャワでは食料の生産が激減し、あげくの果てに、定期的な飢饉に見舞われたのだった。
     1850年には、これによってほぼ30万人ものジャワ島民が命を落としている。」


    こちらをご参照♥

    チューリップで有名なあの国と「ジャワ島」の物語♥



    で、問題の「アンペラ」にまつわるお話。

    もともと、橋の名前は「Bung Karno」だったそうです。Bung Karno とは、スカルノを親しんで呼ぶ場合につかわれる、「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)のことです。橋が完成した当時は、スカルノに対する国民の反発が最高調で、時の内閣にも使われたAMPERAとなったそうなんです。

    こちらをご参照♥ (※ただし、このサイト主の方はアンペラの意味を正しく教えられていなかったようです。インドネシアの人々も、なかなか言い出しにくかったんでしょうか?)

    アンペラの意味

    でも、中には、こんなインドネシア人もいますね♥

    スハルト政権の官房長官で、後に副首相になったアラムシャ中将も…日本軍政について次のような報告をしている。

    「 オランダ時代の350年間は、植民地特有の搾取と弾圧の連続であった。それは非情に過酷なもので、同じタイプのアメリカ、フランス、イギリス、ポルトガル、スペインの遠く及ぶところではない。
     …日本軍政時代の3年半については、オランダ、チャイナ、アメリカなど、戦勝者の学者らが痛烈な批判を下しているが、仮に日本の軍政に欠点があったとしても、たかが3年半である。オランダ時代の3世紀半と比べものにならない。
     日蘭を同じ質、同じ量とみて批判するには、根本的に間違っている。…日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。私は、日本軍の小さな欠点をあげつらう代わりに、大きい長所を挙げてみたい」


    こちらをご参照♥

    正しいのはどっち? 日本 or  オランダ♥



    同じようなことを、オランダ人ではない白人も言っていますね♥

    「 オランダの350年以上に及ぶ植民地支配に終止符が打たれたのは、1942年の日本軍の進攻によるものでした。インドネシアには白馬に跨がる英雄が率いる神兵がやってきて、インドネシアの独立を助けてくれるという伝説がありました。日本軍の進攻は、伝説の神兵の到来を思わせました。日本兵は、神話の軍隊であったのです。

     ジョージ・カナヘレは…日本の功績として次の4点を掲げています。

    ①オランダ゙語、英語の使用禁止
      これにより公用語としてインドネシア語が普及、

    ②インドネシア青年に軍事訓練を施した
      これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心を植え付けられた、

    ③オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え、能力と責任感を身につけさせた

    ④ジャワにプートラ(民族結集組織)…を置き…組織運営の方法を教えた

     日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、゛どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事訓練を施す゛のでしょう?彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国に作り、近代組織の経営方法を教えることがあるでしょうか?

     この事実は、侵略したのが日本ではなかったことを証明しています。日本はアジアの国々を独立させるあらゆる努力を惜しまなかった。

     では、一体どこからの独立でしょうか。もちろん、アジアの国々を゛侵略゛していた゛白人諸国゛の支配からの独立です。」


    こちらをご参照♥

    日本が『インドネシア』でやったこと♥



    お分かりでしょうか?

    自国の歴史を都合よく妄想しているのは、支那・朝鮮だけではありませんね♥

    白人も植民地として支配されたアジアの国々でも、歴史の捏造は存在しています。

    そんななかにあって、正しい歴史を伝えることができるのは、それができるのは世界にあって私たち日本人だけなんですね♥

    頑張って、日本の真実を知らしめて参りましょう^^

    続きは次回に♥




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    Category: 大東亜戦争
    Published on: Thu,  19 2015 00:00
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