愛人の子を宿し、産気づくと火を放ち、夫が火事見物に行っている間に出産した女傑 ~ エカチェリーナ2世

エカテリーナ
エカチェリーナ2世(エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna、1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子にパーヴェル1世。

プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称される。帝政時代にロシア帝国銀行が発行していた100ルーブル紙幣の肖像に描かれていた。また、現行の紙幣では沿ドニエストル共和国が発行する500沿ドニエストル・ルーブルに描かれている。

日本では従来「エカテリーナ」の表記が多かったが、原音により忠実な「エカチェリーナ」の表記が普及してきた。また、ドイツ語や英語由来の「カタリーナ」(Katharina II.)、「カザリン」、「キャサリン」などの表記も散見する。




戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

客観的に情勢を判断する必要があります。

それでは、この書物を見ていきましょう!





『 1756年露仏墺の三国同盟プロイセンに対し宣戦布告をしました。【七年戦争】の始まりです。』

ロイテンの戦いの夜のフリードリヒ大王
ロイテンの戦いの夜のフリードリヒ大王

七年戦争(しちねんせんそう、英: Seven Years' War、独: Siebenjähriger Krieg、1756年-1763年)は、プロイセン及びそれを支援するグレートブリテン王国(イギリス)と、オーストリア(ハプスブルク君主国)・ロシア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた戦争である。

七年戦争は、ヨーロッパにおいては、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で戦いが行われた。並行してイギリスとフランスの間では北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。プロイセンとオーストリアとの戦争を第三次シュレージエン戦争、北米での戦争をフレンチ・インディアン戦争、インドでの戦争を第三次カーナティック戦争とも呼ぶ。これらの戦争を総称して七年戦争と呼ぶこともある。

オーストリアがフランスと同盟を結んだ外交革命、400万対8000万と言う圧倒的な人口格差など、当初プロイセンは敗勢を余儀なくされ、その命運も尽きるかと思われたが、プロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)の適切な戦争指導と、エリザヴェータ女帝の死によるロシアの離反によって戦局は打開され、幸運にも戦争はイギリス・プロイセンの側に有利に帰着した。

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画像はこちらからお借り致しました♥ ⇒ 温故知新

『 【ロシアが西欧の戦争に本格的に参加した最初】になります。この戦争でプロイセンの首都ベルリンは二度も陥落し、一時フリードリッヒ大王は自決を決意するほど追いつめられましたが、不屈の闘志で挽回しました。

フリードリヒ2世
フリードリヒ2世

 これに【弱気の虫を出して崩れた国が、ロシア】です。

驚き顔

エリザヴェータ (ロシア皇帝)
エリザヴェータ (ロシア皇帝)

 戦争末期の1762年1月、崩御したエリザヴェータを継いだ【ピョートル3世】は、大帝の名を冠した人物とは思えない【ドヘタレ】でした。

ピョートル3世

世界史を見渡してもここまでのヘタレは、朝倉義景か加藤紘一くらいしか見当たりません。

 ピョートル3世はなんと、「僕はフリードリッヒ大王に憧れているんだ!」と、【いきなり単独講和を結んでしまいます】

驚き顔

それで【昨日までの同盟国であったオーストリアに攻め込む】のですから、兵士たちも大混乱です。

驚き顔

3世は「戦争ごっこ」マニアで、おもちゃの兵隊で遊ぶのが大好きだったそうです。子供がお人形を持って「ブーン、ブーン」とやる、アレです。その感覚で国家経営をされたらたまったものではありません。

エカテリーナ
1742年頃、エカチェリーナ2世

 7月、【妻のエカテリーナにクーデターを起こされます】。愛人とともに閉じ込められて命乞いする様子は、今でもロシア史の語り草です。この【エカテリーナは男好きで有名ですが、愛人の子供を妊娠したときには体中にサラシを巻いて太ったことをひた隠しにし、産気づいたときには首都サンクトペテルブルグに火を放ち、夫が火事見物に行っている間に出産を済ませてしまったという女傑】です。

驚き顔

このエカテリーナは、北ドイツ地方(まだ国ではない)の貴族の娘に生まれ、ロシア人の血は一滴も入っていません(ヨーロッパの貴族は皆、遠縁の親戚なので、「一滴も」は言いすぎかもしれませんが)。外国人参政権どころか「外国人国家元首」です。【こればかりは、日本人が絶対にマネてはいけません】

1780年代、エカチェリーナ2世
1780年代、エカチェリーナ2世

 そんな男好きのエカテリーナ2世が、ピョートル1世とともにただ2人「大帝」とよばれることになるのですから、世の中わからないものです。

七年戦争はプロイセンを財政で支援するイギリスと露仏墺が戦った【最初の「世界大戦」】ですが、五行詩で表せます

わけもわからず、戦争の渦中にいるオーストリア

わけもわからず、周りじゅう敵だらけのプロイセン

わけもわからず、力任せのフランス

わけもわからず、狡賢いロシア

そのすべてに、血の雨を降らせるイギリス


七年戦争世界の歴史が変わったことがわかります。

悩む女の子2

それまでのスペイン継承戦争やオーストリア継承戦争で【イギリスは、海軍がインドでフランスの植民地を叩きつぶし、その奪った権益を返すことで代償としてヨーロッパでの利権を拡大】してきました。いわば、「陸主海従」「大陸(ヨーロッパ)重視」です。

重要ポイント

 それらの【利権の中でもっとも大きかったのが、イベリア半島の南端、ジブラルタル要塞の確保】です。

重要ポイント

LocationGibraltar.png
ジブラルタル

北西からの眺め
北西からの眺め

南東から見た航空写真
南東から見た航空写真

これで、イギリスの敵国が地中海を出たければ英国艦隊(ロイヤルネイビー)を倒さねばならないということになります。ロシアなど、そのはるか手前の黒海を出るのにフウフウ言っているのですから、海洋覇権国家になるなど夢のまた夢です。ロシアは今までどおり大陸国家として生きていくことになります。…

ロシア植民地
ロシア 植民地


七年戦争で…(イギリスは)「海主陸従」「海洋重視」に大転換します。

重要ポイント

 イギリスは、アメリカとインドにあるフランス植民地を完全強奪することを目論み見事に成功します。ヨーロッパではプロイセンに莫大な軍資金と申し訳程度の陸軍を渡し、露仏墺と果てしない殺し合いをさせながら、自分は海外のおいしい植民地をすべてかっさらう。…

驚き顔

イギリス 植民地
イギリス 植民地

 大英帝国の覇権は確立しました。そして、英露仏墺普というヨーロッパの五大国が、そのまま世界の大国となっていきます。アジアの四大帝国のうち、名君で知られる乾隆帝が治める清国こそまだ野心の対象外ですがすでにトルコ・ペルシャ・インドは英仏露の草刈り場と化しています。』

日の丸

いかがでしょうか?

昨日触れました外交革命に続く、七年戦争。ここでの流れが、ヨーロッパの方向を決定づけました。

一番大切な軸が、海のイギリス陸のロシアです。この両国による世界をめぐる覇権争い、ここを見逃してはいけませんね♥

まず、この頃のイギリスは、海外の権益(つまり植民地)をめぐってフランスと主導権争いをしていました。

イギリスはヨーロッパでプロイセン(ドイツ)を唆(そそのか)してカトリックの同士討ちをさせる一方で、海外ではプロテスタントの帝国の拡大を図っていました。その時に、邪魔だったのが、カトリックのフランスでした。

狙われたのが、インドでした。

1700年代のインドは、世界経済の2割を占める大国でした♥ このインドを侵略したんです♥

世界GDPシェア

きっかけが、ブラックホール事件でした。

詳しくはこちらをご参照♥

ブラックホール事件 【プロテスタント】のイギリス vs 【カトリック】のフランス 



七年戦争が1756年~1763年で、ブラックホール事件が1756年です。

ブラックホール事件のあと、1757年のプラッシーの戦い。これによって、インドイギリスに侵略され植民地へと陥れられてしまいました♥

プラッシーの戦い
プラッシーの戦い 戦闘後、ミール・ジャアファルと面会するロバート・クライヴ

詳しくはこちらをご参照♥

日本にもいる「ミール・ジャファール」 インド植民地化の引き金・プラッシーの戦い



もちろん、フランスも黙っていません♥

イギリスの植民地で起こったアメリカ独立戦争(1775年~1783年)に、介入しています♥

詳しくはこちらをご参照♥

バーボンの語源



アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、架空の人物です



アメリカはめでたく独立したものの、相次ぐ戦争によって疲弊したフランスで、「市民」と呼ばれる強盗殺人者たちが暴れまわります。それが、フランス革命(1789年)です♥

バスティーユ襲撃
バスティーユ襲撃

詳しくはこちらをご参照♥

市民革命とは「市民という泥棒が王様を殺してその財産を奪うもの」 ~ フランス革命



で、王様が殺されてしまったので、そのあと相続問題・財産問題が発生し、またまたヨーロッパは戦乱に♥

そこで登場した独裁者が、ナポレオンです♥

『玉座のナポレオン1世』
『玉座のナポレオン1世』

この後、ヨーロッパにおけるパワー・バランスが崩壊しましたが、その裏では、海のイギリス陸のロシアによって領土・植民地の拡大は着々となされていったんです♥江戸時代には、ロシア軍艦対馬占領事件(1861年)なんていう事件もあったんですよ♥

詳しくはこちらをご参照♥

江戸時代にロシアに占領された対馬 ~ ポサドニック号事件





続きは次回に♥




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Category: 日露関係
Published on: Mon,  19 2015 00:00
  • Comment: 2
  • Trackback: 0

2 Comments

sunhiroA  

No title

こんんはです
 いつも興味深く拝見してます。
 「歴史書は勝利者の手で書かれた物」との認識です。現代の世界の勝利者は誰の手に委ねられるのか、興味深々。我等は何をなすべきか・・・。

2015/10/19 (Mon) 01:01 | EDIT | REPLY |   

みっちゃん  

Re: No title

sunhiroA さん、ご訪問ありがとうございます♥

「歴史書は勝利者の手で書かれた物」とのご認識、事実、勝利者の手で書かれた通りに解釈している人が多く存在していますね♥

正しいご認識だと思います。

我等は何をなすべきか・・・。

その答えの一助を引き出す為にも、優秀な「書物」のご紹介を頑張って続けていきたいと思っています♥

みんなで、考えないと。。。そう、考えています^^



2015/10/22 (Thu) 17:27 | REPLY |   

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