2015-08-28 (Fri)
アムリットサル事件(アムリットサルじけん,Amritsar Massacre)は1919年4月13日、インドのパンジャーブ地方アムリットサル(シク教の聖地)でスワデーシー(自分の国の意で国産品愛用)の要求と、ローラット法発布に対する抗議のために集まった非武装のインド人市民に対して、イギリス人のダイア将軍率いる部隊が無差別射撃した事件。アムリットサル虐殺事件、事件の起きた市内の地名をとってジャリヤーンワーラー・バーグ事件Jallianwala Bagh massacreとも呼ばれる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
さて、大東亜戦争で、私たちの日本は、アメリカと戦って敗れました。
日米に巣くうソ連の手先・共産主義者たちによって、日本は戦争へと引き込まれました。
そもそも、そこに至るまでの数百年の歴史を紐解けば、「大英帝国」と「ロシア帝国」の飽くなき覇権争いが背景にあります♥
ロシア帝国はその後、ユダヤ人の手によって革命を起こされ、社会主義のソビエトが誕生しました。
ちなみに、当時ユダヤ人の役割を見抜いていたヒトラーも、同様に社会主義です。
ロシア帝国、その後のソビエト、そして大英帝国が覇権を争った最終地点こそ、私たち日本を含む大東亜でした。
もちろん、出遅れたアメリカも、覇権争いに参加します。そして、日米が戦争へと・・・
では、大英帝国は、それまでの間に、一体何をしてきたのでしょうか?
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 マハトマ・ガンジーが非常に評価され、インド独立運動の中心的立場に立つようになってきた時期のことです。第一次世界大戦が勃発し、【多くのインド人がイギリスの軍隊に徴発されます】が、その仕方が乱暴で、【インド国民は献金も容赦なく求められた】ため、【イギリスへの反感】がいっせいに全土的に広がりました。1919年4月13日に【ガンジーが逮捕】されます。
マハトマ・ガンジー
その事件をきっかけに、パンジャブ地方(インド北西部から現在のパキスタン北東部)全体に【反イギリスの抵抗運動】が起こります。これに対して、インド政庁が弾圧に乗り出し、アムリトサル市のジャリアンワーラー広場で惨劇が起こるのです。…
イギリス人のダイア将軍という人物が出てきます。入口がいくつかしかない【袋小路のような広場】で、彼は【そこに集まった何の罪もないインド人に銃弾を浴びせ大量殺戮した】のですから、彼の弾圧はインドの民族運動の炎に油を注ぐようなものでした。…
この本の「第八章 暴虐英国の印度圧迫(其の一)」というところを読んでみましょう。
こちらで読むことができます♥
↓
☆近代デジタルライブラリー 『インドの叫び』
「本章は一九一九年中を通じ印度に於いて行はれたる英国の暴虐の赤裸々なる記録である。これを読む人が以て印度が如何に独立の為に闘かつてゐるかを推想することが出来るならば、我等の努力は完全に酬(むく)いられたも同然である。…
印度に於ける大虐殺の当の責任者であるダイア将軍Dyerは「余にとって仏蘭西(フランス)の戦場もアムリッサアルも同然だ。」と述べてゐるが(※インドの覇権をめぐっては英仏両国が戦ってきました。そのフランスとの戦いを「仏蘭西の戦場」と呼んだのです)、彼は全然無辜(むこ)の男女及び子供等に無制限の射撃を命じた人である。仏蘭西の戦場では交戦者双方共武器弾薬を有してゐたが、パンジャブの戦場では、身に寸鉄を帯びざる男女が、完全に武装せる英国兵の射弾を受けねばならなかつた。
然(しか)し、ダイアは英国に決して珍しい人物ではない。
英国にとつての武器なき人民の虐殺、婦女襲撃、児童射撃は決して事新しきことではなかつた。英帝国主義者の中には斯(か)かる事実を関知せず(※知らない)と称するものもあるが、歴史は英国の不法、非人道、弾圧、圧迫、迫害の明々白々たる証拠を提示してゐる。
アムリットサル事件現場の慰霊碑
東印度会社時代より今日に至る迄、会社職員、藍(あい)または胡椒栽培主、茶栽培主、或(あるい)は英国人知事、兵士、官吏が同様の残忍な行為を行つて来たのである。」
「世界戦争(※1914年の第一次世界大戦)が始まつた時、印度人はその実際の原因を承知し、直接戦争に関心を持たなかつた。然(しか)し乍(なが)ら印度は人的資源及び財的資源を以て英帝国を救はねばならなかつた。」
インドは宗主国イギリスのために兵隊を出さなくてはいけなかったし、お金も出さなければならなかった、と。
「各村毎に男子の名簿表がつくられ、兄弟三四名(さんよめい)ある家族から一二名(いちにめい)の男子が兵士として徴集せられたのである。
そして、若(も)し男子が応募しない時は女子に迫害を加へ、男子家族の応募を否応なしに行はしめたのである。即ち、女子には棘(とげ)を以て苦しめ、男子は裸にして棘叢(きょくそう)の中に立たしめたのでる(※トゲのある植物がありますね。女子にはそのトゲを刺し、男子はそのトゲのある草叢(くさむら)のなかに裸で放り込む。それにも似た苛烈な迫害を加えたということでしょうか)。一人の壮丁(※成年男子)を得るために全村民が迫害せられた例も少なくなかった。即ち村民の家から家具を運び出し、または是(これ)を焼却し、或(あるい)は灌漑路(かんがいろ)を絶(た)ち(※村の田畑へ流れる水を止めてしまう)、志願することを拒絶するものに対しては射撃(※射殺)が行はれたこともあつた。…
国民会議調査委員会(※「国民会議」というのはインド独立をめざす政党というか政治団体です)に於てグジュランワラ(※地名)のサルダル・カンの述べた処に依れば、当時に於ける徴集(※インド人兵士徴発)の状況を髣髴(ほうふつ)する事が出来る。
曰(いわ)く、「徴兵官が我々の村へ来たのは四月五日頃であつた。真夜中に太鼓が打鳴らされ、みんな翌朝村の広場に集まる様命令せられた。丁度其の頃は収穫期でもあり、みな徴兵されることを恐れ、一部のものだけが翌朝集まったが、これが為(※全員でなく、一部の男しか集まらなかったため)、徴兵官は六七十名の村民に罰金を課した。
次いで村民に対し、村から十八哩(マイル)(※30キロ強)のグジュランワラに集まる様に命ぜられた。指定の日其処(そこ)に赴くと、一同一列に並ばされ、其の中から七名の若者が選抜せられた。そして他のものは殴られ、もつと役に立つものを揃へて来いと命ぜらた。」 」
体の大きいしっかりとした若者7名を選抜し、その他の者は殴られて、「もっと頑丈な者を連れてこい」と怒鳴られたというのですから、乱暴です。
事情は、当時のシナでも変わりません。シナでは、道を歩いていると、いきなり徴兵官に引っ張り込まれて兵隊にされてしまうというんですから。徴兵といっても、要するに「人狩り」なのです。近代国家ではありませんから、やることが荒っぽいのです。民衆はたいへんです。
こちらもご参照♥
↓
中国では、兵隊の「役得」なのです♥
「大戦当時英国の為、印度は斯(か)くの如くにして戦はしめられたのである。斯くの如く兵士または金員(※お金)の「応募」を強制せられなかつたものに対しては、戦線の英国兵士に送る食糧の負担を課せられた。英国政府は印度の小麦(印度は世界第三位の小麦産出国である。)を徴発した。英国兵は此の穀物のお陰で太り、印度の麦と米からつくられたアルコホールに酔つてゐたのである。」
イギリス兵はインドから届いた麦やコメから酒をつくって飲んで、おかげで酔うことができた、と。著者は憎まれ口を叩いてもいるのです。』
いかがでしょうか?
プロテスタントの帝国・イギリスによって、いかにインドが搾取されてきたのか、良く分かりますね♥
当時のイギリスの君主は、ジョージ5世です(在位 1910年5月6日 - 1936年1月20日)。
ジョージ5世
現在はエリザベス2世です。
エリザベス2世
余談ですが、現在でも、アメリカ大統領がホワイトタイ・ディナー、つまり晩餐会で大統領が白い蝶ネクタイで賓客をもてなす、最上級儀礼の接待を、英国女王は受けます。
詳しくはこちらから♥ ⇒ ☆天皇陛下の外交上の権威
そして、大統領がそんな風にもてなすのは、英国女王、ローマ法王、天皇陛下だけなんです。
1975年の昭和天皇訪米の際の動画がこちらになります。
国家単位で考えると、イギリス、バチカン、日本、となりますね?
でも、あまりイメージが湧きませんね?
これを宗教の面から考えますと、プロテスタント、カトリック、神道、という風に、ハッキリと色付けできます♥
何か、見えてきませんでしょうか?
このあたりの解説は、別の機会にさせて頂きます。
ところで、1900年ごろのインドの平均寿命をご存知でしょうか?
画像はこちらからお借り致しました♥
プロテスタントの帝国・イギリスによって搾取された結果、インドの国民は、非常に困窮した生活を虐げられていたことが分かりますね♥
同様に、朝鮮の国王御自ら懇願し、また列強諸外国が押し付ける形で、私たちの日本がやむなく朝鮮を併合する以前、支那の属国だった時代の朝鮮人の平均寿命は、当時のインドを下回っていました♥
こちらもご参照♥
↓
☆ご存知ですか?100年前の朝鮮半島の平均寿命は『24歳』だったんです♥
イギリスに支配されていたと言っても、そこはインドです。かつて優秀な一大文明を築いていた国です♥
他方、朝鮮は、その民族の出所すら、オリジナルではありませんでした。
文化的な遺跡は皆無な、どこまでも支那の属国であり続けた国です♥
当然といえば、当然の話ですね♥
実は、16世紀~19世紀半ば頃まで、世界経済に占めるインドと支那のウェイト(下表ご参照)は、およそ50%を占めていました。
それを略奪していったのは、一体誰でしょうか?
もう一目瞭然ですね♥ 侵略者は、白人キリスト教徒ばかりだったのですから^^
そういった白人キリスト教徒による略奪という事実を隠そうとして、白人は正しい歴史教育を行っていません♥
こちらもご参照♥
↓
☆日本にポルトガル人が最初にやってきた理由 ~ トルデシリャス条約
☆戦争に引き込まれるということ
同様に、ふがいなかった支那や朝鮮も、歴史を捏造してまで、自分達のふがいなさを隠していますね♥
画像はこちらから♥
そもそも、この文章で間違っているところは、日本がファシズムだったと書いている所にあります。
反安倍を唱える阿呆な輩や共産主義者に、よくみられる傾向ですが、ファシズムと軍国主義を混同し、同じ意味合いで捉える恥さらしが大変多くいらっしゃいます♥
徹底した無知っぷりです♥ 思わず笑ってしまいますね^^
ご存知でしょうか? 「軍国主義は平和主義の反対語」だっていうのは、丸山眞男の口からデマカセだということを。
阿呆の丸山眞男
「軍国主義」っていう言葉の意味は、軍事を国策上の最優先事項にする体制のことです。
軍国主義は、むしろ穏健な思想なんです。だからこそ、ほとんどの国が軍国主義を経験していますね。
考えてみて下さい。軍隊がなかったら、外国から侵略されますね?
やくざとかマフィアといった犯罪組織にやりたい放題されますよね?
現に中南米では、犯罪組織の武力が国家の武力を上回っているような状況にあります。
平和な世の中が欲しいなら、軍国主義をやらなければダメ。これが、歴史が教えてくれていることですね♥
こちらもご参照♥
↓
☆歴史を勉強しないとこうなっちゃう。。。バカモノの子 西穂波の事例
では、軍国主義の反対語はなんでしょうか?
「軍国主義」の反対語、それが、「ファシズム」なんです♥
まったく正反対の言葉なんですよ♥
ファシズムというのは、一国一党独裁であって、国家の上にその独裁党が君臨する体制のことを言います。
ですから、日本には、まったく当てはまりません。
ファシズム国家とは、ナチスのドイツ、現代の共産党の支那、共産党の旧ソビエト連邦、フセイン時代のバース党のイラク、などを言います。
そして、すべてのファシズム国家に共通するのが、独裁政党と軍部の対立関係です。
現代の支那がそうであるように、もともと軍国主義と、一党独裁のファシズムとは、正反対のものですから、しっくりいかないんです♥
独裁政党にとって軍は、常に警戒しなければならない宿敵となっていますね♥
私たち日本人は、正しい知識を身につけなくてはなりませんね♥
そのためにも、安倍総理、頑張って下さい♥
続きは次回に♥
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