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    実は戦争をしたくて仕方がない「共産主義者」と「SEALDs」の仲間たち

    みっちゃん

    みっちゃん

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    SEALDsとは、【民青、過激派、在日、チンピラの連合軍】のこと

    共産党ロゴ

    SEALDsは、【全労連=共産党系の労組】の街宣車を使っています。つまり、SEALDsは、共産党の下部組織です。また、SEALDsに参加している若者のかなりの部分が共産党の青年組織であることも公の事実です♥デモを仕切っているのが日本共産党系の青年組織「民青」(日本民主青年同盟)であることもバレちゃっています♥

    SEALDs奥田愛基「全労連さんから車を借りたのは事実ですが、たまたま車が空いていたから。」

    「在日4世で参政権がない。でも政治に声を上げたい」「戦争法案許さない」SEALDs声上げ

    SEALDsは就職できなくてふるえる・左翼活動家や共産主義テロリストが就職できないのは事実


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    法政大学の中核派の女テロリスト 洞口朋子(26歳)

    日の丸

    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。

    未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。

    いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、です。デタラメなんです♥

    私たちの日本は諸外国によって戦争に引き込まれていきました

    そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥

    彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【梅津美治郎】(うめづよしじろう)が昭和十二年の段階で、内閣書記官長として【マルクス主義者、風見章を送り込む】操作をした件については述べたとおりだが、梅津にはさらなる疑惑が残る。

    梅津美治郎
    梅津美治郎

    風見章
    風見章

     近衛上奏の二年ほど前の昭和十八年十二月二十八日、近衛は痔疾手術のために東大病院に入院していた。

     その病床を見舞った側近の細川護貞(ほそかわもりさだ)は、思いもよらぬ情報を近衛から聞かされた。…

     ついでながら、細川の最初の妻は近衛の二女・温子(よしこ)で、間に生まれたのが護煕(もりひろ)元首相と護輝(もりてる)だが、護輝は後年、近衛正子(故・文隆の妻)の養子となって近衛忠輝と改名、現在は国際赤十字会長を務めている。

     岳父(がくふ、妻の父)・近衛から細川護貞が聞いた話とは、次のようなものだった。

    「小畑中将の知人にて、某処より、【梅津の児分(こぶん)の池田純久(いけだすみひさ)少将】が、かつて企画院に在りて作成せる文書を手に入れたる人あるも、夫(そ)れには、【計画的に支那事変を起し、日米戦争まで持つて来て、我国の社会制度を一新し、ソビエットの夫れの如くせんとの意図】を看取するを得るものなりと。夫れより逆に考えて、【支那事変当時の梅津の態度】等は、実に首肯(しゅこう)しかねるものありたるも、或はかゝる陰謀ありたるならん」(『細川日記』上)



     梅津大将は支那事変勃発当時に陸軍次官その後関東軍司令官として新京で指揮を執っていた。

     事変不拡大方針を表明していた近衛内閣実行できなかった陰には梅津がいたからだと、近衛が十八年暮れに至って腑に落ちた様子が窺える。

    近衛文麿
    近衛文麿

     近衛の上奏意図には、【コミンテルンのゾルゲ・尾崎グループの謀略が、陸軍内部にいる特殊な人物と地下水脈で通じているという可能性を明確に示唆】していた

    尾崎
    朝日新聞記者だった尾崎秀実

    朝日新聞ロゴ

    朝日新聞記者だった尾崎秀実の逮捕後に関しては、こちらが詳しいです♥



    こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥

    こちらをご参照♥ ⇒ 驚天動地だった「尾崎」の逮捕♥

    こちらをご参照♥ ⇒ 【実録】取り調べ時の「尾崎」の様子♥

    こちらをご参照♥ ⇒ 【驚愕】あの「尾崎」が残した手記♥

    こちらをご参照♥ ⇒ 【仰天事実】あの「尾崎」が残した手記からも判明♥

    昭和天皇

     だが天皇にこの点についての理解を示す情報がその後も届くことはなかった

    驚き顔

     かくて昭和二十年は、極度に悲惨な敗戦状況を迎えることとなる。

     そこで梅津の懐刀池田純久について述べておこう。…

     池田の特徴は軍務局軍事課時代の昭和四年四月から七年三月まで、陸軍派遣学生として東京帝国大学経済学部で学んだことだとされる。

     そこで身につけた【統制経済理論】が、やがて企画院内での理論的支柱と呼ばれる礎を築くこととなった。

     昭和十年に相沢三郎(中佐)に斬殺された【永田鉄山(ながたてつざん、少将)の愛弟子】でもあった。』

    永田鉄山
    永田 鉄山(ながた てつざん、1884年(明治17年)1月14日 - 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物陸軍三馬鹿烏の一人。長野県諏訪郡上諏訪町本町(現・諏訪市)出身。同じく諏訪出身で岩波書店の創立者である岩波茂雄らとは生涯にわたって交友があった。1910年(明治43年)11月に陸軍大学校を2位(首席は梅津美治郎)で卒業。かねてからの「国家総動員に関する意見」などが認められて1926年(大正15年)に国家総動員機関設置準備委員会幹事となり、内閣の資源局、陸軍省の動員課と統制課の設置に導き、初代動員課長となる。1933年(昭和8年)6月、陸軍全幕僚会議が開催され、会議の大勢は「攻勢はとらぬが、軍を挙げて対ソ準備にあたる」というにあったが、参謀本部第二部長の永田一人が反対し、「ソ連に当たるには支那と協同しなくてはならぬ。それには一度支那を叩いて日本のいうことを何でもきくようにしなければならない。また対ソ準備は戦争はしない建前のもとに兵を訓練しろ」と言った。これに対し荒木貞夫陸軍大臣は「支那を叩くといってもこれは決して武力で片づくものではない。しかも支那と戦争すれば英米は黙っていないし必ず世界を敵とする大変な戦争になる」と反駁した。エーリヒ・ルーデンドルフの政治支配と総力戦計画に心酔し、同年10月、陸軍の主張を政治、経済の分野に浸透させ完全な国防国家の建設を提唱する『国防の本義と其強化の提唱』という陸軍パンフレットを出版。

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     『 昭和十二年、企画院調査官として【国家総動員体制を指導する、いわゆる新革新官僚グループの代表的存在】となったことで、その立場は明確になる。…

     先の戦争期における【軍部内の大きな亀裂の根幹】に、【二・二六事件挫折の影響】が強く反映されている事実は疑いようがない。

     二・二六事件を主導したいわゆる【皇道派(こうどうは)】は事件以後、実権を失い【統制派】と呼ばれるグループ(実際にはそういう会派はないのだが)が主導権を握る

     もとより【皇道派はソ連を強く警戒し、蒋介石や米国との軋轢は避けようとする傾向】があった。…

     二・二六事件を抑え込み、【皇道派が追われたあとに実権を握ったのが東條英機、南治郎、池田純久、武藤章、小磯国昭、影佐禎昭、四方諒二らの統制派】である。繰り返すが「統制派」という組織はない敢えていえば【「反皇道派」人脈の総称】を指す。

     彼らは文字どおり、【天皇の「木戸番」となっていた木戸内府に接近】した。…

    木戸幸一
    木戸幸一

     【皇道派は反共・反ソを掲げ、精神的国家主義の傾向が強かった】のに対し、【統制派は南進論で中国一撃を謳い、英米を敵国と位置づけ】ていた。…

     【共産主義への警戒心】を考えるならば、【池田純久など参謀本部中枢から梅津美治郎参謀総長に至る統制派】と、近衛とその周辺に集まった皇道派の対立構造見逃すことはできない

    悩む女の子2

     【統制派を裏から操っていたのがゾルゲと尾崎秀実(おざきほつみ)による「南進論」派】だった。

    尾崎
    朝日新聞記者だった尾崎秀実

     尾崎の主張に同調するように動いたのが、武藤章軍務局長と軍務課長の佐藤賢了ということになる。

     彼ら【幹部幕僚が、東條や梅津といった陸軍首脳を下から突き動かしていた】、と言い換えても過言ではない。

     さらにその関係を統制経済の面から理論的に支えていたのが【革新参謀・池田純久】だった

     敗戦が間近に見え始めた頃、【迫り来る共産主義の脅威に関する情報を天皇の前に立ちはだかって遮断するグループが暗躍】し始めた。そのなかに【梅津や木戸の顔が見え隠れ】する

     彼らが目標としたのは【「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガン】だった

    驚き顔

     【徹底抗戦と本土決戦を叫ぶ者たち】のなかに【ソ連の影響を強く受けた軍人たちが混じっていた事実】は、ここまで述べたように疑いようがない。

    共産党ロゴ

     近衛が天皇に訴えたかった一点は、【国家の裏切り者を一掃し、一刻も早く終戦に持ち込む】ことだった

     誰がその核心にいたのか、【天皇周辺の「赤いユダ」をさらに解明しなくてはならない】。』

    昭和天皇 (2)

    いかがでしょうか?

    近衛が天皇に訴えたかった【国家の裏切り者】の姿が見えてきましたね♥

    そもそも近衛は中国戦線不拡大の政策を推進していました。

    蒋介石と日本軍は日本軍を中国から引き揚げることに合意すらしていたんです。

    こちらをご参照♥ ⇒ もう一人の尾崎♥



    しかし朝日新聞記者出身の共産主義者・尾崎秀実は、日本が日中戦争を拡大させるように仕向けたんです。

    日本と中国との戦線不拡大がほぼまとまりかけていたその時尾崎らは汪兆銘を首班として日本の傀儡政権を擁立させました。

    その結果、まとまりかけていた和平工作は挫折し、重慶の蒋介石軍と日本軍がまさしく泥沼の戦争に入り込んだのです。

    共産主義者(旧:ソビエト連邦および現:中華人民共和国の母体・中国共産党)が日本と支那(現:台湾の母体・台湾国民党)を戦争へと向かわせたんです。

    驚き顔

    開戦に遡ること5年前(1936年)、二・二六事件が起こります。

    二・二六事件を主導したのは、いわゆる【皇道派】と呼ばれる、反共・反ソを掲げる精神的国家主義の傾向が強かった人々です。

    共産主義者、特にソビエト連邦にとって皇道派は邪魔者以外の何者でもありませんでした。

    なぜなら、皇道派は、ソ連を強く警戒し、蒋介石や米国との軋轢は避けようとする傾向があったからです。

    それに対して【反皇道派(統制派)】南進論支那(現:台湾の母体・台湾国民党)一撃を謳い、英米を敵国と位置づけていました。支那(現:台湾の母体・台湾国民党)をまず叩いて、そして日本のいうことを何でもきくようにしなければならない、さらにソ連に対しての備えはするけれども、決して対ソ戦争はしない、と主張していたんです。

    そして、二・二六事件は鎮圧され、皇道派は事件以後、実権を失い反皇道派(統制派)が主導権を握ったんです。

    この時、私たちの日本の敵が、変わったんです。

    本来、日本が戦わなければならなかった「共産主義」のソビエト連邦や中国共産党から、台湾国民党・イギリス・アメリカへと矛先を変えるように誘導されてしまったんです。

    このとき私たち日本の正面の敵は、イギリスであって、ソビエト連邦(旧:ロシア)だったんです。

    イギリスもソビエト連邦(旧:ロシア)も真っ向から戦うわけではありません

    誰かと誰かを戦わせて、漁夫の利を得るのが常套手段です。

    驚き顔

    つまり、イギリスとソビエト連邦(旧:ロシア)の陣取り合戦で、私たちの日本は、身内である日本人の裏切り者・共産主義者が実権を握ってしまったことでイギリスが陣取り合戦に敗れソビエト連邦(旧:ロシア)が勝ってしまったんです。

    こうして、私たちの日本は、戦争へと引き込まれていったのです。

    こちらもご参照♥

    戦争に引き込まれるということ



    戦時中、国家総動員総力戦を謳ったり徹底抗戦や本土決戦を主張したり、これらの言葉は共産主義者が口々に唱えたものなんです♥

    驚き顔

    なぜでしょうか?

    悩む女の子2

    彼ら共産主義者が目標としたのは「敗戦から革命へ」というコミンテルンのスローガンでした。

    1932(昭和7)年5月に、いわゆる「三二テーゼ」と呼ばれるスローガンが、コミンテルンで採択されました。

    正式名称は、「日本における情勢と日本共産党の任務に関する共産主義インターナショナル執行委員会西欧局のテーゼ」です。

    共産党ロゴ

    もう一度、繰り返しますね♥

    「日本共産党の任務」です。

    それは、次のように高らかと謳っています。

     日本共産党は、国内の階級的力関係と日本における、まさに来たらんとする革命の性質および任務の双方についての正しい、かつ明確なピクチュアをもたねばならない。…

    換言すれば、君主制の転覆地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経ねばならない。…

    現瞬間のための主要な行動スローガンは、次のものでなければならない。

    ●帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ

    ●ブルジョア=地主、ミカド、および社寺の土地の農民のための無償没収。地主、金貸し、および銀行に対する農民の一切の負債の取消し

    ●植民地(朝鮮、満州、台湾等)の日本帝国主義のくびきからの解放。

    ソヴィエト連邦および中国革命の防衛 
    」 (『コミンテルン・ドキュメント』Ⅲ、現代思潮社刊)

    驚き顔

    いかがでしょうか?

    最も重要なのは、「戦争反対」を唱えそこから「内乱へ転化せよ」という部分です。

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    革命に持ち込みたくて仕方がない輩

    つまり、口では「戦争反対」と唱えながら、私たち日本の世論を分断し、そしてそこから「内乱へと誘導しなさい」って事なんです。そして、「共産革命」を起こせ、と。これが「三二テーゼ」の主旨です♥

    驚き顔

    これは、現在も継続されています♥

    現代の日本共産党も、同じ考えを持って活動している「テロ政党」です♥

    だから、日本共産党は現在でも公安の監視対象なんです

    先程の「三二テーゼ」でも、良く分かると思いますが、共産主義者の考えている事は、すべて革命思想です。

    つまり、他人の「皮(革)」を剥いで「命」を奪い、その財産を強奪する思想です。

    そんな共産主義者の運動の一環が、冒頭にご紹介いたしましたバカモノ集団です♥

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    続きは次回に♥




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    最終更新日2015-08-11
    Posted byみっちゃん

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