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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  天皇を無理矢理「反戦主義者」に祭り上げようと政治利用する勢力

    天皇を無理矢理「反戦主義者」に祭り上げようと政治利用する勢力

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    明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。明治天皇昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を集める。正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」

    よもの海
    明治天皇御製「よもの海」

    明治神宮HP


    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。

    未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。

    いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、です。デタラメなんです♥

    私たちの日本は諸外国によって戦争に引き込まれていきました

    そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥

    彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 明治天皇の御製を引いたゆえに昭和天皇は「平和主義者だった」と、近年、一部の昭和史研究者から意図的に「政治利用」されている

    驚き顔

     では、なぜ御前会議で明治天皇の御製にあった「波風」が「あだ波」と変えられたのだろうか。…

    よもの海
    明治天皇御製「よもの海」

    悩む女の子2

     何か重大な「聖慮」歌の奥に潜んでいると思うのが普通ではないだろうか。

     迂闊なことだがほとんどの記録や昭和史関連書から「よもの海」の真実はこぼれ落ちてきた

    昭和天皇

     前夜、天皇は考え抜いた末明治天皇の歌を「替え歌」にして詠んだとは考えられないか。

     繰り返すが、今日ではこの御前会議における天皇の「四方の海」発言が、天皇の非戦もしくは戦争反対、平和愛好の意思表示だったと評価されている

    御前会議

     だが、「波風」ではなく「あだ波」天皇がわざわざ歌を変えたのなら、訴えたかった天皇の本心はもう少し別の意味を含んでいたと解釈されるべきではないだろうか。

    杉山元
    杉山元

     杉山参謀総長は、

    「日本としては半年や一年の平和を得ても、続いて困難がくるのではいけないのであります。二十年、五十年の平和を求むべきであると考えます」

    と奉答した。

     それに対して、大声で

    「あァ、わかった」

    とうなずいた天皇の本意がどこにあったのかを見極めなければならない。…

     近衛のほかにもう一人「あだ波」と聞き取って記録に残した出席者がいた。

     杉山参謀総長である。…

    驚き顔

     そもそも「波風」を「あだ波」と書き間違えるとは考えにくいから、杉山もやはり近衛同様に「あだ波」と聞いたと理解して間違いあるまい。

    近衛文麿
    近衛文麿

     【内閣の最高責任者】、近衛首相と【統帥部の最高責任者】、杉山参謀総長が、ともに揃って「あだ波」と聞き、記したのである。

     他の出席者で記録を後世に残した者は皆無である。

     昭和天皇を含め、御前会議の場に居合わせた十六名の出席者のうち、近衛、杉山の二人だけが記録を残した。…

     優れた歌人でもあった明治天皇の御製のなかには、調べてみると「あた波」という一句が入った歌が何首もある。

     ちなみに「あだ波」には二通りの解釈があって、ひとつは「徒波」と書く。表向きの意味はいたずらに立ち騒ぐ波。しばしば、変わりやすい男女の心の譬えなどとして詠まれる。

     もう一つの解釈は、漢字にすれば「敵波」「仇波」と書くものだ。…

    (明治天皇の御製にある)「あた波」とはすべて「敵」を指す言葉である。

     そうしてみれば、日頃から明治天皇の御製を「毎日拝誦して居る」という昭和天皇が、御前会議前夜、決然として「あだ波」(昭和時代になると濁音で詠んだ)と句を置き換えた意味の深さに思い致さなければならないだろう。

    よもの海みなはらからと思ふ世になどあだ波のたちさわぐらむ

     この「あだ波」は「敵」、すなわち米英蘭を指しておりこれを鎮めるという意味が潜んでいたと捉えるのが正しい解釈ではないか。

     ただの「波風」であれば、他国間との行き違いから波風がたったが外交交渉によって鎮められないか、と限定した解釈で済む

     再度いうが、昭和天皇が間違って紙片に書き写すなどということは考えられない

     天皇は「敵が騒いで海が荒れ、まことに困ったことだ」と替え歌で本心を婉曲に表現してみせた

    驚き顔

     一方で、ルーズベルトに会議内容が伝わることが分かっていて、「故大帝の平和愛好の御精神を紹述せむと務めて居る」と和平交渉の扉を閉じてはいないことも示唆したのだ。…

     戦後になって、御前会議の「よもの海」の逸話が明らかになるや、「天皇は戦争を望まぬ平和主義者だった」という解釈が現れるようになるのだ。

    驚き顔

     その裏では「悪かったのは【軍部】、とりわけ【陸軍】」という説が繰り返し流されてきた

    驚き顔

     どうやら、【左翼からも】一見【保守とみられていた側からも】天皇を「平和主義者」にしておきたい理由があったようだ。亡霊のような東京裁判史観そっくり生き返ったのだ。

    驚き顔

     天皇は御前会議席上、この戦争を始めるのは本意ではないものの、事ここに至っては「あだ波」に対峙せざるを得ないとの覚悟を替え歌に託し訴えたのだ

     替え歌に気づかぬまま、天皇を無理矢理「反戦主義者」に祭り上げようとする勢力の魂胆はいったいどこにあるのだろうか。

     売れ筋の「昭和史」を刊行している研究者が、「天皇は反戦主義者だ」「天皇は平和勢力だ」というような【短絡した表現をもって「政治利用」している現実】を見逃すわけにはいかない。』

    昭和天皇

    いかがでしょうか?

    御前会議において、昭和天皇は、明治天皇の御製「よもの海」を詠みあげられました。

    でも、近衛の記録では、昭和天皇は「よもの海」を一部言葉を置き替えてお詠みになられた、その事実ハッキリと示されています。

    よものうみみなはらからと思ふ世になど【波風】のたちさわぐらむ

    四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど【あだ波】の立ちさわぐらむ

    「あだ波」は「敵」を指す言葉です♥

    天皇は、「敵が騒いで海が荒れ、まことに困ったことだ」と、替え歌で本心を婉曲に表現してみせたんです♥

    「あだ波」に対峙せざるを得ないとの覚悟替え歌に託し訴えたんです♥

    御前会議の場に居た全員が、昭和天皇の詠まれた「よもの海」の真意を理解していたんです♥

    だから、その場が凍りついた、「満座は粛然として声もなかった」と近衛は、その時の状況をリアルに書き遺しているんです。

    粛然とは、「静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。」ということです。

    昭和天皇が、「波風」と詠むべきところを、故意に「あだ波」と詠まれた意味を、全員が理解したからこその「粛然」なんです。

    それでは、この時の状況を、メディアはどのように伝えているか。

    すでにご紹介しております典型例をご覧ください。

    こちら♥(1分40秒あたりから)



    替え歌の事実が完全に伏せられていますね♥

    このように、日本のメディアは、再現する際には、巧妙に手を加えます

    驚き顔

    このTBSが製作したデタラメ特別番組、【 シリーズ激動の昭和~あの戦争は何だったのか~日米開戦と東條英機 】有名です♥

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    (以下はwikiより)

    『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機』は、TBS系列で、2008年12月24日の18:55 - 23:32(JST)に放送されたドキュメンタリーとテレビドラマの特別番組。2008年3月10日に放送された『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』に続くTBSの「シリーズ激動の昭和」の第2弾であり、ドキュメンタリー(18:55 - 20:40)とテレビドラマ(20:45 - 23:32)の2部構成で放送された。ドキュメンタリー部分のメイン司会は、前作と同じく筑紫哲也が行う予定であったが、筑紫の死去により代役として安住紳一郎と鳥越俊太郎の両名が司会を務めた

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    革命思想の鳥越についてはこちらから♥ ⇒ 亡き筑紫哲也の意思を継いだ、リベラル電波人士の正体

    制作局 : TBS

    演出 : 鴨下信一

    原作 : 保阪正康

    脚本 : 池端俊策

    プロデューサー : 八木康夫、堤慶太、那須田淳

    (うはw 左翼ばっかりですね♥)

    原作は保阪正康 になっています。

    保阪正康について、ここで最近の話題をお一つ♥

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    保阪正康

    今年3月、宮内庁20年以上もの長い歳月膨大な経費をかけて、「昭和天皇実録」が編纂・刊行されました。



    総ページ数も膨大なのですが、この中には、触れられていない事実が数多く存在しています。

    その一つとして著者は、明治天皇の御製「よもの海」を、昭和天皇が替え歌で詠まれていた事実を伏せている、と言っています。

    そして、その上で、「替え歌の背景を再検証すべき」だと言っています。

    なぜなら、昭和天皇を平和主義者にして、そして軍部に責任を押し付ける左翼・リベラルや似非保守のプロパガンダの根っこに、この御製「よもの海」があるからなんです。

    左翼・リベラルは論外と致しまして、例えば、似非保守の連中「昭和天皇実録」について分析している本があります。

    半藤一利保阪正康らによって書かれた『 「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書) 』という本です。



    徹底的に昭和天皇擁護&軍部批判をしている、まったくデタラメな本です♥

    似非保守である彼らは歴史の見方が歪んでいます

    あるいは、ワザとそのように解釈をし、喧伝しているのかもしれません♥

    こういった嘘を見抜くためにも、今回ご紹介する優れた書物は、非常にお薦めです^^

    因みに、さきほどの似非保守の連中の主張するところは、以下のような感じです。(wikiより抜粋)

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    半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。大東亜戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年は護憲派としての活動を積極的に行っており「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

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    保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『忘却された視点』『安楽死と尊厳死』『愛する家族を喪うとき』『日本の医療』『オモテの議論ウラの議論』など多数。しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には実証的立場からの批判も多い。また第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、このことにあわせ、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的である。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的であり、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的である。学生時60年安保に反対する学生運動に参加するなど、左翼系の学生であった。しかし、仲間と共に鉄道のストライキを呼びかけた際に鉄道職員から「学生は帰れ!」と野次を飛ばされ、「何か違う」と学生運動に疑問を持ったという。

    あらら、まったく保守ではありませんね♥

    思想がグチャグチャですね~

    こんな作家が書く本は、一切読まなくても構わないでしょう^^
     
    続きは次回に♥




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