四方の海みな同胞と思ふ世になどあだ波の立ちさわぐらむ ~ 昭和天皇

    1280px-Meiji_Shrine_2012.jpg
    明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。明治天皇昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を集める。正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」

    よもの海
    明治天皇御製「よもの海」

    明治神宮HP


    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。

    未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。

    いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、です。デタラメなんです♥

    私たちの日本は諸外国によって戦争に引き込まれていきました

    そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥

    彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 前夜、天皇はおそらく一晩中、眠れない思いで過ごしたであろう。

    昭和天皇

     そして、呻吟(しんぎん)した末に【ある決意を込めた秘策】を思いつき、メモを走らせてからようやく休んだ。

    悩む女の子2

     翌朝午前10時、宮中「東一ノ間」に、大元帥の陸軍軍装に赤い房が下がった元帥刀を下げた天皇が出御。

    御前会議

     天皇が着席するのを待って全員が最敬礼して席に着くと、御前会議は開始された。…

    近衛文麿
    近衛文麿

     冒頭、近衛首相から総括的説明かなされ、続いて原枢密院議長が次のような発言をした。

    原 嘉道
    原嘉道

    「この案を見ると、外交よりもむしろ戦争に重点が置かれている感がある。政府と統帥部の趣旨を明瞭に承りたい」

     そこで及川海相が政府を代表して答弁をしたが、【統帥部からは誰も発言しなかった】

     すると天皇は突如として発言し、

    「私から、こと重大だから両総長に質問する。先刻原がこんこん述べたのに対し、両総長はひと言も答弁しなかったがどうか。極めて重大なことなりしに統帥部長の意思表示なかりしは自分は遺憾に思う

    【異例の厳しい発言】があった。

     このあと、近衛の手記『平和への努力』によれば、

    「然るに、陛下は突如発言あらせられ――御懐中より明治天皇の御製

    四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど【あだ波】の立ちさわぐらむ

    を記したる紙片を御取出しになって之を御読み上げになり、

    『余は常にこの御製を拝誦して、故大帝の平和愛好の御精神を紹述(しょうじゅつ)せむと努めて居るものである』

    と仰せられた」


    とその場の情景を書き残し、満座は粛然として声もなかった、と付け加えている。

    よもの海
    明治天皇御製「よもの海」

     「よもの海」を天皇は【2度繰り返し朗詠した】との説もある。

     いずれせよ、天皇に「どうか」とまで問い詰められ、出席者全員は背筋をこわばらせた。…

     実は注意して読めば、天皇が詠んだ歌には【奇妙な齟齬】が隠されていた

     ところが、このことは【これまでの昭和史研究のなかでなぜか見過ごされてきた】

    驚き顔

     昭和天皇はたしかに「明治天皇の御製を拝誦している」と語り、紙片に書かれた御製を詠み上げた

     けれども明治天皇御製として公表されている「よもの海」は次の歌で、【近衛の記録とは違う】。…

    驚き顔

     御製「よもの海」は明治37年の作、すなわち日露戦争中の大御歌(おおみうた)である。

     よものうみみなはらからと思ふ世になど【波風】のたちさわぐらむ

     明治天皇のこの有名な御製は「波風」だが昭和天皇がこの日詠んだ歌は「あだ波」、と近衛は記している。』

    驚き顔

    いかがでしょうか?

    御前会議において、昭和天皇は、明治天皇の御製「よもの海」を詠みあげられました。

    でも、近衛の記録では、昭和天皇は「よもの海」を一部言葉を置き替えてお詠みになられた、その事実ハッキリと示されています。

    よものうみみなはらからと思ふ世になど【波風】のたちさわぐらむ

    四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど【あだ波】の立ちさわぐらむ

    ご覧頂けば、一目瞭然ですが、「なみかぜ」と「あだなみ」を、昭和天皇が先帝の御製を間違って詠まれるはずはなく、また、近衛文麿が、聞き間違えたり書き間違えたりなどと想定すること自体あまりにもナンセンスです。

    「なみかぜ」と「あだなみ」ですよ^^ 口に出してみれば、ハッキリします。この二つの言葉を言い間違えたり、聞き間違えたり書き間違えたり、と想像することには非常に無理がありますね♥

    つまり、御前会議の場に居た全員が、昭和天皇の詠まれた「よもの海」の真意を理解していたんです♥

    だから、その場が凍りついた、「満座は粛然として声もなかった」と近衛は、その時の状況をリアルに書き遺しているんです。

    粛然とは、「静まりかえっているさま。また、かしこまり静まるさま。」ということです。

    昭和天皇が、「波風」と詠むべきところを、故意に「あだ波」と詠まれた意味を、全員が理解したからこその「粛然」なんです。

    それでは、この時の状況を、メディアはどのように伝えているか。

    昨日もご紹介いたしました典型例をご覧ください。

    こちら♥(1分40秒あたりから)



    替え歌の事実が完全に伏せられていますね♥

    このように、日本のメディアは、再現する際には、巧妙に手を加えます

    驚き顔

    このTBSが製作したデタラメ特別番組、【 シリーズ激動の昭和~あの戦争は何だったのか~日米開戦と東條英機 】有名です♥

    TBS.jpg

    (以下はwikiより)

    『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機』は、TBS系列で、2008年12月24日の18:55 - 23:32(JST)に放送されたドキュメンタリーとテレビドラマの特別番組。2008年3月10日に放送された『3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』に続くTBSの「シリーズ激動の昭和」の第2弾であり、ドキュメンタリー(18:55 - 20:40)とテレビドラマ(20:45 - 23:32)の2部構成で放送された。ドキュメンタリー部分のメイン司会は、前作と同じく筑紫哲也が行う予定であったが、筑紫の死去により代役として安住紳一郎と鳥越俊太郎の両名が司会を務めた

    2be4afb5a05a20e74095e730e2d9fa2a.jpg
    革命思想の鳥越についてはこちらから♥ ⇒ 亡き筑紫哲也の意思を継いだ、リベラル電波人士の正体

    制作局 : TBS

    演出 : 鴨下信一

    原作 : 保阪正康

    脚本 : 池端俊策

    プロデューサー : 八木康夫、堤慶太、那須田淳

    (うはw 左翼ばっかりですね♥)

    原作は保阪正康 になっています。

    保阪正康について、ここで最近の話題をお一つ♥

    PK2007081402140844_size0.jpg
    保阪正康

    今年3月、宮内庁20年以上もの長い歳月膨大な経費をかけて、「昭和天皇実録」が編纂・刊行されました。



    総ページ数も膨大なのですが、この中には、触れられていない事実が数多く存在しています。

    その一つとして著者は、明治天皇の御製「よもの海」を、昭和天皇が替え歌で詠まれていた事実を伏せている、と言っています。

    そして、その上で、「替え歌の背景を再検証すべき」だと言っています。

    なぜなら、昭和天皇を平和主義者にして、そして軍部に責任を押し付ける左翼・リベラルや似非保守のプロパガンダの根っこに、この御製「よもの海」があるからなんです。

    左翼・リベラルは論外と致しまして、例えば、似非保守の連中「昭和天皇実録」について分析している本があります。

    半藤一利保阪正康らによって書かれた『 「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書) 』という本です。



    徹底的に昭和天皇擁護&軍部批判をしている、まったくデタラメな本です♥

    似非保守である彼らは歴史の見方が歪んでいます

    あるいは、ワザとそのように解釈をし、喧伝しているのかもしれません♥

    こういった嘘を見抜くためにも、今回ご紹介する優れた書物は、非常にお薦めです^^

    因みに、さきほどの似非保守の連中の主張するところは、以下のような感じです。(wikiより抜粋)

    handojazutoshi.jpg
    半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。大東亜戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年は護憲派としての活動を積極的に行っており「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

    PK2007081402140844_size0.jpg
    保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『忘却された視点』『安楽死と尊厳死』『愛する家族を喪うとき』『日本の医療』『オモテの議論ウラの議論』など多数。しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には実証的立場からの批判も多い。また第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、このことにあわせ、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的である。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的であり、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的である。学生時60年安保に反対する学生運動に参加するなど、左翼系の学生であった。しかし、仲間と共に鉄道のストライキを呼びかけた際に鉄道職員から「学生は帰れ!」と野次を飛ばされ、「何か違う」と学生運動に疑問を持ったという。

    あらら、まったく保守ではありませんね♥

    思想がグチャグチャですね~

    こんな作家が書く本は、一切読まなくても構わないでしょう^^
     
    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓
    にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
    にほんブログ村


    人気ブログランキングへ
    関連記事
    Category: 国史
    Published on: Wed,  05 2015 00:00
    • Comment: 0
    • Trackback: 0

    0 Comments

    Post a comment