明治天皇 御製 「よもの海」 ~ 昭和天皇は、なぜ替え歌で詠まれたか。。。

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    日本一のさざれ石、護王神社、京都市上京区

    さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。日本では滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地である。平成15年9月に宮崎県日向市にある大御神社で、境内の拡張工事中に日本最大級のさざれ石群が発見された

    大御神社 2

    詳しくはこちらから♥ ⇒ 日向のお伊勢さま 大御神社HP

    大御神社
    大御神社

    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    さて、「大東亜戦争では、軍部が独走した」、なんて実しやかな嘘が存在しています。

    未だに多くの方々が、そんな誤った知識を持たれたままなんです。

    いわゆる「陸軍悪玉説」です♥ これは、です。デタラメなんです♥

    私たちの日本は諸外国によって戦争に引き込まれていきました

    そして、そんな諸外国と手を組む「裏切り者」が、日本の中枢に居たんです♥

    彼ら、「赤いユダ」の正体を実名で暴いていこうというのが、本書の狙いです。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 昭和16(1941)年9月6日、開戦に至る重要な契機となる御前会議で、昭和天皇は【明治天皇の御製(ぎょせい)】を引いて「ある決意」を示唆したとされる。

    昭和天皇

     だが、その【和歌「よもの海」が実は替え歌で詠まれていたことはほとんど知られていない】この事実は70年以上も見過ごされてきた

    驚き顔

     昭和天皇のもとで御前会議は都合、15回開かれているが、開戦前1年に限れば4回である。

     なかでも「帝国国策遂行要領」が決定された第6回御前会議は、昭和史においても極めて重要な御前会議として記憶に留められる。

    御前会議

     理由は、【天皇が異例なことに直接質問を発し】かつ【明治天皇の御製を引いて統帥部(とうすいぶ)を質(ただ)す】という成り行きになったからである。

     その場で昭和天皇は明治天皇の有名な御製を詠み、その内容が「平和を望むものだ」という解釈が一般的になされた

     それは【今日までそのまま】変わりない

     【東京裁判以降】はむしろ

    「天皇だけ平和を望んでおられた」

    陸軍が暴走し、天皇の本意とは違う結果となった」

    【陸軍悪玉説】の根拠に、この御前会議の「よもの海」が引かれることがしばしばであった。

     はたして「よもの海」はいかなる背景のもとに詠まれたのか、そのためにも【替え歌の背景を再検証すべき時がきた】ように思う

    明治天皇御製(大御神社境内)
    明治天皇御製(大御神社境内)

     御前会議の核心に入る前に、議題である「帝国国策遂行要領」をまず確認しておこう。

     全文は「別紙」まであり長文なので、かいつまんで要点のみ引いておけば次の3点に絞られる。…

    一、帝国は【自存自衛を全うするため】、対米(英、蘭)戦争を辞せざる決意の下に、おおむね10月下旬を目途(もくと)とし、戦争準備を完遂す。

    二、帝国は右に並行して、米、英に対し、【外交の手段を尽くして】帝国の要求貫徹に努む。

    三、外交交渉により10月上旬頃に至るもなお、わが要求を貫徹しうる目途なき場合においては、直ちに対米(英、蘭)開戦を決意す。

     ここに至るまでには、4月から本格的に始まっていた日米交渉の難航が舞台裏にあった。』

    驚き顔

    この辺りの事情に関しては、沢山の書物が出されています。

    これまで秘匿されてきた資料が公開されるようになり、最近になって次々と新事実が判明していますね♥

    私たち日本人の素晴らしい歴史「思い出す」ためにも、色々な正しい書物をお読みいただけると良いかと思います^^

    普段、お仕事や家事、学業などで多忙な方々がほとんどだと思いますので、このブログではそんなお時間の限られた方々でも、サクッと書物に触れられますよう期待して、ご紹介させて頂いております♥

    この御前会議の時期に、私たちの日本は、一体どのような状況に置かれていたか。

    以下の書物をご参考までにご紹介させて頂きます。

    こちら♥ ⇒ アメリカンのHERO 「空を飛ぶトラ」♥



    こちら♥ ⇒ 昭和時代の「デス・ノート」♥



    こちら♥ ⇒ 日本と中国の仲直りを邪魔している「あの国」♥



    こちら♥ ⇒ 戦争に引き込まれるということ



    『 難航した最大の理由は、そもそも【アメリカ側に日本を理解しようという姿勢など初めからなかった】ことが挙げられよう。

    驚き 4

     これまでの【多くの昭和史研究家】によれば、【「陸軍の暴走」による日中戦争の長期化】とか【「松岡洋右(ようすけ)らの独走」による三国同盟締結】といった問題が交渉挫折の理由とされてきたがそれらは【東京裁判に毒されてきた歴史観】と言わざるを得ない

    驚き顔

     言われるような「独走」などなくても【アメリカは必ず日本を追い込んだ】に相違ないからだ。

    驚き顔

     当時、アメリカが置かれていた立場をみれば明白だ。

     理由の第一には、太平洋全域をわが物にしようとする【アメリカの根強い覇権主義】があり、第二には満州や北部支那の利権でヨーロッパに大きく引き離されていたことへの焦りが挙げられる。

     日本を叩いて、太平洋および支那・満州の利権の再配分を行うことこそが【アメリカがかぶった「正義」の仮面】だったのだ。

    驚き 4

     枢軸国(すうじくこく)が「悪魔」で、英・蘭などは道徳的な「正義」だと捉え、【出遅れた米国が追いつくために日本を追い落とす】機会をうかがっていた、と考えれば分かりやすい。

    驚き顔

     つまりアメリカは、この戦争をあくまでも聖戦だと言い張りたかった

     「正義」の仮面を裏返せば、アメリカのヨーロッパに対するジハードという側面がもとよりあった、ということになる。』

    驚き 2

    いかがでしょうか?

    今年3月に、宮内庁20年以上もの長い歳月膨大な経費をかけて、「昭和天皇実録」が編纂・刊行されました。



    総ページ数も膨大なのですが、この中には、触れられていない事実が数多く存在しています。

    その一つとして著者は、明治天皇の御製「よもの海」を、昭和天皇が替え歌で詠まれていた事実を伏せている、と言っています。

    そして、その上で、「替え歌の背景を再検証すべき」だと言っています。

    なぜなら、昭和天皇を平和主義者にして、そして軍部に責任を押し付ける左翼・リベラルや似非保守のプロパガンダの根っこに、この御製「よもの海」があるからなんです。

    左翼・リベラルは論外と致しまして、例えば、似非保守の連中「昭和天皇実録」について分析している本があります。

    半藤一利保阪正康らによって書かれた『 「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書) 』という本です。



    徹底的に昭和天皇擁護&軍部批判をしている、まったくデタラメな本です♥

    似非保守である彼らは歴史の見方が歪んでいます

    あるいは、ワザとそのように解釈をし、喧伝しているのかもしれません♥

    こういった嘘を見抜くためにも、今回ご紹介する優れた書物は、非常にお薦めです^^

    因みに、さきほどの似非保守の連中の主張するところは、以下のような感じです。(wikiより抜粋)

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    半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。原子力発電所については人間の手に負えない危険なものとして懸念してきた。大東亜戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年は護憲派としての活動を積極的に行っており「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

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    保阪 正康(ほさか まさやす、1939年12月14日 - )は、日本のノンフィクション作家・評論家・日本近現代史研究者。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。著書『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『忘却された視点』『安楽死と尊厳死』『愛する家族を喪うとき』『日本の医療』『オモテの議論ウラの議論』など多数。しかし当事者の証言に偏重する研究姿勢には実証的立場からの批判も多い。また第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、このことにあわせ、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的である。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的であり、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的である。学生時60年安保に反対する学生運動に参加するなど、左翼系の学生であった。しかし、仲間と共に鉄道のストライキを呼びかけた際に鉄道職員から「学生は帰れ!」と野次を飛ばされ、「何か違う」と学生運動に疑問を持ったという。

    あらら、まったく保守ではありませんね♥

    思想がグチャグチャですね~

    こんな作家が書く本は、一切読まなくても構わないでしょう^^
     
    続きは次回に♥




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    Category: 国史
    Published on: Sun,  02 2015 00:00
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